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著者プロフィール
北 杜夫(きた もりお)
本名・斎藤宗吉。昭和2年(1927)、東京に生まれる。父は歌人の斎藤茂吉。昭和23年、旧制松本高校(理乙)卒業。昭和27年、東北大学医学部卒業。神経科専攻。医学博士。昭和35年「夜と霧の隅で」で芥川賞受賞。同時期に「どくとるマンボウ航海記」を刊行、その名を広く知られる。
「どくとるマンボウ青春記」などのマンボウ・シリーズをはじめ、「楡家の人びと」「木精」「怪盗ジバコ」「まっくらけのけ」など著書多数。
本名・斎藤宗吉。昭和2年(1927)、東京に生まれる。父は歌人の斎藤茂吉。昭和23年、旧制松本高校(理乙)卒業。昭和27年、東北大学医学部卒業。神経科専攻。医学博士。昭和35年「夜と霧の隅で」で芥川賞受賞。同時期に「どくとるマンボウ航海記」を刊行、その名を広く知られる。
「どくとるマンボウ青春記」などのマンボウ・シリーズをはじめ、「楡家の人びと」「木精」「怪盗ジバコ」「まっくらけのけ」など著書多数。
解説
“南海”への昔懐かしい憧れといささかの幻想を胸に、筆者はふらりと飛行機に乗りこんだ。ハワイを振り出しにタヒチ、フィジー、ニューカレドニア、東西サモアと、特別なあてもないまま訪ね歩く小さな島々。異国の人々や日系人たちと出会い、語らい、アオレレ(飛ぶ雲)のように気まぐれでとらえどころのない旅を続けながら、筆者は独特の視点から南の島の姿をとらえてゆく。
思わず吹き出す、どくとるマンボウのユーモアにあふれた気ままな旅行記。
思わず吹き出す、どくとるマンボウのユーモアにあふれた気ままな旅行記。
目次
1 ごくざっと初めに
2 日本国ハワイ州
3 ハワイの自然など
4 タヒチの幻滅
5 タヒチの復活
6 モーレア島の踊りなど
7 英国植民地フィジー
8 人喰いの本場
9 ニューカレドニアの初日
10 閑人の玉遊び
11 古い移民の日本人
12 カヴァの儀式
13 雨を降らす山
14 西サモアの幽霊など
15 旅の終り
後 記
2 日本国ハワイ州
3 ハワイの自然など
4 タヒチの幻滅
5 タヒチの復活
6 モーレア島の踊りなど
7 英国植民地フィジー
8 人喰いの本場
9 ニューカレドニアの初日
10 閑人の玉遊び
11 古い移民の日本人
12 カヴァの儀式
13 雨を降らす山
14 西サモアの幽霊など
15 旅の終り
後 記
抄録
たった一回船に乗っただけなのに、人は私が旅をするというと、ほかの乗物のことを考えてくれない。
「今度はどんな船で?」ときく。
私は申訳なさそうに言う。
「それがどうも、飛行機なんで」
するとみんなは、あきれたように肩をすくめる。その身ぶりは、私が飛行機に乗るとはおよそ不似合いで、私はカビが生えた非近代的な人間であり、私の乗る飛行機はタタリを受けて必ず墜落することを暗示してくれる。
私にしてみても、飛行機は決して好きでない。第一それは速すぎる。地球は狭くなったといわれるが、私はそうは思わない。すべて飛行機によるぺテンである。大体旅というものは、目的地に到着するまでの行程が主体であるべきなのに、飛行機となるといきなり目的地が間隔もなしに現出する。
実際、真夜中に羽田を発つと、うとうととしたかしないうちに、もうハワイに着いている。がたがた震えるほど寒い十二月初旬の日本を発ったのが、空港に降りたつと背広を着た身にはじっとり汗が滲んでくる。たしかにここは外国の筈(はず)だが、といってその実感が彷彿(ほうふつ)と湧いてはこない。
先の航海で、最初の港シンガポールに寄ったとき、私はいよいよ外国にきたぞという感慨で、パンツの紐(ひも)がゆるんだほどだった。白人のあから顔、マライ人の黒い顔、インド人がまいている色とりどりのターバン、すべて私はむさぼるように眺めたものである。同じように、ハワイにも沢山の人種が住んでいる。しかし、どうも日本を離れたという意識がぴんとこない。これは私がいくらかでも旅慣れたせいであろうか。いや、ハワイにいるアメリカ人、カナダ人、ポルトガル人、フィリッピン人、中国人、そういった寄合世帯のなかで、実に日系人が三割以上を占めているせいらしい。
なるほどワイキキの浜辺で、よくもまあ飽きもせず肌を焼くことにのみ専念している白人の男女を眺め、乳いろをおびた緑の沖合に波乗りに興ずる姿を眺め、さらに南国の夜の帳(とば)りが降りると共に原始の色をおびてともりだすかがり火(トーチ)(といっても昔のヤシの葉のトーチではなく、鉄の容器の中に油がはいっているのだ)の焔(ほのお)を眺めていれば、これはたしかに異国である。しかし同じホノルルでも、たとえばダウン・タウンに足を踏みいれれば、行きあう人の顔だちはあまりに私たちになじみのものだ。耳にはいる言葉は英語でもあり、日本語でもあり、そのどちらともつかないこともある。
「ベラベラベラア。アイ・ノー・ライク。マズイカラノウ」
終りのほうは広島弁なのである。
「今度はどんな船で?」ときく。
私は申訳なさそうに言う。
「それがどうも、飛行機なんで」
するとみんなは、あきれたように肩をすくめる。その身ぶりは、私が飛行機に乗るとはおよそ不似合いで、私はカビが生えた非近代的な人間であり、私の乗る飛行機はタタリを受けて必ず墜落することを暗示してくれる。
私にしてみても、飛行機は決して好きでない。第一それは速すぎる。地球は狭くなったといわれるが、私はそうは思わない。すべて飛行機によるぺテンである。大体旅というものは、目的地に到着するまでの行程が主体であるべきなのに、飛行機となるといきなり目的地が間隔もなしに現出する。
実際、真夜中に羽田を発つと、うとうととしたかしないうちに、もうハワイに着いている。がたがた震えるほど寒い十二月初旬の日本を発ったのが、空港に降りたつと背広を着た身にはじっとり汗が滲んでくる。たしかにここは外国の筈(はず)だが、といってその実感が彷彿(ほうふつ)と湧いてはこない。
先の航海で、最初の港シンガポールに寄ったとき、私はいよいよ外国にきたぞという感慨で、パンツの紐(ひも)がゆるんだほどだった。白人のあから顔、マライ人の黒い顔、インド人がまいている色とりどりのターバン、すべて私はむさぼるように眺めたものである。同じように、ハワイにも沢山の人種が住んでいる。しかし、どうも日本を離れたという意識がぴんとこない。これは私がいくらかでも旅慣れたせいであろうか。いや、ハワイにいるアメリカ人、カナダ人、ポルトガル人、フィリッピン人、中国人、そういった寄合世帯のなかで、実に日系人が三割以上を占めているせいらしい。
なるほどワイキキの浜辺で、よくもまあ飽きもせず肌を焼くことにのみ専念している白人の男女を眺め、乳いろをおびた緑の沖合に波乗りに興ずる姿を眺め、さらに南国の夜の帳(とば)りが降りると共に原始の色をおびてともりだすかがり火(トーチ)(といっても昔のヤシの葉のトーチではなく、鉄の容器の中に油がはいっているのだ)の焔(ほのお)を眺めていれば、これはたしかに異国である。しかし同じホノルルでも、たとえばダウン・タウンに足を踏みいれれば、行きあう人の顔だちはあまりに私たちになじみのものだ。耳にはいる言葉は英語でもあり、日本語でもあり、そのどちらともつかないこともある。
「ベラベラベラア。アイ・ノー・ライク。マズイカラノウ」
終りのほうは広島弁なのである。
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