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著者プロフィール
宮崎 康平(みやざき こうへい)
1917〜1980
長崎県生まれ。早稲田大学文学部卒業。元島原鉄道代表取締役。文学の道を志すも、兄の戦死により、帰郷、家業を継ぐ。三十代前半で失明。1965年、「まぼろしの邪馬台国」を「九州文学」に連載開始。1967年、同書で第一回吉川英治賞を、夫婦で受賞。晩年、長崎・土と文化の会会長などを務める。1980年、死去。
1917〜1980
長崎県生まれ。早稲田大学文学部卒業。元島原鉄道代表取締役。文学の道を志すも、兄の戦死により、帰郷、家業を継ぐ。三十代前半で失明。1965年、「まぼろしの邪馬台国」を「九州文学」に連載開始。1967年、同書で第一回吉川英治賞を、夫婦で受賞。晩年、長崎・土と文化の会会長などを務める。1980年、死去。
解説
「本書は考えようでは、妻とともに手さぐりで生き抜いた私の生活記録である」。失明した著者が本書の冒頭でこう書いていたように「邪馬台国はどこか」を探るため、妻・和子に古文書を読んでもらい、筆記してもらい、ともに研究に現地調査に赴いた。二人三脚の結晶が本書なのだ。〈第1回吉川英治文化賞受賞作〉
目次
第一章 音表で解釈しなければ解けぬ記紀の謎
一 失明は天与の命
二 意外な記紀の謎
三 古代史とバナナ
第二章 米栽培の二つの流れ
一 バナナと私
二 オリザ・サチヴァ・ヤポニカ
三 押潮灌漑法とクマ農業
第三章 日の国と筑紫の国の出現
一 日の意味は太陽ではない
二 筑紫とは
三 国文学への提言
第四章 眼底にうつるふるさとの映像
一 嵐をよぶ壁画
二 三千年めの光
三 日本最大の支石墓群
四 鉄鏃への疑惑
五 手さぐりで発見した前期古墳
第五章 帆柱の文化
一 天に向かって造られた前方後円墳
二 白秋詩碑
三 詩碑と古墳
四 古墳築造の秘密
五 地上に移された帆柱
第六章 妻が作った私の地図
一 火の雲
二 遠賀川
第七章 黄金に魅せられた古代人たち
一 サの神
二 銅鐸と神籠石
三 黄金の夢
第八章 考古学への失望と期待
一 邪馬台国を捜すのに考古学は頼りになるか
二 副葬品に対する考え方の限界
三 盗掘された古墳
四 わざわいする学説
第九章 邪馬台国を捜すための基本条件
一 自説のための倭人伝
二 邪馬台国の語義
三 不十分な統属国研究
第十章 海道の国々
一 国名解釈のアプローチ
二 狗邪韓国
三 対馬国
四 一大国
付録 三国志魏書巻三〇烏丸鮮卑東夷伝倭人の条(通称、魏志倭人伝)
長崎県の弥生期の遺跡
長崎県の古墳
年譜
一 失明は天与の命
二 意外な記紀の謎
三 古代史とバナナ
第二章 米栽培の二つの流れ
一 バナナと私
二 オリザ・サチヴァ・ヤポニカ
三 押潮灌漑法とクマ農業
第三章 日の国と筑紫の国の出現
一 日の意味は太陽ではない
二 筑紫とは
三 国文学への提言
第四章 眼底にうつるふるさとの映像
一 嵐をよぶ壁画
二 三千年めの光
三 日本最大の支石墓群
四 鉄鏃への疑惑
五 手さぐりで発見した前期古墳
第五章 帆柱の文化
一 天に向かって造られた前方後円墳
二 白秋詩碑
三 詩碑と古墳
四 古墳築造の秘密
五 地上に移された帆柱
第六章 妻が作った私の地図
一 火の雲
二 遠賀川
第七章 黄金に魅せられた古代人たち
一 サの神
二 銅鐸と神籠石
三 黄金の夢
第八章 考古学への失望と期待
一 邪馬台国を捜すのに考古学は頼りになるか
二 副葬品に対する考え方の限界
三 盗掘された古墳
四 わざわいする学説
第九章 邪馬台国を捜すための基本条件
一 自説のための倭人伝
二 邪馬台国の語義
三 不十分な統属国研究
第十章 海道の国々
一 国名解釈のアプローチ
二 狗邪韓国
三 対馬国
四 一大国
付録 三国志魏書巻三〇烏丸鮮卑東夷伝倭人の条(通称、魏志倭人伝)
長崎県の弥生期の遺跡
長崎県の古墳
年譜
抄録
私の邪馬台国追求は、魏志倭人伝に邪馬台国が記されているから邪馬台国を捜すのだ、といった形式の、歴史のジャンルとしてではなく、私自身が生きるために、自己への対決として出発した、いわば持てる生命とからだをぶっつけたささやかな文学のモチーフである。というのは、失明という、人生にとって最も不幸な体験を私が余儀なくされたからだ。
それは三十年前であった。突如として襲った霧の世界の恐怖に、やっとの思いでその日の命の峠を越えていたころである。運の悪いときには悪いことが重なるものだ。妻には乳呑み児を置いて出てゆかれるし、おまけに、当時吹きまくったドッジ旋風のあおりをくって、数千万円の保証までかぶった。何度か自殺もしかけたが、そのつど、危機から私を救ってくれたものは、なんと原爆当時の長崎の幻影だった。累々と道端にころがった黒こげの死体、鼻をつく異臭、カラスが群がって死肉をついばんでいる光景。くずれ落ちた民家のかげには、大やけどを負ってゴムまりのようにふくれ上がった顔の負傷者が、ヨダレを垂らして、しゃがみこんでいる。しかも、まだ生きているその目には、うじ虫がはいまわっていた――。
こんな情景をまざまざと思いうかべては、私はぞっとして思わず自分の目のまわりをさすってみた。すると私の目にはまだうじ虫ははいまわっていない。光は失っても自分は完全に生きているのだと思うと、ふしぎに生命感のようなものがわいた。
それは絶望の底からいっさいのものを突き上げ、民族的な悲哀をのりこえようとする孤独感でもあった。私はやがてこんなことを繰り返すうちに、戦死者や傷ついたより多くの人々の不幸を知るに及んで、不幸が自分だけのものではないことを知るようになった。歯をくいしばって、夜泣きする子をオロロンオロロンとあやしながら、「島原の子守唄」を作ったのもこのころである。
*この続きは製品版でお楽しみください。
それは三十年前であった。突如として襲った霧の世界の恐怖に、やっとの思いでその日の命の峠を越えていたころである。運の悪いときには悪いことが重なるものだ。妻には乳呑み児を置いて出てゆかれるし、おまけに、当時吹きまくったドッジ旋風のあおりをくって、数千万円の保証までかぶった。何度か自殺もしかけたが、そのつど、危機から私を救ってくれたものは、なんと原爆当時の長崎の幻影だった。累々と道端にころがった黒こげの死体、鼻をつく異臭、カラスが群がって死肉をついばんでいる光景。くずれ落ちた民家のかげには、大やけどを負ってゴムまりのようにふくれ上がった顔の負傷者が、ヨダレを垂らして、しゃがみこんでいる。しかも、まだ生きているその目には、うじ虫がはいまわっていた――。
こんな情景をまざまざと思いうかべては、私はぞっとして思わず自分の目のまわりをさすってみた。すると私の目にはまだうじ虫ははいまわっていない。光は失っても自分は完全に生きているのだと思うと、ふしぎに生命感のようなものがわいた。
それは絶望の底からいっさいのものを突き上げ、民族的な悲哀をのりこえようとする孤独感でもあった。私はやがてこんなことを繰り返すうちに、戦死者や傷ついたより多くの人々の不幸を知るに及んで、不幸が自分だけのものではないことを知るようになった。歯をくいしばって、夜泣きする子をオロロンオロロンとあやしながら、「島原の子守唄」を作ったのもこのころである。
*この続きは製品版でお楽しみください。




















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