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解説
竜造寺隆信は、柳川城主蒲池民部大輔を宴に招き、討ち取ろうと企てる。使者は西岡美濃。美濃は竜造寺家切っての正直者として名高い。彼が「身の危険などなし」と告げ、相手を信用させるわけである。果たして美濃の一世一代のウソは通じるだろうか? 竜造寺家、鍋島家にかかわる悲劇の数々を、練達の筆致で描いた歴史小説集。
目次
謀殺
与四郎涙雨
埋もれ木の譜
汚名
鼓峠
朝鮮陣拾遺
高柳父子
朽ち葉の記
作品ノート――あとがきにかえて
与四郎涙雨
埋もれ木の譜
汚名
鼓峠
朝鮮陣拾遺
高柳父子
朽ち葉の記
作品ノート――あとがきにかえて
抄録
いままでに、嘘(うそ)らしい嘘を、ほとんどついたことのない西岡美濃(みの)にとっては、こんどの役目は、初めからいささかならず気が重かった。単なる使者ではない。相手をあざむいておびき出すための使者を仰せつかったのである。
主君の竜造寺隆信に命ぜられた美濃の役目は、筑後柳川(やながわ)城主蒲池(かまち)民部大輔鎮並(しげなみ)を、隆信の居城、肥前須古(すこ)城に伺候(しこう)させるにあった。招きに応ずれば、鎮並は九分九厘死ぬことになる。
日ごろの性分からして、たとえ主君の仰せでも、いやなものはいやと、はっきりいってのける美濃だが、断わる前に、
「その方を使者にえらんだ理由、わかっておろうな」
隆信から先に釘(くぎ)をさされてしまった。武勇やいさぎよさもむろんだが、それ以上に美濃は、真正直さで知られている。美濃のうわさは蒲池鎮並も聞いているはずだった。その美濃を使者に立てれば、鎮並もこちらの意中を疑ったりはすまい。それが隆信のおもわくであった。
「かねての正直ぶりに物いわせて、わしのために一生一度の大嘘をついてもらいたい」
こういわれては、美濃もいやとはいいかねた。美濃のほかに、相使いとして、田原伊勢が同行を命ぜられた。伊勢もまた美濃に劣らぬ律義者(りちぎもの)だった。
天正九年五月のなかば、西岡美濃と田原伊勢は、小人数の供をつれて、さみだれの晴れ間を、馬で柳川に向かった。いったん引き受けた以上、どうでも蒲池鎮並に、須古城への伺候を承知させなければならぬ。が、鎮並が果たして、おいそれと招きに応じてくれるかどうか。その不安とは別に、
――殺すに惜しい。
という思いが美濃にはある。
佐嘉(さが)から柳川までは、歩いても半日足らずしかかからない。その日のうちに柳川に着き、翌日、二名の奏者(そうしゃ)にみちびかれて、美濃と伊勢は鎮並に会った。使者が正副二名の場合、奏者も二名つくのがならわしである。口上はおもに美濃が述べた。
ことしの二月、隆信は、家督とともに竜造寺家の本城である佐嘉城を、嫡男の政家に譲り、みずからは佐嘉城の西南およそ三里、またの名を高城ともいう須古城に隠居した。
「そのことは、すでにお聞き及びと存じます。ついては、隠居祝に、近く須古城内において、猿楽(さるがく)を催(もよお)すことに相なりました」
「で、この鎮並にも、須古城へ伺候せよといわれるのだな」
「仰せのとおりでございます。あるじの申しますには、鎮並どのは武勇すぐれたばかりでなく、管絃(かんげん)の名手とも聞き及ぶ。まげてご入来(じゅらい)をお頼みしてまいれとのことにございます」
*この続きは製品版でお楽しみください。
主君の竜造寺隆信に命ぜられた美濃の役目は、筑後柳川(やながわ)城主蒲池(かまち)民部大輔鎮並(しげなみ)を、隆信の居城、肥前須古(すこ)城に伺候(しこう)させるにあった。招きに応ずれば、鎮並は九分九厘死ぬことになる。
日ごろの性分からして、たとえ主君の仰せでも、いやなものはいやと、はっきりいってのける美濃だが、断わる前に、
「その方を使者にえらんだ理由、わかっておろうな」
隆信から先に釘(くぎ)をさされてしまった。武勇やいさぎよさもむろんだが、それ以上に美濃は、真正直さで知られている。美濃のうわさは蒲池鎮並も聞いているはずだった。その美濃を使者に立てれば、鎮並もこちらの意中を疑ったりはすまい。それが隆信のおもわくであった。
「かねての正直ぶりに物いわせて、わしのために一生一度の大嘘をついてもらいたい」
こういわれては、美濃もいやとはいいかねた。美濃のほかに、相使いとして、田原伊勢が同行を命ぜられた。伊勢もまた美濃に劣らぬ律義者(りちぎもの)だった。
天正九年五月のなかば、西岡美濃と田原伊勢は、小人数の供をつれて、さみだれの晴れ間を、馬で柳川に向かった。いったん引き受けた以上、どうでも蒲池鎮並に、須古城への伺候を承知させなければならぬ。が、鎮並が果たして、おいそれと招きに応じてくれるかどうか。その不安とは別に、
――殺すに惜しい。
という思いが美濃にはある。
佐嘉(さが)から柳川までは、歩いても半日足らずしかかからない。その日のうちに柳川に着き、翌日、二名の奏者(そうしゃ)にみちびかれて、美濃と伊勢は鎮並に会った。使者が正副二名の場合、奏者も二名つくのがならわしである。口上はおもに美濃が述べた。
ことしの二月、隆信は、家督とともに竜造寺家の本城である佐嘉城を、嫡男の政家に譲り、みずからは佐嘉城の西南およそ三里、またの名を高城ともいう須古城に隠居した。
「そのことは、すでにお聞き及びと存じます。ついては、隠居祝に、近く須古城内において、猿楽(さるがく)を催(もよお)すことに相なりました」
「で、この鎮並にも、須古城へ伺候せよといわれるのだな」
「仰せのとおりでございます。あるじの申しますには、鎮並どのは武勇すぐれたばかりでなく、管絃(かんげん)の名手とも聞き及ぶ。まげてご入来(じゅらい)をお頼みしてまいれとのことにございます」
*この続きは製品版でお楽しみください。




















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