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著者プロフィール
国司 義彦(くにし よしひこ)
学習院大学卒業。日産自動車株式会社を経て、株式会社JMC能力開発センターを設立、代表取締役。現在、日本教育心理学会、日本経営士会会員。経営者、管理者の指導に活躍する一方、早くから「心の豊かさ」「自己実現」を提唱し、『マズローの心理学』(産能大学)の著者F・ゴーブルらと、研究、啓蒙活動を展開。日本における人間性心理学のパイオニアとして、全米にも広く紹介されている。脱・経済優先社会への処方箋『苦悩と混迷を超えて』(F・ゴーブル著 泉分堂)の監訳者でもある。著書に『管理者──成功する五大条件』『社長道』(同文舘)『「問題解決」の基本がわかる本』『問題解決能力の磨き方』(PHP研究所)『人を魅きつけるリーダーの条件』『管理者の仕事』(こう書房)『部下育成の基本』『40代だからできること・すべきこと』(日本能率協会)など多数。
学習院大学卒業。日産自動車株式会社を経て、株式会社JMC能力開発センターを設立、代表取締役。現在、日本教育心理学会、日本経営士会会員。経営者、管理者の指導に活躍する一方、早くから「心の豊かさ」「自己実現」を提唱し、『マズローの心理学』(産能大学)の著者F・ゴーブルらと、研究、啓蒙活動を展開。日本における人間性心理学のパイオニアとして、全米にも広く紹介されている。脱・経済優先社会への処方箋『苦悩と混迷を超えて』(F・ゴーブル著 泉分堂)の監訳者でもある。著書に『管理者──成功する五大条件』『社長道』(同文舘)『「問題解決」の基本がわかる本』『問題解決能力の磨き方』(PHP研究所)『人を魅きつけるリーダーの条件』『管理者の仕事』(こう書房)『部下育成の基本』『40代だからできること・すべきこと』(日本能率協会)など多数。
解説
あなたの生きがいは仕事ですか? しかし、『人間力』のあるリーダーになるためにも、公私ともに充実した日々を送ることは必須です。仕事が生きがいだった著者が、会社人間、仕事人間に同化しないために決行した『ロングステイ』を、仕事一筋のあなたにもお薦めします。仕事以外にも「生きがい」を発見することで、より実りの多い後半生を実現してください。
目次
第1章 人生を考え、自分を見直す「旅」のすすめ
夫婦の旅、一人旅
亡父の足跡をたどる旅
イギリス、イタリア、シェイクスピア、映画の旅
ポートスチーブンス市名誉市民表彰式、世界遺産ロードハウ島を訪ねる旅
第2章 60の手習い
絵心に目覚める――運命の出会いはランドリー室?
初めての油絵
そして第2作――シドニーの春
リーが最愛の人を連れて日本にやってきた
そして再びシドニーへ SYDNEY 2000
エアーズロックの迫力を描く
第3章 生きがい探しの手順
生きがい探し:悩みごと、心配ごとを解消する手がかり
生きがい探し:健康について――健康ではないが、有意義な生き方
第4章 若い世代、シニア世代に贈る言葉
――辛口アドバイスより
「自分」に負けるな
タイムテーブルで実り豊かな後半生を実現しよう
もっとも新しいリーダーシップ
よい会社の選び方――適性発見と自己実現の方法
キャリアが活きる「相談業」――その今日的意義
オーストラリア人定年後の時間割
KEY WORD
第5章 シニアがIT社会をどう生きるか
中高年がITを知ると仕事に生かせる
インターネットで広がるエキサイティングな世界
国際交流にも一役――Eメールを使いこなす
インターネットで本が読める−50代からのインターネット格闘記−
夫婦の旅、一人旅
亡父の足跡をたどる旅
イギリス、イタリア、シェイクスピア、映画の旅
ポートスチーブンス市名誉市民表彰式、世界遺産ロードハウ島を訪ねる旅
第2章 60の手習い
絵心に目覚める――運命の出会いはランドリー室?
初めての油絵
そして第2作――シドニーの春
リーが最愛の人を連れて日本にやってきた
そして再びシドニーへ SYDNEY 2000
エアーズロックの迫力を描く
第3章 生きがい探しの手順
生きがい探し:悩みごと、心配ごとを解消する手がかり
生きがい探し:健康について――健康ではないが、有意義な生き方
第4章 若い世代、シニア世代に贈る言葉
――辛口アドバイスより
「自分」に負けるな
タイムテーブルで実り豊かな後半生を実現しよう
もっとも新しいリーダーシップ
よい会社の選び方――適性発見と自己実現の方法
キャリアが活きる「相談業」――その今日的意義
オーストラリア人定年後の時間割
KEY WORD
第5章 シニアがIT社会をどう生きるか
中高年がITを知ると仕事に生かせる
インターネットで広がるエキサイティングな世界
国際交流にも一役――Eメールを使いこなす
インターネットで本が読める−50代からのインターネット格闘記−
抄録
夫婦の旅、一人旅
○「駆け足旅行」ばかりしていた私
ここに紹介する私の体験談は必ずしもオーストラリア旅行のすすめではありません。
今、旅をする人は年々増えビジネスの出張、慰安旅行、保養、名所旧跡の探訪からグルメの旅までジェット機、新幹線を使っての忙しい旅の中で、「人生を考えながら旅行している人」がはたしてどれだけいることでしょうか。
私も仕事柄これまで旅をする機会が多く、特に国内は北は北海道から南は沖縄まで、ほとんどすべての都道府県に足を運んできました。がそれらの旅は大多数の日本人と同じで「目的のある旅」であり、目的を終えれば直ちに帰路につく、という類いの旅だったような気がします。少なくとも十数年前オーストラリアに出かけるまでは。
そういう目的のある旅でなく、ここでおすすめするような旅の仕方もあるのではないか、と思います。
旅先はどこであれ、人生のある時期にひと味ちがう「旅」をして、できれば「異文化」の世界で滞在し、現地の人々と接してみることによって、私たち自身を見つめ直し、生き方を見直すこともできるのです。
1998年オーストラリアポートスチーブンスの市長、市会議員、ハイスクールの学生ロータリークラブのメンバーからなる約四十名のグループが神奈川県湯河原町を訪れました。そして同町交流会の会員のお宅に分宿ホームステイし、音楽、演劇、郷土芸能、ダンスなどの文化交流の催しとパーティが行われたのです。
この催しは日豪の親善と文化交流に大いに貢献したものと思われます。招待された私は感慨ひとしお、まさに夢見る思いでした。
私ははからずもこの日豪交歓の橋渡しをすることができたからです。十数年前、だれひとり知る人もなく夢大陸オーストラリアに降り立った時まさかこういうことになるとは、思ってもいませんでした。この十数年間には、本当にいろいろなことがありました。
そのひとつひとつをここにご披露するにはとても紙面が足りないので、ここにはそのエッセンスだけを記すことにします。結論を先にいうなら、人と人とのつながりが次第に広がってここまできたことは確かです。決してはじめからこういう意図で旅をしたわけではないのです。
オーストラリアは2000年シドニーオリンピックで、多くの人が、身近に感じられる国になりました。
でも、当時はあまり情報もなくはじめてかけ足旅行をしていた私にはこの国が世界各地から人が夢を抱いて集まり、マルチカルチャーの国を形成していることはよく分かりませんでした。
最初私はオーストラリアに関して「これからの日本のビジネスマンのライフスタイルや老人福祉のあり方、そして自分自身の生き方を見直す手がかりにしよう」と漠然と考えていたにすぎません。そしてとりあえず、つてを頼ってオーストラリアに関わりのある日本人に紹介を依頼し、そこから手がかり探そうとしたのです。
ところが、私が頼りにしていた現地の日本人からすっぽかされて、何もかも自分でやらなけばならないハメに追い込まれました。私は大いに慌て戸惑いましたが、これがその後いろいろな人と知りあうことにつながったのです。人間何が幸いするかわからないものです。
彼らは先を急ぐ私に異口同音にこういいました。
「日本人はどうしてそんなに急いで旅行するのか。ブリスベンで2日、シドニーで2日、メルボルンで2日でもう帰ってしまう。せっかく旅をするならもっとゆっくりすればいのに」と。
ほかならぬ私がまさにそういう旅の途中だったので思わず、苦笑してしまいました。
彼らは、旅をするなら少なくとも一ヵ所に1週間は滞在し、卜ータル1〜3週間の休暇を楽しむという旅のスタイルを常としています。「そんなに長く休暇がとれない」とこのとき私は弁解しました。
最初の年は予定を変更するわけにもいかず、かけ足の旅を終えて帰国しましたが、この年の旅で確かに私の中で「何か」が変わり始めていました。町やホテルで偶然知り合った人と友たちになり再会を約束して帰国したのもこのときでした。
それから10数年経って、友人、知人は数えきれないほどに増えました。
○「駆け足旅行」ばかりしていた私
ここに紹介する私の体験談は必ずしもオーストラリア旅行のすすめではありません。
今、旅をする人は年々増えビジネスの出張、慰安旅行、保養、名所旧跡の探訪からグルメの旅までジェット機、新幹線を使っての忙しい旅の中で、「人生を考えながら旅行している人」がはたしてどれだけいることでしょうか。
私も仕事柄これまで旅をする機会が多く、特に国内は北は北海道から南は沖縄まで、ほとんどすべての都道府県に足を運んできました。がそれらの旅は大多数の日本人と同じで「目的のある旅」であり、目的を終えれば直ちに帰路につく、という類いの旅だったような気がします。少なくとも十数年前オーストラリアに出かけるまでは。
そういう目的のある旅でなく、ここでおすすめするような旅の仕方もあるのではないか、と思います。
旅先はどこであれ、人生のある時期にひと味ちがう「旅」をして、できれば「異文化」の世界で滞在し、現地の人々と接してみることによって、私たち自身を見つめ直し、生き方を見直すこともできるのです。
1998年オーストラリアポートスチーブンスの市長、市会議員、ハイスクールの学生ロータリークラブのメンバーからなる約四十名のグループが神奈川県湯河原町を訪れました。そして同町交流会の会員のお宅に分宿ホームステイし、音楽、演劇、郷土芸能、ダンスなどの文化交流の催しとパーティが行われたのです。
この催しは日豪の親善と文化交流に大いに貢献したものと思われます。招待された私は感慨ひとしお、まさに夢見る思いでした。
私ははからずもこの日豪交歓の橋渡しをすることができたからです。十数年前、だれひとり知る人もなく夢大陸オーストラリアに降り立った時まさかこういうことになるとは、思ってもいませんでした。この十数年間には、本当にいろいろなことがありました。
そのひとつひとつをここにご披露するにはとても紙面が足りないので、ここにはそのエッセンスだけを記すことにします。結論を先にいうなら、人と人とのつながりが次第に広がってここまできたことは確かです。決してはじめからこういう意図で旅をしたわけではないのです。
オーストラリアは2000年シドニーオリンピックで、多くの人が、身近に感じられる国になりました。
でも、当時はあまり情報もなくはじめてかけ足旅行をしていた私にはこの国が世界各地から人が夢を抱いて集まり、マルチカルチャーの国を形成していることはよく分かりませんでした。
最初私はオーストラリアに関して「これからの日本のビジネスマンのライフスタイルや老人福祉のあり方、そして自分自身の生き方を見直す手がかりにしよう」と漠然と考えていたにすぎません。そしてとりあえず、つてを頼ってオーストラリアに関わりのある日本人に紹介を依頼し、そこから手がかり探そうとしたのです。
ところが、私が頼りにしていた現地の日本人からすっぽかされて、何もかも自分でやらなけばならないハメに追い込まれました。私は大いに慌て戸惑いましたが、これがその後いろいろな人と知りあうことにつながったのです。人間何が幸いするかわからないものです。
彼らは先を急ぐ私に異口同音にこういいました。
「日本人はどうしてそんなに急いで旅行するのか。ブリスベンで2日、シドニーで2日、メルボルンで2日でもう帰ってしまう。せっかく旅をするならもっとゆっくりすればいのに」と。
ほかならぬ私がまさにそういう旅の途中だったので思わず、苦笑してしまいました。
彼らは、旅をするなら少なくとも一ヵ所に1週間は滞在し、卜ータル1〜3週間の休暇を楽しむという旅のスタイルを常としています。「そんなに長く休暇がとれない」とこのとき私は弁解しました。
最初の年は予定を変更するわけにもいかず、かけ足の旅を終えて帰国しましたが、この年の旅で確かに私の中で「何か」が変わり始めていました。町やホテルで偶然知り合った人と友たちになり再会を約束して帰国したのもこのときでした。
それから10数年経って、友人、知人は数えきれないほどに増えました。
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