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和書>小説・ノンフィクション>歴史・時代小説>一覧
吉川 英治(よしかわ えいじ) 1892年8月11日、神奈川県生まれ。高等小学校中退後、さまざまな職を転々としながら、独学で詩や小説を書いていた。1914年、講談社系諸雑誌の懸賞小説に入選した後、『鳴門秘帖』で時代小説作家としての地位を確立。1960年、文化勲章受章。吉川英治文化賞・同文学賞が設けられる。1962年没。長編約80編、短編約180編という膨大な小説を執筆し、国民文学作家と親しまれた。東京青梅市に吉川英治記念館がある。
野に伏す獣の野性をもって孤剣をみがいた武蔵が、剣の精進、魂の求道を通して、鏡のように澄明な境地へ達する道程を描く、畢生の代表作。 若い功名心に燃えて関ケ原の合戦にのぞんだ武蔵(たけぞう)と又八は、敗軍の兵として落ちのびる途中、お甲・朱実母子の世話になる。それから一年、又八の母お杉と許嫁のお通が、二人の安否を気づかっている作州宮本村へ、武蔵は一人で帰ってきた。
序 序 はしがき――「旧序抄の」 旧序 地の巻 鈴 毒茸 おとし櫛 花御堂 野の人たち 茨 孫子 縛り笛 千年杉 樹石問答 三日月茶屋 弱い武蔵 光明蔵 花田橋 水の巻 吉岡染 陽なた・陽かげ 優曇華 坂 河っ童 春風便 巡りぞ会わん 茶漬
――どうなるものか、この天地の大きな動きが。 もう人間の個々の振舞いなどは、秋かぜの中の一片の木の葉でしかない。なるようになッてしまえ。 武蔵(たけぞう)は、そう思った。 屍(かばね)と屍のあいだにあって、彼も一個の屍かのように横たわったまま、そう観念していたのである。 「――今、動いてみたッて、仕方がない」 けれど、実は、体力そのものが、もうどうにも動けなかったのである。武蔵自身は、気づいていないらしいが、体のどこかに、二つ三つ、銃弾(たま)が入っているに違いなかった。 ゆうべ。――もっと詳しくいえば、慶長五年の九月十四日の夜半(よなか)から明け方にかけて、この関ケ原地方へ、土砂ぶりに大雨を落した空は、今日の午(ひる)すぎになっても、まだ低い密雲を解(と)かなかった。そして伊吹山(いぶきやま)の背や、美濃(みの)の連山を去来するその黒い迷雲から時々、サアーッと四里四方にもわたる白雨が激戦の跡を洗ってゆく。 その雨は、武蔵(たけぞう)の顔にも、そばの死骸にも、ばしゃばしゃと落ちた。武蔵は、鯉のように口を開いて、鼻ばしらから垂れる雨を舌へ吸いこんだ。 ――末期(まつご)の水だ。 痺(しび)れた頭のしんで、かすかに、そんな気もする。 戦いは、味方の敗けと決まった。金吾中納言秀秋(きんごちゆうなごんひであき)が敵に内応して、東軍とともに、味方の石田三成をはじめ、浮田(うきた)、島津、小西などの陣へ、逆(さか)さに戈(ほこ)を向けて来た一転機からの総くずれであった。たった半日で、天下の持主は定まったといえる。同時に、何十万という同胞(どうぼう)の運命が、眼に見えず、刻々とこの戦場から、子々孫々までの宿命を作られてゆくのであろう。 「俺も、……」 と、武蔵は思った。故郷(くに)に残してある一人の姉や、村の年老(としより)などのことをふと瞼(まぶた)に泛(うか)べたのである。どうしてであろう、悲しくもなんともない。死とは、こんなものだろうかと疑った。だが、その時、そこから十歩ほど離れた所の味方の死骸の中から、一つの死骸と見えたものが、ふいに、首をあげて、 「武(たけ)やアん!」 と、呼んだので、彼の眼は、仮死から覚めたように見まわした。 槍一本かついだきりで、同じ村を飛び出し、同じ主人の軍隊に従(つ)いて、お互いが若い功名心に燃え合いながら、この戦場へ共に来て戦っていた友達の又八(またはち)なのである。 その又八も十七歳、武蔵(たけぞう)も十七歳であった。 「おうっ。又(また)やんか」 答えると、雨の中で、 「武やん生きてるか」 と、彼方(むこう)で訊く。 武蔵は精いッぱいな声でどなった。 「生きてるとも、死んでたまるか。又やんも、死ぬなよ、犬死するなっ」 「くそ、死ぬものか」 友の側へ、又八は、やがて懸命に這って来た。そして、武蔵の手をつかんで、 「逃げよう」 と、いきなりいった。 すると武蔵は、その手を、反対に引っぱり寄せて、叱るように、 「――死んでろっ、死んでろっ、まだ、あぶない」 その言葉が終らないうちであった。二人の枕としている大地が、釜のように鳴り出した。真っ黒な人馬の横列が、喊声(とき)をあげて、関ケ原の中央(まんなか)を掃きながら、此方(こなた)へ殺到して来るのだった。 旗差物(はたさしもの)を見て、又八が、 「あっ、福島の隊だ」 あわて出したので、武蔵はその足首をつかんで、引き仆した。 「ばかっ、死にたいか」 ――一瞬の後だった。 泥によごれた無数の軍馬の脛(すね)が、織機(はた)のように脚速(きやくそく)をそろえて、敵方の甲冑武者(かつちゆうむしや)を騎(の)せ、長槍や陣刀を舞わせながら、二人の顔の上を、躍りこえ、躍りこえして、駈け去った。 又八は、じっと俯(う)ッ伏したきりでいたが、武蔵は大きな眼をあいて、精悍(せいかん)な動物の腹を、何十となく、見ていた。
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※注意 同一の書籍でもファイル形式が異なるものは別商品として取り扱っております。
デジタル初版:2004年5月13日
ジャンル:和書>小説・ノンフィクション>歴史・時代小説>一覧 著: 吉川英治 発行: 講談社 シリーズ: 吉川英治 宮本武蔵、 吉川英治歴史時代文庫
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