和書>小説・ノンフィクション>文芸>日本文学>近代小説
著者プロフィール
中野 重治(なかの しげはる)
1902〜1979
小説家、評論家。福井県出身。代表作に『むらぎも』、『梨の花』など。
1902〜1979
小説家、評論家。福井県出身。代表作に『むらぎも』、『梨の花』など。
解説
金沢の旧制高校から東京帝大に入学した片口安吉の〈新人会〉での活動を核に、豊潤な感性で描く精神の軌跡。時代の終焉を告げる天皇の死。合同印刷ストライキ。激動の予感を孕みながら展かれてゆくプロレタリア運動。流されるままに流れる〈心〉の襞の光と影。『梨の花』『歌のわかれ』に続く自伝的長篇小説。毎日出版文化賞受賞。
抄録
「家庭教師か。どんなやつが出てくるんだろう……でも、妙なもんだなア。へんだなア、代理の家庭教師なんてもの……」
谷中(やなか)清水町の合宿から、藍染橋(あいぞめばし)の谷間へ一たん降りて、根津(ねず)八重垣町から本郷台へとのぼってきながら、これから出かけて行く追分合宿での仕事のことを、何か照れた気持ちで安吉は頭に浮かべた。
ここいらは三年まえの地震火事をまぬかれて、中古(ちゅうぶる)のカビの生えた、しかし中等の品といった表情で残っている。焼けた大学に向きあって、電車みちのすぐ反対側に町屋並みが残り、そのうしろに、白山(はくさん)から春日町(かすがちょう)へ行く電車みちを高みから見おろして、丸山町へん一帯が、大きな樹木の群れをいくつもかかえこんで、人が冠(かぶ)りものをしたような姿で残っている。灰いろと緑いろとのその下には、旧小名で男爵だのというもの、その成れのはてのようなもの、役人のようなもの、大学教授のようなもの、ちょっとした勤め人といったものが住んでいて、かげの多い通りを歩きながら、ひょいと、活字で知った学者の名を表札に見つけた安吉が、「お、こんなとこに、こんなつつましさで住んでるのだなア……」と思ったこともあったが、いま歩いて行くのは、その樹木でこんもりとした区域ではない。その手まえの、大学にいっそう近い、電車通りにくっついた町屋の区域で、これという目じるしのない路地を裏へはいった、粗末でぶあいそなシモタヤの一軒というところだった。
昼めしを過ぎた時刻で、人通りはどれほどにもない。いま歩いて行く当の追分の区域、そのうしろの丸山町の区域、そのもう一つ向うに、指(さし)ケ谷(や)町、八千代町、柳町へんの貧しい窪地区域のあるのをこの安吉は知っている。清水町と伝通院との往きかえりに、その窪地の、狭い、うねうねした、ほこりの溜まった通りを幾度か通ってもいた。ただ彼は、そこを、路地をひろって、近みちとして通りぬけたのに過ぎなかった。足ばやに通りぬけながら、彼には、そこの一帯に楽しさが見られなかった。かえって、その窪地がもう一度高まって、小石川植物園をのせたあたり、そのへんに一種の楽しさが見だせていた。彼の暮している清水町の合宿、それを入れて上野公園へとつづくそこの高台、それから大学のあるこの第二の高台、それから植物園のある第三の高台、この三つの高台と、それに挟まれた八重垣町の窪地、指ケ谷町、八千代町の窪地の二つの窪地とが、自分の心理に不安定な混雑をあたえているのを安吉自身感じてもいた。
*この続きは製品版でお楽しみください。
谷中(やなか)清水町の合宿から、藍染橋(あいぞめばし)の谷間へ一たん降りて、根津(ねず)八重垣町から本郷台へとのぼってきながら、これから出かけて行く追分合宿での仕事のことを、何か照れた気持ちで安吉は頭に浮かべた。
ここいらは三年まえの地震火事をまぬかれて、中古(ちゅうぶる)のカビの生えた、しかし中等の品といった表情で残っている。焼けた大学に向きあって、電車みちのすぐ反対側に町屋並みが残り、そのうしろに、白山(はくさん)から春日町(かすがちょう)へ行く電車みちを高みから見おろして、丸山町へん一帯が、大きな樹木の群れをいくつもかかえこんで、人が冠(かぶ)りものをしたような姿で残っている。灰いろと緑いろとのその下には、旧小名で男爵だのというもの、その成れのはてのようなもの、役人のようなもの、大学教授のようなもの、ちょっとした勤め人といったものが住んでいて、かげの多い通りを歩きながら、ひょいと、活字で知った学者の名を表札に見つけた安吉が、「お、こんなとこに、こんなつつましさで住んでるのだなア……」と思ったこともあったが、いま歩いて行くのは、その樹木でこんもりとした区域ではない。その手まえの、大学にいっそう近い、電車通りにくっついた町屋の区域で、これという目じるしのない路地を裏へはいった、粗末でぶあいそなシモタヤの一軒というところだった。
昼めしを過ぎた時刻で、人通りはどれほどにもない。いま歩いて行く当の追分の区域、そのうしろの丸山町の区域、そのもう一つ向うに、指(さし)ケ谷(や)町、八千代町、柳町へんの貧しい窪地区域のあるのをこの安吉は知っている。清水町と伝通院との往きかえりに、その窪地の、狭い、うねうねした、ほこりの溜まった通りを幾度か通ってもいた。ただ彼は、そこを、路地をひろって、近みちとして通りぬけたのに過ぎなかった。足ばやに通りぬけながら、彼には、そこの一帯に楽しさが見られなかった。かえって、その窪地がもう一度高まって、小石川植物園をのせたあたり、そのへんに一種の楽しさが見だせていた。彼の暮している清水町の合宿、それを入れて上野公園へとつづくそこの高台、それから大学のあるこの第二の高台、それから植物園のある第三の高台、この三つの高台と、それに挟まれた八重垣町の窪地、指ケ谷町、八千代町の窪地の二つの窪地とが、自分の心理に不安定な混雑をあたえているのを安吉自身感じてもいた。
*この続きは製品版でお楽しみください。




















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