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著者プロフィール
夢枕 獏(ゆめまくら ばく)
1951年、神奈川県小田原市生まれ。東海大学文学部卒業。1977年SF同人誌に『カエルの死』を発表しデビューした。SF伝奇、サスペンスをはじめ、幅広い分野で話題作を発表し、『魔獣狩り』『飢狼伝』『キマイラ』シリーズなどがある。『上弦の月を食べる獅子』で日本SF大賞を受賞。渓流釣り、登山、カメラなど多くの趣味を持ち、『神々の国、人の国』などの写真集も出している。また、熱烈なプロレス、格闘技ファンとしても有名。
1951年、神奈川県小田原市生まれ。東海大学文学部卒業。1977年SF同人誌に『カエルの死』を発表しデビューした。SF伝奇、サスペンスをはじめ、幅広い分野で話題作を発表し、『魔獣狩り』『飢狼伝』『キマイラ』シリーズなどがある。『上弦の月を食べる獅子』で日本SF大賞を受賞。渓流釣り、登山、カメラなど多くの趣味を持ち、『神々の国、人の国』などの写真集も出している。また、熱烈なプロレス、格闘技ファンとしても有名。
解説
意識が戻ったとき、御門周平は自分が誰だか分からなかった。しかしどうやら山の中の屋敷に幽閉されているらしい。その屋敷から脱出した御門を待っていたのは、獰猛な獣の群れだった……。未開の伝承と現代科学との結合が生み出した恐るべき新兵器──獣化兵との死闘の果てには……。
目次
序章
一章 空白の獣
二章 獣の目覚め
三章 追われる獣
四章 狂乱の獣
五章 悪夢の獣
六章 哀愁の獣
七章 獣の荒野
転章
あとがき
一章 空白の獣
二章 獣の目覚め
三章 追われる獣
四章 狂乱の獣
五章 悪夢の獣
六章 哀愁の獣
七章 獣の荒野
転章
あとがき
抄録
六月に入っていた。
御門は、もう蟻の夢も見なくなっていた。
夜半に目を覚まして、犬の集会に参加することもなくなっていた。
肉体の機能も、正常であった。
その頃には、さすがに、御門も、自分が置かれている状況の奇妙さに気づき始めていた。
外へ、出させてもらえないのである。
家の外へは出ることができる。
しかし、家の周囲を囲んでいる、高い塀《へい》の外へは出させてもらえない。
樹木の陰に隠れて、御門の部屋からその塀を見ることはできないが、家から外へ出れば、その塀を見ることができる。
高さが、五メートルはある塀であった。
何の凹凸もないコンクリートの塀だ。
上部には“返し”がある。
オーバーハングになっているのである。
その塀が、広い敷地をぐるりと囲んでいるのである。
しかも、その塀の近くには、樹が一本もないのだ。わざと、塀に近い場所の樹が切られているのである。しかも、その塀に一番近い樹の、塀側にある枝が、全て切り払われているのであった。
塀の出入口は、ただ一カ所──
そこには、外の見えない、分厚い鉄の扉があるだけであった。
しかも、鍵がかかっているのである。
それは、まるで、凶暴な獣を閉じ込めておくための設備のようであった。
その夜、ついに、そのことで、京子と言いあいになった。
「何故だ」
と、御門は京子に問うた。
「この別荘の持ち主が、庭で熊を放し飼いにしていたことがあったのよ。塀も、塀の近くの樹がないのもそのため……」
京子は言った。
「じゃあ、何故、扉に鍵がかかっているんだ?」
「誰か、知らない人が入ってくるのを防ぐためよ。ここには、わたしとあなたしかいないでしょう。最近、このあたりに、別荘あらしが多いの。わかるでしょう」
「おれには、おれを、ここへ閉じ込めておくためとしか思えないね」
「そんなことはないわ」
「ならば、何故、外へ出してもらえない?」
「あなたが、まだ、回復していないからよ」
「回復? もうしてるさ。もどって来ないのは、記憶だけだ」
「五代先生が、まだ、外出は避けた方がいいっておっしゃるのよ」
「だから、どうしてなんだ? 記憶がもどってないからって、どうして外へ出てはいけないことになるんだ?」
御門は、声を荒くしていた。
「第一、本当に、交通事故なのか。交通事故なら、身体のあちこちに傷や打撲傷があるはずじゃないか。傷があるのは頭だけじゃないか?」
「他の傷は、あなたが、自分の名前を覚える前に、ほとんど回復したのよ。あとは、あなたの身体の機能障害と、もどってこない記憶だけ──」
京子は言った。
御門の部屋であった。
セミダブルのベッドが窓際に置いてあり、もう一方の壁にある窓の前に、簡単なテーブルと椅子がある。
そこに座って、御門は京子と話をしているのだった。
御門は、パジャマではなく、ズボンとシャツ姿である。
京子は、ジーンズをはき、サマーセーターを身につけていた。
下には、何も着てはいず、素肌の上に、直接そのサマーセーターを着ている。
テーブルの上には、飲まれないまま冷めたコーヒーの入った、コーヒーカップが置かれている。
スプーンの金属に、灯りが映っている。
その灯りが、御門の眼を小さく射た。
御門の頭部には、まだ、包帯が巻かれている。
「おれの身体には、もう、機能障害はない。記憶だけだ。記憶がもどってこないだけの人間が、何故、外へ出ることができないんだ?」
御門は、京子を見た。
妻と名のる女だ。
そう言われても、しかし、何の実感もない。
女としての実感はある。柔らかそうな唇や、白い肌や、項《うなじ》の線に、思わず視線を奪われることがある。
その身体に、はっきり牡としての欲望も抱いている。
これまで、京子が、自分に対してどれだけつくしてくれたか、それもよくわかっている。
御門に問われるままに、事故前後のことや、記憶を失う前の御門のことを、繰り返し、根気よく話してもくれた。
料理を造り、御門の下着まで洗濯をした。
はっきり言えば、御門は、好意以上のもの、愛情も欲望も、京子に対して抱いている。
抱いてはいるが、しかし、それを抑えている。
どんなに京子に好意を抱いていたとしても、愛情や欲望を抱いていたとしても、それと、京子が妻であるという実感とは、また、別のものである。
「外へ出てないのは、わたしも同じよ」
京子は言った。
御門は、もう蟻の夢も見なくなっていた。
夜半に目を覚まして、犬の集会に参加することもなくなっていた。
肉体の機能も、正常であった。
その頃には、さすがに、御門も、自分が置かれている状況の奇妙さに気づき始めていた。
外へ、出させてもらえないのである。
家の外へは出ることができる。
しかし、家の周囲を囲んでいる、高い塀《へい》の外へは出させてもらえない。
樹木の陰に隠れて、御門の部屋からその塀を見ることはできないが、家から外へ出れば、その塀を見ることができる。
高さが、五メートルはある塀であった。
何の凹凸もないコンクリートの塀だ。
上部には“返し”がある。
オーバーハングになっているのである。
その塀が、広い敷地をぐるりと囲んでいるのである。
しかも、その塀の近くには、樹が一本もないのだ。わざと、塀に近い場所の樹が切られているのである。しかも、その塀に一番近い樹の、塀側にある枝が、全て切り払われているのであった。
塀の出入口は、ただ一カ所──
そこには、外の見えない、分厚い鉄の扉があるだけであった。
しかも、鍵がかかっているのである。
それは、まるで、凶暴な獣を閉じ込めておくための設備のようであった。
その夜、ついに、そのことで、京子と言いあいになった。
「何故だ」
と、御門は京子に問うた。
「この別荘の持ち主が、庭で熊を放し飼いにしていたことがあったのよ。塀も、塀の近くの樹がないのもそのため……」
京子は言った。
「じゃあ、何故、扉に鍵がかかっているんだ?」
「誰か、知らない人が入ってくるのを防ぐためよ。ここには、わたしとあなたしかいないでしょう。最近、このあたりに、別荘あらしが多いの。わかるでしょう」
「おれには、おれを、ここへ閉じ込めておくためとしか思えないね」
「そんなことはないわ」
「ならば、何故、外へ出してもらえない?」
「あなたが、まだ、回復していないからよ」
「回復? もうしてるさ。もどって来ないのは、記憶だけだ」
「五代先生が、まだ、外出は避けた方がいいっておっしゃるのよ」
「だから、どうしてなんだ? 記憶がもどってないからって、どうして外へ出てはいけないことになるんだ?」
御門は、声を荒くしていた。
「第一、本当に、交通事故なのか。交通事故なら、身体のあちこちに傷や打撲傷があるはずじゃないか。傷があるのは頭だけじゃないか?」
「他の傷は、あなたが、自分の名前を覚える前に、ほとんど回復したのよ。あとは、あなたの身体の機能障害と、もどってこない記憶だけ──」
京子は言った。
御門の部屋であった。
セミダブルのベッドが窓際に置いてあり、もう一方の壁にある窓の前に、簡単なテーブルと椅子がある。
そこに座って、御門は京子と話をしているのだった。
御門は、パジャマではなく、ズボンとシャツ姿である。
京子は、ジーンズをはき、サマーセーターを身につけていた。
下には、何も着てはいず、素肌の上に、直接そのサマーセーターを着ている。
テーブルの上には、飲まれないまま冷めたコーヒーの入った、コーヒーカップが置かれている。
スプーンの金属に、灯りが映っている。
その灯りが、御門の眼を小さく射た。
御門の頭部には、まだ、包帯が巻かれている。
「おれの身体には、もう、機能障害はない。記憶だけだ。記憶がもどってこないだけの人間が、何故、外へ出ることができないんだ?」
御門は、京子を見た。
妻と名のる女だ。
そう言われても、しかし、何の実感もない。
女としての実感はある。柔らかそうな唇や、白い肌や、項《うなじ》の線に、思わず視線を奪われることがある。
その身体に、はっきり牡としての欲望も抱いている。
これまで、京子が、自分に対してどれだけつくしてくれたか、それもよくわかっている。
御門に問われるままに、事故前後のことや、記憶を失う前の御門のことを、繰り返し、根気よく話してもくれた。
料理を造り、御門の下着まで洗濯をした。
はっきり言えば、御門は、好意以上のもの、愛情も欲望も、京子に対して抱いている。
抱いてはいるが、しかし、それを抑えている。
どんなに京子に好意を抱いていたとしても、愛情や欲望を抱いていたとしても、それと、京子が妻であるという実感とは、また、別のものである。
「外へ出てないのは、わたしも同じよ」
京子は言った。
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