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著者プロフィール
高橋 治(たかはし おさむ)
1929〜
千葉県生まれ。東京大学文学部国文学科卒業。映画会社松竹に入社。1960年より、監督作品を発表するかたわら、戯曲を執筆。1965年退社後、本格的に作家活動に入る。 1984年、『秘伝』で直木賞、1988年、『名もなき道を』『別れてのちの恋歌』で柴田錬三郎賞、1996年、『星の衣』で吉川英治文学賞を受賞。
1929〜
千葉県生まれ。東京大学文学部国文学科卒業。映画会社松竹に入社。1960年より、監督作品を発表するかたわら、戯曲を執筆。1965年退社後、本格的に作家活動に入る。 1984年、『秘伝』で直木賞、1988年、『名もなき道を』『別れてのちの恋歌』で柴田錬三郎賞、1996年、『星の衣』で吉川英治文学賞を受賞。
解説
みずみずしい言葉と感性。いま、古典が甦る! 第一線で活躍する作家が手がけた古典現代語訳の決定版シリーズ! 『奥の細道』ほか近世俳句の最適入門書。 五・七・五に凝縮されたことばのきらめき! 芭蕉の『奥の細道』ほか、『山中三吟両吟歌仙』、蕪村の俳詩など近世名句の数々を、高橋流解釈とともに味わう!
目次
おくのほそ道
一 序章
二 旅立ち
三 草加
四 室の八島
五 仏五左衛門
六 日光
七 那須
八 黒羽
……他
山中三吟両吟歌仙
与謝蕪村俳詩
春風馬堤曲
北寿老仙をいたむ
近世名句
俳句・詩歌さくいん
一 序章
二 旅立ち
三 草加
四 室の八島
五 仏五左衛門
六 日光
七 那須
八 黒羽
……他
山中三吟両吟歌仙
与謝蕪村俳詩
春風馬堤曲
北寿老仙をいたむ
近世名句
俳句・詩歌さくいん
抄録
月日は百代の過客にして、行きかふ(う)年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへ(え)て老いを迎ふ(う)る者は、日々旅にして、旅を栖とす。
松尾芭蕉のいちばんの傑作だといわれる『おくのほそ道』は、こう書き出されている。『源氏物語』『平家物語』『方丈記』『徒然草』などの書き出しが、たくさんの人たちに愛されて、暗誦されたように、『おくのほそ道』の書き出しがわすれられないという人も多い。
やさしい現代語に大胆に書きなおすと、こういうことを芭蕉はいいたかったのではないかと考えられる。
年、月、日といった時間は、限りないひろがりと、永遠につづく宇宙から見れば、旅行者のようなものだ。きては去り、去っては新しいものがおとずれる。人間も時間と似たようなもので、船頭も馬子も、舟や馬を相手にして、人生という時間の中を旅していく。つまり、旅の中に生活しているともいえるだろう。
古人も多く旅に死せるあり。
古人は、もう遠い昔に亡くなった人という意味で、芭蕉はだれとだれだとは書いていない。しかし、芭蕉の生きかたや、芭蕉の作品に見られる影響から、中国の李白、杜甫、日本の西行や、宗祇などの詩人たちだと考えられている。
芭蕉はこれらの詩人たちの作品をひじょうに愛し、自分も詩人として、一歩でもこういった先人の世界に近づきたいと努力した。
たまたま、これらの人々は旅行中に死んだ。芭蕉も『おくのほそ道』の旅をぶじに終えて、二年ほど関西に住んだのち、江戸に帰る。しかし、三年近く江戸にいただけで、元禄七(一六九四)年夏、九州を目ざす旅に出発し、そのとちゅう、大坂ではげしい下痢をする病気にかかって死ぬ。
あこがれた古人たちと同じ旅行中の死だった。
旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる
が辞世の句で、「旅」のことばが句の中にあるとおり、ある意味では、旅こそ人生であるとの芭蕉の人生観が、そのまま全うされた生涯だった。
時間は宇宙の中の旅人、人生は時間をさすらう旅人といっているとおり、芭蕉は一生のあいだになん度も旅をして、そのことを書きつづった多くの紀行文の傑作を残した。
『野ざらし紀行』『鹿島紀行』『笈の小文』『更科紀行』などである。その『野ざらし紀行』の旅に出かけるときに、芭蕉はつぎの句を残している。
野ざらしを心に風のしむ身かな
野ざらしとは、どこのだれとも知れない人が、死んで白骨になり、野天にさらされているという意味である。つまり、自分もいつそんな死にかたをするかわからないとの覚悟が句に詠みこまれている。
芭蕉の時代の旅は、旅行手段や宿泊設備もととのっていないし、通信方法、医療施設もごく貧弱なものだった。そのうえ、山越えなどの旅の難所には、数多くの盗賊の伝説が残っていることからもわかるとおり、つねに危険と背中合わせであることを覚悟しなければならない。
それでも芭蕉は旅へのあこがれにつき動かされ、晩年の約十年のあいだに旅をくりかえし、『おくのほそ道』をふくめた五冊の紀行文を残すことになった。
*この続きは製品版でお楽しみください。
松尾芭蕉のいちばんの傑作だといわれる『おくのほそ道』は、こう書き出されている。『源氏物語』『平家物語』『方丈記』『徒然草』などの書き出しが、たくさんの人たちに愛されて、暗誦されたように、『おくのほそ道』の書き出しがわすれられないという人も多い。
やさしい現代語に大胆に書きなおすと、こういうことを芭蕉はいいたかったのではないかと考えられる。
年、月、日といった時間は、限りないひろがりと、永遠につづく宇宙から見れば、旅行者のようなものだ。きては去り、去っては新しいものがおとずれる。人間も時間と似たようなもので、船頭も馬子も、舟や馬を相手にして、人生という時間の中を旅していく。つまり、旅の中に生活しているともいえるだろう。
古人も多く旅に死せるあり。
古人は、もう遠い昔に亡くなった人という意味で、芭蕉はだれとだれだとは書いていない。しかし、芭蕉の生きかたや、芭蕉の作品に見られる影響から、中国の李白、杜甫、日本の西行や、宗祇などの詩人たちだと考えられている。
芭蕉はこれらの詩人たちの作品をひじょうに愛し、自分も詩人として、一歩でもこういった先人の世界に近づきたいと努力した。
たまたま、これらの人々は旅行中に死んだ。芭蕉も『おくのほそ道』の旅をぶじに終えて、二年ほど関西に住んだのち、江戸に帰る。しかし、三年近く江戸にいただけで、元禄七(一六九四)年夏、九州を目ざす旅に出発し、そのとちゅう、大坂ではげしい下痢をする病気にかかって死ぬ。
あこがれた古人たちと同じ旅行中の死だった。
旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる
が辞世の句で、「旅」のことばが句の中にあるとおり、ある意味では、旅こそ人生であるとの芭蕉の人生観が、そのまま全うされた生涯だった。
時間は宇宙の中の旅人、人生は時間をさすらう旅人といっているとおり、芭蕉は一生のあいだになん度も旅をして、そのことを書きつづった多くの紀行文の傑作を残した。
『野ざらし紀行』『鹿島紀行』『笈の小文』『更科紀行』などである。その『野ざらし紀行』の旅に出かけるときに、芭蕉はつぎの句を残している。
野ざらしを心に風のしむ身かな
野ざらしとは、どこのだれとも知れない人が、死んで白骨になり、野天にさらされているという意味である。つまり、自分もいつそんな死にかたをするかわからないとの覚悟が句に詠みこまれている。
芭蕉の時代の旅は、旅行手段や宿泊設備もととのっていないし、通信方法、医療施設もごく貧弱なものだった。そのうえ、山越えなどの旅の難所には、数多くの盗賊の伝説が残っていることからもわかるとおり、つねに危険と背中合わせであることを覚悟しなければならない。
それでも芭蕉は旅へのあこがれにつき動かされ、晩年の約十年のあいだに旅をくりかえし、『おくのほそ道』をふくめた五冊の紀行文を残すことになった。
*この続きは製品版でお楽しみください。




















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