和書>小説・ノンフィクション>文芸>日本文学>現代小説
著者プロフィール
戸川 幸夫(とがわ ゆきお)
明治45年、佐賀県生まれ。昭和11年、旧制山形高校理科甲類中退。
昭和29年「高安犬物語」で直木賞受賞。53年、芸術選奨文部大臣賞。56年、紫綬褒章。60年、児童文学功労者に選ばれる。
主な著書は「すばらしき動物の世界」「イリオモテヤマネコ」「マタギ」「人喰鉄道」「ヒトはなぜ助平になったか」「戸川幸夫動物文学全集」(全10巻)他。
明治45年、佐賀県生まれ。昭和11年、旧制山形高校理科甲類中退。
昭和29年「高安犬物語」で直木賞受賞。53年、芸術選奨文部大臣賞。56年、紫綬褒章。60年、児童文学功労者に選ばれる。
主な著書は「すばらしき動物の世界」「イリオモテヤマネコ」「マタギ」「人喰鉄道」「ヒトはなぜ助平になったか」「戸川幸夫動物文学全集」(全10巻)他。
解説
折れ牙という名のアフリカ象の王がいた。群れは、秀でた知能と勇気を持つその巨大な指導者によって守られ、平和な生活が続いていた。
ところがある日、折れ牙の最愛の妻が殺される。密猟者の毒矢が刺さったためだった。折れ牙は人間を憎み、人間を見れば襲うようになるが、人間たちは復讐であることも知らず、折れ牙を射殺するために森へ向かう――。
動物文学の第一人者が人間と動物の間のさまざまな悲劇を描く! 表題作他8篇収録。
ところがある日、折れ牙の最愛の妻が殺される。密猟者の毒矢が刺さったためだった。折れ牙は人間を憎み、人間を見れば襲うようになるが、人間たちは復讐であることも知らず、折れ牙を射殺するために森へ向かう――。
動物文学の第一人者が人間と動物の間のさまざまな悲劇を描く! 表題作他8篇収録。
目次
折れ牙
密猟者の岩場
アフリカ人ムヒンデ
獅子王は髪結いの亭主也
カジヤード
非情
人喰い虎
鎖
ほたる火の森
密猟者の岩場
アフリカ人ムヒンデ
獅子王は髪結いの亭主也
カジヤード
非情
人喰い虎
鎖
ほたる火の森
抄録
それからさらに三年――。
折れ牙の子どもを産んで、例の牝象は美しい母象になっていた。
折れ牙は、群の中のどの牝象よりも、この妻を愛していた。
群に平和が続いていた。サボ河畔のロッジは完成して、人間どもが前よりはぐっと押し寄せるので、さわがしくはなっていたが、でも、人間たちは無害であった。
彼らは妙な箱にのってやってきて、もの珍らしげにじろじろと眺めはしたが、ただそれだけだった。
折れ牙は、彼らが一定の距離を越えて近づかなければ放っておくことにした。犀や、河馬や、ライオンや、キリンたちに対して採っている彼のルールを人間どもにも適用しているだけだった。
もしあまりうるさければ、彼らが近づけない森林の中に入りこめばよかった。それでもしつこく尾行してくるようなら怒って突っこんでゆけばよい。それは本気でなく、脅かしで十分で、人間たちは一目散に逃げ去るのだ。
折れ牙は、人間たちを無力なものとして舐めきっていた。
ところが、ある日、思わぬ事故が起った。事故は、折れ牙が何にもできないと舐めきっていた人間側の手でひき起されたものだった。
森の中を歩いていた彼の最愛の妻が、人間の仕かけた毒矢にあたったのだ。妻の悲鳴を聞いて折れ牙がかけつけてみると、妻の腋の下に一本の矢がささり、彼女は涙をぼろぼろと流して呻いていた。折れ牙は鼻で矢をむしり取ったが、それはむしり取ったというだけで鏃は体の中に残った。しかもそれには毒液が塗ってあったので、彼女は一晩中を苦しんだあげく死んでいった。その仕かけ弓は密猟者のなせる憎むべき仕業だったが、折れ牙には区別はつかない。彼は矢にくっついていた体臭から、妻殺しの犯人を人間全部だと判断した。
折れ牙が人間の姿さえ見れば襲ってくるようになったのはそれ以来である。
「牙のまがった象がいますが、あれには近づかないで下さい。あいつは凶暴ですから……」
ロッジの支配人は観光客にそう注意していたが、若いヤンキーの一行がその注意を無視した。
「そんな象こそ面白いじゃないか」
レンタカーでやって来ていたこの軽薄な連中は、ロッジを出ると取締る者がいないのをよいことにして、折れ牙の群に接近していった。
折れ牙は群をひきつれて自動車道路からずっと離れた森のふちに佇んでいたが、近づいてきた自動車を見ると勃然(ぼつぜん)と怒った。
彼は両耳をひろげ、頭をもたげて、突撃した。想像していたよりは、遥かに恐ろしい襲撃に、アメリカ人たちは色をうしなって逃げはじめたが、象たちによって踏み荒された草原は穴ぼこだらけで、車は思うように走れなかった。
アメリカの観光客六名が、折れ牙に襲撃されて死傷したというニュースは、ロッジからすぐにゲーム・ワードンのところへ報告された。
折れ牙にとっては、妻の復讐だった。人間側にすべて責任があったのだが、人間と動物の裁判では、いつの場合も人間側が勝つようになっていた。(「折れ牙」より)
折れ牙の子どもを産んで、例の牝象は美しい母象になっていた。
折れ牙は、群の中のどの牝象よりも、この妻を愛していた。
群に平和が続いていた。サボ河畔のロッジは完成して、人間どもが前よりはぐっと押し寄せるので、さわがしくはなっていたが、でも、人間たちは無害であった。
彼らは妙な箱にのってやってきて、もの珍らしげにじろじろと眺めはしたが、ただそれだけだった。
折れ牙は、彼らが一定の距離を越えて近づかなければ放っておくことにした。犀や、河馬や、ライオンや、キリンたちに対して採っている彼のルールを人間どもにも適用しているだけだった。
もしあまりうるさければ、彼らが近づけない森林の中に入りこめばよかった。それでもしつこく尾行してくるようなら怒って突っこんでゆけばよい。それは本気でなく、脅かしで十分で、人間たちは一目散に逃げ去るのだ。
折れ牙は、人間たちを無力なものとして舐めきっていた。
ところが、ある日、思わぬ事故が起った。事故は、折れ牙が何にもできないと舐めきっていた人間側の手でひき起されたものだった。
森の中を歩いていた彼の最愛の妻が、人間の仕かけた毒矢にあたったのだ。妻の悲鳴を聞いて折れ牙がかけつけてみると、妻の腋の下に一本の矢がささり、彼女は涙をぼろぼろと流して呻いていた。折れ牙は鼻で矢をむしり取ったが、それはむしり取ったというだけで鏃は体の中に残った。しかもそれには毒液が塗ってあったので、彼女は一晩中を苦しんだあげく死んでいった。その仕かけ弓は密猟者のなせる憎むべき仕業だったが、折れ牙には区別はつかない。彼は矢にくっついていた体臭から、妻殺しの犯人を人間全部だと判断した。
折れ牙が人間の姿さえ見れば襲ってくるようになったのはそれ以来である。
「牙のまがった象がいますが、あれには近づかないで下さい。あいつは凶暴ですから……」
ロッジの支配人は観光客にそう注意していたが、若いヤンキーの一行がその注意を無視した。
「そんな象こそ面白いじゃないか」
レンタカーでやって来ていたこの軽薄な連中は、ロッジを出ると取締る者がいないのをよいことにして、折れ牙の群に接近していった。
折れ牙は群をひきつれて自動車道路からずっと離れた森のふちに佇んでいたが、近づいてきた自動車を見ると勃然(ぼつぜん)と怒った。
彼は両耳をひろげ、頭をもたげて、突撃した。想像していたよりは、遥かに恐ろしい襲撃に、アメリカ人たちは色をうしなって逃げはじめたが、象たちによって踏み荒された草原は穴ぼこだらけで、車は思うように走れなかった。
アメリカの観光客六名が、折れ牙に襲撃されて死傷したというニュースは、ロッジからすぐにゲーム・ワードンのところへ報告された。
折れ牙にとっては、妻の復讐だった。人間側にすべて責任があったのだが、人間と動物の裁判では、いつの場合も人間側が勝つようになっていた。(「折れ牙」より)
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