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荒野に獣 慟哭す 1 獣化の章

荒野に獣 慟哭す 1 獣化の章

著: 夢枕獏
発行: 実業之日本社
シリーズ: 荒野に獣 慟哭す
価格:651円(税込)
10ポイント還元
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対応端末:パソコン ソニー“Reader”
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著者プロフィール

 夢枕 獏(ゆめまくら ばく)
 1951年、神奈川県小田原市生まれ。東海大学文学部卒業。1977年SF同人誌に『カエルの死』を発表しデビューした。SF伝奇、サスペンスをはじめ、幅広い分野で話題作を発表し、『魔獣狩り』『飢狼伝』『キマイラ』シリーズなどがある。『上弦の月を食べる獅子』で日本SF大賞を受賞。渓流釣り、登山、カメラなど多くの趣味を持ち、『神々の国、人の国』などの写真集も出している。また、熱烈なプロレス、格闘技ファンとしても有名。

解説

 意識が戻ったとき、御門周平は自分が誰だか分からなかった。しかしどうやら山の中の屋敷に幽閉されているらしい。その屋敷から脱出した御門を待っていたのは、獰猛な獣の群れだった……。未開の伝承と現代科学との結合が生み出した恐るべき新兵器──獣化兵との死闘の果てには……。

目次

序章
一章 空白の獣
二章 獣の目覚め
三章 追われる獣
四章 狂乱の獣
五章 悪夢の獣
六章 哀愁の獣
七章 獣の荒野
転章


 あとがき

抄録

 六月に入っていた。
 御門は、もう蟻の夢も見なくなっていた。
 夜半に目を覚まして、犬の集会に参加することもなくなっていた。
 肉体の機能も、正常であった。
 その頃には、さすがに、御門も、自分が置かれている状況の奇妙さに気づき始めていた。
 外へ、出させてもらえないのである。
 家の外へは出ることができる。
 しかし、家の周囲を囲んでいる、高い塀《へい》の外へは出させてもらえない。
 樹木の陰に隠れて、御門の部屋からその塀を見ることはできないが、家から外へ出れば、その塀を見ることができる。
 高さが、五メートルはある塀であった。
 何の凹凸もないコンクリートの塀だ。
 上部には“返し”がある。
 オーバーハングになっているのである。
 その塀が、広い敷地をぐるりと囲んでいるのである。
 しかも、その塀の近くには、樹が一本もないのだ。わざと、塀に近い場所の樹が切られているのである。しかも、その塀に一番近い樹の、塀側にある枝が、全て切り払われているのであった。
 塀の出入口は、ただ一カ所──
 そこには、外の見えない、分厚い鉄の扉があるだけであった。
 しかも、鍵がかかっているのである。
 それは、まるで、凶暴な獣を閉じ込めておくための設備のようであった。
 その夜、ついに、そのことで、京子と言いあいになった。
 「何故だ」
 と、御門は京子に問うた。
 「この別荘の持ち主が、庭で熊を放し飼いにしていたことがあったのよ。塀も、塀の近くの樹がないのもそのため……」
 京子は言った。
 「じゃあ、何故、扉に鍵がかかっているんだ?」
 「誰か、知らない人が入ってくるのを防ぐためよ。ここには、わたしとあなたしかいないでしょう。最近、このあたりに、別荘あらしが多いの。わかるでしょう」
 「おれには、おれを、ここへ閉じ込めておくためとしか思えないね」
 「そんなことはないわ」
 「ならば、何故、外へ出してもらえない?」
 「あなたが、まだ、回復していないからよ」
 「回復? もうしてるさ。もどって来ないのは、記憶だけだ」
 「五代先生が、まだ、外出は避けた方がいいっておっしゃるのよ」
 「だから、どうしてなんだ? 記憶がもどってないからって、どうして外へ出てはいけないことになるんだ?」
 御門は、声を荒くしていた。
 「第一、本当に、交通事故なのか。交通事故なら、身体のあちこちに傷や打撲傷があるはずじゃないか。傷があるのは頭だけじゃないか?」
 「他の傷は、あなたが、自分の名前を覚える前に、ほとんど回復したのよ。あとは、あなたの身体の機能障害と、もどってこない記憶だけ──」
 京子は言った。
 御門の部屋であった。
 セミダブルのベッドが窓際に置いてあり、もう一方の壁にある窓の前に、簡単なテーブルと椅子がある。
 そこに座って、御門は京子と話をしているのだった。
 御門は、パジャマではなく、ズボンとシャツ姿である。
 京子は、ジーンズをはき、サマーセーターを身につけていた。
 下には、何も着てはいず、素肌の上に、直接そのサマーセーターを着ている。
 テーブルの上には、飲まれないまま冷めたコーヒーの入った、コーヒーカップが置かれている。
 スプーンの金属に、灯りが映っている。
 その灯りが、御門の眼を小さく射た。
 御門の頭部には、まだ、包帯が巻かれている。
 「おれの身体には、もう、機能障害はない。記憶だけだ。記憶がもどってこないだけの人間が、何故、外へ出ることができないんだ?」
 御門は、京子を見た。
 妻と名のる女だ。
 そう言われても、しかし、何の実感もない。
 女としての実感はある。柔らかそうな唇や、白い肌や、項《うなじ》の線に、思わず視線を奪われることがある。
 その身体に、はっきり牡としての欲望も抱いている。
 これまで、京子が、自分に対してどれだけつくしてくれたか、それもよくわかっている。
 御門に問われるままに、事故前後のことや、記憶を失う前の御門のことを、繰り返し、根気よく話してもくれた。
 料理を造り、御門の下着まで洗濯をした。
 はっきり言えば、御門は、好意以上のもの、愛情も欲望も、京子に対して抱いている。
 抱いてはいるが、しかし、それを抑えている。
 どんなに京子に好意を抱いていたとしても、愛情や欲望を抱いていたとしても、それと、京子が妻であるという実感とは、また、別のものである。
 「外へ出てないのは、わたしも同じよ」
 京子は言った。

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