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解説
故郷を離れ十年、紺野は幼い恋とひどい別れを未だに忘れられずにいた。つらく苦々しい過去の記憶を残す紺野の元へ、突然、かつての恋人だった森尾が訪ねてくる。会いたくないと思いながらも変わらない森尾の姿にどうしようもなく惹かれ、次第に距離が縮まっていく。やり直したいと言う森尾に、心に傷を残す紺野は、期限つきの関係ならと承諾するが……。
※ 本文にイラストは含まれていません。
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目次
昔の彼に逢えたら
あとがき
あとがき
抄録
(でも――)
それでも、つらい。絶望の中でただ一つ残っていた柔らかい気持ちが、あのとき砕けて散っていったのだ。
「十年まえ、悪かった」
紺野の気持ちを知ってか知らずか、森尾はぽつんと呟くように言った。
びくりと肩が揺れる。
(今さら、言うな)
ひき攣る顔に、紺野は無理やり笑みをつくった。
「いいよ、もう。昔の話だろ」
「おまえがいなくなるなんて、知らなかったんだ」
「だーから昔の話だって。悪いと思ってるんだったら、いっぱい注文して? 最近、暑いせいで客足少なくて売りあげきついんだよ」
わざと軽さを装って告げると、森尾が小さく苦笑した。
なにも言うな。思いださせるな。昔の話を持ちだされて、嬉しいことなど一つもない。せめて懐かしい友人の顔だけしてみせて、近況でも告げて、この場からいなくなってくれ。
紺野の願いはそれだけだ。
「なにが美味い?」
「店長自慢の日本酒。あの人、料理の腕もいいんだけど、今いなくてね」
「おまえがメシつくってるのか」
「残念ながらね。これでも免許も持ってるし、そんなに悪くないと思うよ。まあでも、来る時期ちょっと間違えたね」
もう少しあとだったら、野方も帰ってきていただろう。紺野が言うと、森尾は「いや」と否定した。
「俺は、おまえに会えればそれでよかったからな。店長さんとやらの留守中でおまえのつくったメシが食えるなら、そっちのほうがよさそうだ」
「……あぁ、そう。友情ってありがたいね」
あえて友情と言った。どうせ、森尾とはつきあっていた時間より友人でいた時間のほうがずっと長い。彼が密だったあのころをどう思っているかわからないから、自分たちのあいだにあったのは友情だけだと言っておいたほうがいいだろう。
「引っ越しの理由、家庭の事情だって聞いた」
「そう?」
紺野の思惑に反して、森尾はかつての話を切りあげるつもりはないらしい。紺野はぎゅっと奥歯を噛みしめた。
「卒業するとき、しつこく粘って担任から聞きだしたんだ。どうしても連絡とりたいからって頼んだが、住所までは教えてくれなかったし、それ以上はなにも聞きだせなかった」
「簡単な話だよ。うち、親の仲がまずくてね。ずっと揉めてて、そんで離婚することになったんで、俺と母親が祖父さんのところへ引っ越したってわけ」
意外と担任の口は堅かったようだ。個人情報がどうのと煩くなった昨今ではなく、十年もまえだったのに、紺野の頼みを聞きいれてくれていたようだ。
もう顔も思いだせなくなった担任教師に、心の中でひそかに感謝する。
「そうか」
「うん。嫌なもんだね、自分で自分の生活すら決められないってのはさ」
どれほど抗っても弱い。周りを頼ることでしか生きていけないのはつらい。あのときは、一刻も早くおとなになりたかった。誰も頼らずに生きていけるようになりたかった。
高校を中退したまま、他の学校へ入りなおそうとしなかったのもそのためだ。
「やだな、森尾まで暗くなるなよ。俺はこうやって暢気に生きてるし、もう十年も昔のことだろ? 時効だよ時効」
からからと笑ってみせるのに、どれほどの気力がいることか。
「篠田、ちょっとここいいかな。俺、鍋見てこないと」
笑ってみせるのも限界だった。紺野は詰まる喉をこらえて声を絞りだし、篠田を頼んでカウンターを任せる。できるだけ普通の顔をしたまま、厨房へと逃げこんだ。
(こんなの――)
こんなの、反則だ。今ごろになって、どうして現れる。せっかく、今度こそ忘れようと郷里のあの駅で決意したばかりだというのに。
忙しなくも穏やかな日常にまぎれてしまえば、かつての痛みなど思いかえしたりはしない。この十年、かたときも森尾のことを忘れなかったなんて言うつもりもない。むしろ、夏に郷里に帰るまで、とうに忘れたつもりでいたのだ。
他の相手に恋もしたし、深くつきあいもした。長く緩やかな恋も、短くも濃厚な恋も経験して、今の紺野がここにいる。
けれどそうしてすごしてきた年月を、森尾は一瞬で吹きとばしてしまうのだ。
森尾を恨んでいたのか、ずっと恋をしていたのか、今はそれすらわからない。
(あんな形で終わったから、未だに引きずってるだけだ)
*この続きは製品版でお楽しみください。
それでも、つらい。絶望の中でただ一つ残っていた柔らかい気持ちが、あのとき砕けて散っていったのだ。
「十年まえ、悪かった」
紺野の気持ちを知ってか知らずか、森尾はぽつんと呟くように言った。
びくりと肩が揺れる。
(今さら、言うな)
ひき攣る顔に、紺野は無理やり笑みをつくった。
「いいよ、もう。昔の話だろ」
「おまえがいなくなるなんて、知らなかったんだ」
「だーから昔の話だって。悪いと思ってるんだったら、いっぱい注文して? 最近、暑いせいで客足少なくて売りあげきついんだよ」
わざと軽さを装って告げると、森尾が小さく苦笑した。
なにも言うな。思いださせるな。昔の話を持ちだされて、嬉しいことなど一つもない。せめて懐かしい友人の顔だけしてみせて、近況でも告げて、この場からいなくなってくれ。
紺野の願いはそれだけだ。
「なにが美味い?」
「店長自慢の日本酒。あの人、料理の腕もいいんだけど、今いなくてね」
「おまえがメシつくってるのか」
「残念ながらね。これでも免許も持ってるし、そんなに悪くないと思うよ。まあでも、来る時期ちょっと間違えたね」
もう少しあとだったら、野方も帰ってきていただろう。紺野が言うと、森尾は「いや」と否定した。
「俺は、おまえに会えればそれでよかったからな。店長さんとやらの留守中でおまえのつくったメシが食えるなら、そっちのほうがよさそうだ」
「……あぁ、そう。友情ってありがたいね」
あえて友情と言った。どうせ、森尾とはつきあっていた時間より友人でいた時間のほうがずっと長い。彼が密だったあのころをどう思っているかわからないから、自分たちのあいだにあったのは友情だけだと言っておいたほうがいいだろう。
「引っ越しの理由、家庭の事情だって聞いた」
「そう?」
紺野の思惑に反して、森尾はかつての話を切りあげるつもりはないらしい。紺野はぎゅっと奥歯を噛みしめた。
「卒業するとき、しつこく粘って担任から聞きだしたんだ。どうしても連絡とりたいからって頼んだが、住所までは教えてくれなかったし、それ以上はなにも聞きだせなかった」
「簡単な話だよ。うち、親の仲がまずくてね。ずっと揉めてて、そんで離婚することになったんで、俺と母親が祖父さんのところへ引っ越したってわけ」
意外と担任の口は堅かったようだ。個人情報がどうのと煩くなった昨今ではなく、十年もまえだったのに、紺野の頼みを聞きいれてくれていたようだ。
もう顔も思いだせなくなった担任教師に、心の中でひそかに感謝する。
「そうか」
「うん。嫌なもんだね、自分で自分の生活すら決められないってのはさ」
どれほど抗っても弱い。周りを頼ることでしか生きていけないのはつらい。あのときは、一刻も早くおとなになりたかった。誰も頼らずに生きていけるようになりたかった。
高校を中退したまま、他の学校へ入りなおそうとしなかったのもそのためだ。
「やだな、森尾まで暗くなるなよ。俺はこうやって暢気に生きてるし、もう十年も昔のことだろ? 時効だよ時効」
からからと笑ってみせるのに、どれほどの気力がいることか。
「篠田、ちょっとここいいかな。俺、鍋見てこないと」
笑ってみせるのも限界だった。紺野は詰まる喉をこらえて声を絞りだし、篠田を頼んでカウンターを任せる。できるだけ普通の顔をしたまま、厨房へと逃げこんだ。
(こんなの――)
こんなの、反則だ。今ごろになって、どうして現れる。せっかく、今度こそ忘れようと郷里のあの駅で決意したばかりだというのに。
忙しなくも穏やかな日常にまぎれてしまえば、かつての痛みなど思いかえしたりはしない。この十年、かたときも森尾のことを忘れなかったなんて言うつもりもない。むしろ、夏に郷里に帰るまで、とうに忘れたつもりでいたのだ。
他の相手に恋もしたし、深くつきあいもした。長く緩やかな恋も、短くも濃厚な恋も経験して、今の紺野がここにいる。
けれどそうしてすごしてきた年月を、森尾は一瞬で吹きとばしてしまうのだ。
森尾を恨んでいたのか、ずっと恋をしていたのか、今はそれすらわからない。
(あんな形で終わったから、未だに引きずってるだけだ)
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