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プロジェクトX 挑戦者たち 思いは国境を越えた 液晶 執念の対決/瀬戸際のリーダー・大勝負

プロジェクトX 挑戦者たち 思いは国境を越えた 液晶 執念の対決/瀬戸際のリーダー・大勝負

著: NHK「プロジェクトX」制作班
発行: 日本放送出版協会
シリーズ: プロジェクトX 挑戦者たち
価格:105円(税込)
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対応端末:パソコン ソニー“Reader”
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解説

 携帯電話、ノートパソコン、デジタル時計の掲示板……、いまや、われわれの生活は「液晶」に囲まれているといって過言ではない。消費電力を従来の100分の1にするという液晶ディスプレイは、エレクトロニクスの世界に一大革命を起こした。
 この「液晶」の実用化に世界ではじめて成功したのは、シャープ株式会社。しかしその技術者たちは、順風満帆のサラリーマン生活を送ってきたわけではなかった。
 リーダーは技術者失格の烙印を押され、開発の最前線から外されていた男・和田富夫。和田たちは、気の遠くなるような実験を繰り返したが、思うような成果が出ない……。プロジェクトは解散の手前まで追い詰められる。
 そのころシャープの独壇場だった卓上計算機も、カシオをはじめとする他社にシェアを奪われつつあった。
 瀬戸際のプロジェクトの大勝負、それは計算機のディスプレイに液晶を採用させることだった……。
 夢の表示装置・液晶の実用化にこぎつけた、技術者たちの逆転のドラマ。

目次

一 夢の表示装置、液晶ディスプレイ
ニ 液晶と運命的な出会い
三 迷路をさまよう液晶プロジェクト
四 瀬戸際のリーダーの大勝負

抄録

一 開発チームの明と暗


 夢の表示装置、液晶ディスプレイ


 ここ一〇年、世界の街角の風景は大きく変わった。
 雑踏のなか、ぶらぶらと歩きながら携帯電話で話をする若者たちの姿は、どこの都市でも日常的な光景になった。ビジネスマンもまた、携帯電話片手に街頭で商談を行い、電車に乗れば、膝に載せたノートパソコンに向かう。その傍らには、メールのチェックに余念のない学生や、携帯ゲーム機に夢中の子どもたち。
 かつて、家のなかでしか使えなかった電子機器が、いま、猛烈な勢いで屋外に飛び出している。同時に、「モバイル」という聞き慣れなかった言葉が、あっという間に市民権を得てしまった。戸外でも不自由することなく使えるかどうか――それが現代の電子機器、とりわけ情報通信関連機器にとって欠かすことのできない条件となっているのだ。
 屋外に放たれた電子機器を支えているのが、日本が生み出した表示装置「液晶ディスプレイ」である。薄くて、軽くて、省電力。この三つの特性を持つ液晶表示の技術が実用化されたことによって、様々な電子機器の「モバイル化」が実現した。
 いまや、われわれの生活は「液晶」に囲まれているといっても過言ではない。携帯電話やノートパソコンはいうに及ばず、ビデオデッキの時刻やチャンネルの表示部分、デジタル時計の文字盤、ファクシミリの番号表示、カーナビゲーションシステムの画面、ビデオカメラやデジタルカメラのファインダー。そして、最近急速に進歩している超薄型の液晶テレビ……。現在、液晶ディスプレイの市場規模は全世界で年間二兆円にまで拡大している。
 この夢の表示装置を世界で初めて実用化したのは、日本のシャープ株式会社だった。昭和四八(一九七三)年、電卓の数字を表示する部分に、開発したばかりの世界初の液晶ディスプレイを用いた。これは消費電力を従来の一〇〇分の一にするという画期的なもので、以後、液晶は、エレクトロニクスの世界に一大革命を起こしていくことになる。
 この未知の技術に挑み、見事、開発に成功したのは、シャープのなかでも、日のあたらない場所にいた、わずか一二人の技術者たちであった。リーダーは技術者失格の烙印を押され、開発の最前線から外されていた男。メンバーには一人として、際立った功績を持つ者はおらず、そのうち二人は入社したばかりの新人だった。
 この吹き溜まりのようなプロジェクトが、世界初の画期的な技術を生み出したその陰には、どん底のなかで、サラリーマン生活の逆転を賭けて大勝負に出た技術者たちの、知られざるドラマがあった。


 家電の時代と新製品開発競争


 戦後日本にとって、もっともエポックメイキングな年、昭和三九(一九六四)年。
 オリンピック景気に沸く日本は、高度経済成長の階段を息もつかずに駆け上がっていた。「もはや戦後ではない」といわれてから八年、平均収入は、急激な右肩上がりのカーブを描き、人々は「豊かさの時代」を謳歌していた。
 豊かさの象徴と呼ばれていたのが、次々と登場する新しい家庭電化製品である。
「三種の神器」といわれた白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫に始まり、昭和三五(一九六〇)年ごろには、カラーテレビ、クーラー、ステレオが登場。さらに、ラジオにはFMが加わり、洗濯機は脱水装置付き、冷蔵庫は冷凍庫付きと、新たな技術開発が日進月歩で進んだ。
 家電製品を一つ買いそろえるごとに生活レベルが一ランク上がると誰もが信じ、事実、新製品は爆発的に売れた。昭和三二(一九五七)年にわずか七・八パーセントだった白黒テレビの普及率は、皇太子と美智子妃のロイヤルウェディングのおかげもあって、昭和三九(一九六四)年には、九〇パーセントを超えた。まさに家電の時代である。
 増収増益を続ける家電メーカーは、時代の寵児ともてはやされていた。戦前からの老舗、松下電器、東芝、日立、そして、日本初のトランジスタラジオで台頭目覚ましい新興のソニー……。過熱気味ともいえる家電ブームの陰では、各メーカーによる熾烈な新製品開発競争が繰り広げられていた。
 そのころ、大阪に家電業界で話題の中堅電機メーカーがあった。売上高が業界七位の早川電機工業、のちのシャープである。創業者の早川徳次社長は、世界初の「金属繰り出し鉛筆」、いわゆるシャープペンシルを発明した叩き上げの技術者。口癖は、「よそが真似をしてくれる製品をつくれ」で、その叱咤どおり、早川電機は独創的な新製品開発で家電業界に名を轟かせていた。
 昭和二六(一九五一)年、他社に先駆けて白黒テレビの国産化に手をつけると、日本の狭い住宅用に一四インチの小型テレビを量産化、大ヒットを飛ばした。昭和三六(一九六一)年には日本初の電子レンジの開発に成功。また、太陽電池の研究も先駆的に着手し、昭和四一(一九六六)年、長崎県御神島の灯台に、当時世界最大出力の太陽電池を設置し、話題をさらった。
 こうしてつくり出した斬新な技術は、社長の口癖のとおり他社にすぐに真似をされた。そして、発売当初は先頭を走るものの、まもなく圧倒的な販売力を誇る大メーカーに追いつかれ、売り上げでは抜かれることがしばしばだった。ついたあだ名は早川電機をもじって「早かった電機」。それでも、新技術のパイオニアであることを何よりも誇りにするというのがこの会社の社風だった。
 この早川電機のなかに、新技術の開発を一手に担う特別な部門があった。昭和三六(一九六一)年に総工費四億円を投入して、大阪・阿倍野に建設した技術革新の砦、中央研究所である。ここで研究に当たる技術者は、全社から選び抜かれた三五〇人の精鋭たちだった。
 独創性を尊ぶ経営者の気風を反映して、研究現場の雰囲気は自由闊達なものとなっていた。序列意識が希薄で、入社まもない新人でも、先輩にずけずけとものが言える。彼らはそれぞれにチームをつくり、新しいテクノロジーの開発に挑んでいた。
 この中央研究所には一つの不文律があった。開発に失敗したプロジェクトのメンバーは即、配置換え。多くの場合は、研究開発の最前線から外され、他の部門、多くは左遷に近い異動を言い渡されるという厳しいものだった。外された技術者に替わって、社内から選ばれた新たな技術者が、別のテーマで研究開発を始める。自由な空気に加え、厳しい社内競争が技術を磨き、斬新な製品の誕生を後押ししていたのである。


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