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解説
凄絶ないじめ体験、ボクシングとの出会い、「日本の恥」とまで言われた世界戦敗退から、チャンピオンベルトを掴むまでの感動の軌跡。そして、日本中の注目を浴びてしまった、あの防衛戦……。世界チャンピオン内藤大助の自叙伝。
目次
はじめに
ROUND1
あだ名は、「ボンビー」
ROUND2
神様なんて、絶対にいない
ROUND3
こんな僕でも、強くなっていいんだ
ROUND4
「日本の恥」と呼ばれて
ROUND5
涙に濡れたチャンピオンベルト
ROUND6
試合に勝つこと、自分に勝つこと
FINAL ROUND
強さって、なんだ?
戦績一覧
あとがき
ROUND1
あだ名は、「ボンビー」
ROUND2
神様なんて、絶対にいない
ROUND3
こんな僕でも、強くなっていいんだ
ROUND4
「日本の恥」と呼ばれて
ROUND5
涙に濡れたチャンピオンベルト
ROUND6
試合に勝つこと、自分に勝つこと
FINAL ROUND
強さって、なんだ?
戦績一覧
あとがき
抄録
中学で「ボンビー」というあだ名をつけられるまで、自分の家が貧乏だなんて、思ってもみなかった。
僕は、北海道の洞爺湖(とうやこ)温泉の隣町、内浦湾(うちうらわん)に面する豊浦町(とようらちょう)という所で生まれた。
家の裏にある神社の階段を下りて少し歩くと港があって、明け方寝ていると、出港する漁船のポンポンポン……というエンジン音が聞こえた。
僕の家は、錆(さび)の浮いた波形のトタン板で囲われた、木造2階建て。
2階建てといっても、2階にはおかあの部屋がひと部屋あるだけで、1階に茶の間と流し台、それからシャワーのない追い炊き式のお風呂と、いわゆる和式くみ取りの“ボットン便所”、そして北側に僕と兄貴の子ども部屋があるだけだった。
家の窓は木枠でできていて、キッチリ閉まらない。当然、その隙間から冷たい風が吹き込んでくるので、毎年、冬の前には大きな半透明のビニールを打ち付けて窓をふさいでいた。だから冬の間は、窓を開けても外の景色は見られないし、換気もできない。
茶の間のテレビは、おかあがどこかからもらってきたもので、チャンネルはガチャガチャと回すダイヤル式。屋根のアンテナが壊れていたのか映りが悪く、アンテナ代わりに丸くした針金をテレビのアンテナ端子にかませて使用していた。
トイレは、僕が家の中でいちばん好きな場所だった。
すごく狭かったけれど陽当たりが良く、北向きで陽がまったく入らない僕の部屋とは、比べものにならないくらい快適だった。
昼間、トイレの便座から一段高くなった棚に座って、ぽかぽかしながら、お年玉を切り崩して毎月買っていたマンガ誌『コロコロコミック』をくり返し読むのが、当時の僕の幸せな時間だったのだ。
錆(さ)びたトタン板と、ビニール窓の家。
みてくれは悪いけど、これが普通だと思っていた。なんの不自由も感じなかった。
★
僕のお父さんの記憶は、ほとんどない。
僕が生まれてすぐに離婚したらしく、物心ついたときには、おかあと兄貴、自宅の前の家に住んでいたおばあちゃん、という家族構成だった。
僕が高校生のときにおかあが再婚し、のちに僕も「おとう」と呼ぶことになる、まっちゃんがよく来てはいたけど、父親がいないことに対して、そんなに不思議には思っていなかった気がする。
その当時、僕は母方の姓を名乗り「太田大助(おおただいすけ)」だった。
母子家庭だったわが家は、おかあが自宅の離れで食堂兼民宿を営み、朝から晩まで忙しくしていた。
おかあは本当に厳しい人で、僕と兄貴にとって、とても怖い存在だった。
夜8時を過ぎたころ、民宿『旭(あさひ)』の仕事が落ち着くと、おかあからインターホンで呼び出しがかかる。
*この続きは製品版でお楽しみください。
僕は、北海道の洞爺湖(とうやこ)温泉の隣町、内浦湾(うちうらわん)に面する豊浦町(とようらちょう)という所で生まれた。
家の裏にある神社の階段を下りて少し歩くと港があって、明け方寝ていると、出港する漁船のポンポンポン……というエンジン音が聞こえた。
僕の家は、錆(さび)の浮いた波形のトタン板で囲われた、木造2階建て。
2階建てといっても、2階にはおかあの部屋がひと部屋あるだけで、1階に茶の間と流し台、それからシャワーのない追い炊き式のお風呂と、いわゆる和式くみ取りの“ボットン便所”、そして北側に僕と兄貴の子ども部屋があるだけだった。
家の窓は木枠でできていて、キッチリ閉まらない。当然、その隙間から冷たい風が吹き込んでくるので、毎年、冬の前には大きな半透明のビニールを打ち付けて窓をふさいでいた。だから冬の間は、窓を開けても外の景色は見られないし、換気もできない。
茶の間のテレビは、おかあがどこかからもらってきたもので、チャンネルはガチャガチャと回すダイヤル式。屋根のアンテナが壊れていたのか映りが悪く、アンテナ代わりに丸くした針金をテレビのアンテナ端子にかませて使用していた。
トイレは、僕が家の中でいちばん好きな場所だった。
すごく狭かったけれど陽当たりが良く、北向きで陽がまったく入らない僕の部屋とは、比べものにならないくらい快適だった。
昼間、トイレの便座から一段高くなった棚に座って、ぽかぽかしながら、お年玉を切り崩して毎月買っていたマンガ誌『コロコロコミック』をくり返し読むのが、当時の僕の幸せな時間だったのだ。
錆(さ)びたトタン板と、ビニール窓の家。
みてくれは悪いけど、これが普通だと思っていた。なんの不自由も感じなかった。
★
僕のお父さんの記憶は、ほとんどない。
僕が生まれてすぐに離婚したらしく、物心ついたときには、おかあと兄貴、自宅の前の家に住んでいたおばあちゃん、という家族構成だった。
僕が高校生のときにおかあが再婚し、のちに僕も「おとう」と呼ぶことになる、まっちゃんがよく来てはいたけど、父親がいないことに対して、そんなに不思議には思っていなかった気がする。
その当時、僕は母方の姓を名乗り「太田大助(おおただいすけ)」だった。
母子家庭だったわが家は、おかあが自宅の離れで食堂兼民宿を営み、朝から晩まで忙しくしていた。
おかあは本当に厳しい人で、僕と兄貴にとって、とても怖い存在だった。
夜8時を過ぎたころ、民宿『旭(あさひ)』の仕事が落ち着くと、おかあからインターホンで呼び出しがかかる。
*この続きは製品版でお楽しみください。




















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