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和書>小説・ノンフィクション>ノンフィクション>エッセイ・随筆
懲役18年――私は彼女が最後にいった言葉を忘れずにいる。オトナになるまで再婚しては駄目といったのである。そしてすでに懲役は20年の長きにおよんでいる。不幸でもなく幸せでもなく、同時につまらなくもない中年的シングル生活の実情を、自信と痩せがまん半々に記した、これはユーモア読み物なのである。
I 生活のない暮らし 春は小石さえあたたかい ウルトラマンのごとく 自分では気づかない かりそめの家族 人がたにくぼんだベッド 車掌車に住みたい 移動する劇場 ほんとはコドモが欲しい 中年独身男こそ難題 「探偵」とは何者か 「全盛期」がない方がラクなんだが それでもジタバタしたい どうしても西洋の娼家に似る 昔聞いたシャンソン 『ルームメイツ』について インタビュー 百三十年は一瞬 探偵が生きられる場所 『流れる』という小説 家族で散歩はできない 「わたり鳥」はひとり旅 そこには生活はないのである ひとりもののユートピア ラストシーンの向こう側 天上天下唯我独身 人生はカジノだ 恨みのクリスマス 満たされない願望の切なさ 死んで何が残せる? 位階何事かあらん 希望をも忘るべし 一葉の思い残し 「国際夫婦年」? 死ぬほど塩っぱくて死ぬほど甘い こんな小説もあったっけ ハッピーエンドがこわい ひとりものの死にかた スキーヤーの後姿 「落ち付いていて乱暴」な女 リビングルームという名の廊下 どうする、この本の山 智恵子を壊したもの 家事は「感染」する 中国人女性留学生 「団塊」の親 清という女 橋の下を多くの水が流れた 小説家 森瑤子 野良ネコ女房、不良な母親 ただ珍しく面白く II 慰めのない会話 旧シングル対新シングル 彼らにはアルバムがある 蛙は青い、骨は白い 人生なんてラララララ 互殺の和 やさしい足音、かたい足音 四十六歳の秋だから ひとり暮らしの素数 帰りたい風景 橋からの眺め 昔知った物語 あとがき 文庫版あとがきにかえて S君の「物語」 阿川佐和子VS.関川夏央
一九七五年の、もう葉桜(はざくら)もとうに終っていた頃合だから晩春だったと思う。彼女とわたしは深夜の散歩に出た。 彼女は自転車の小さな荷台に腰掛けてわたしのベルトにつかまった。レーサーみたいな自転車で、二人乗りはかなりの力仕事だった。東京の住宅地のあたたかくて湿り気を帯びた空気と手応えのありすぎる彼女の重さ、その両方のせいで胸と背中はじきに汗ばんだ。彼女はわたしの奥さんで、ふたりとも二十五歳だった。 わたしは失業してしばらく印刷工場でアルバイトしていたが、作業の酷薄(こくはく)な単純さにいや気がさしてそれもやめたばかりだった。彼女は近所の商店会の事務所のパートだった。要するに電話番で、時給もそれに見あった安さだった。不安な境遇には違いなくとも、第一次オイルショックから間もないその頃は世間もなんとなく虚脱したような気配だったので、浮遊しながら日々を費(ついや)すふたりなどという絵柄はありふれていて、それほど苦にはならなかった。明日や来週のことは考えても、来月や来年にはなんのイメージも湧(わ)かなかった。 妙正寺池(みようしようじいけ)は荻窪(おぎくぼ)から二十分ほどである。妙正寺川の水源になっているその小さな池には、走っているうちに行きあたったのである。アヒルが六羽ばかり水面をゆっくりと滑っているほかは誰もいない。ただ栗の花が甘く強くかおった。 池のほとりにたたずんでいるとき、彼女はとても落ち着いたようすでわたしをなじった。その頃わたしがつきあっていたガールフレンドとのことをである。わたしは生返事(なまへんじ)をしながら、いつものようにできるだけ言葉少なく嘘(うそ)をついた。 電話の声が憎らしいほどきれいな人ね、と彼女はいった。でも、あたしは嫌い。大嫌い。 わたしは黙ったまま地面の小石を拾った。小石さえ春の夜にはあたたかいのである。 あたしとうまくいかないのなら、そう彼女はつづけた。彼女とだってうまくいくはずはないのよ。結局あなたは自分のことしか考えない人なんだから。 彼女はわたしとちゃんと喧嘩(けんか)したかったのだろうと思う。しかし、彼女のいったことはみな当たっていると思ったわたしは、くやしくて、またいらいらするばかりで、とてもその気になれなかった。そのかわり、わたしは小石を池に向かって投げた。狙(ねら)ったわけでもないのに、こういうときに限って命中する。アヒルたちがひとしきり騒いだ。 それから半年ほどしてわたしは彼女と別れた。ガールフレンドとも結局うまくいかなかった。 わたしは今でも彼女が最後にいった言葉を忘れずにいる。 あなたはオトナになるまで再婚なんかしちゃ駄目と彼女はいったのである。どれくらい駄目だろうと尋ねたら、懲役(ちようえき)十八年よ、と答えた。それは、いつかふたりで見に行った安藤昇のヤクザ映画の題名である。 わたしは内心、十年もたてば仮釈放だなとタカをくくっていたのだが、案に相違して満期に至っても出所できず、すでに懲役は二十年の長きにおよんでいるのである。 *この続きは製品版でお楽しみください。
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※注意 同一の書籍でもファイル形式が異なるものは別商品として取り扱っております。
デジタル初版:2006年9月21日
ジャンル:和書>小説・ノンフィクション>ノンフィクション>エッセイ・随筆 著: 関川夏央 発行: 講談社
和書>小説・ノンフィクション>ノンフィクション>エッセイ・随筆 |
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