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ひかり北地に

ひかり北地に

著: 戸川幸夫
発行: オンライン出版
価格:704円(税込)
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著者プロフィール

 戸川 幸夫(とがわ ゆきお)
 明治45年、佐賀県生まれ。昭和11年、旧制山形高校理科甲類中退。
 昭和29年「高安犬物語」で直木賞受賞。53年、芸術選奨文部大臣賞。56年、紫綬褒章。60年、児童文学功労者に選ばれる。
 主な著書は「すばらしき動物の世界」「イリオモテヤマネコ」「マタギ」「人喰鉄道」「ヒトはなぜ助平になったか」「戸川幸夫動物文学全集」(全10巻)他。

解説

 2年の浪人生活を経て山形高校に入学した伸太郎。新入生は原則として寮に入ることになっており、伸太郎もまた入寮することになった。
 深夜、上級生の一団が寝込んでいる者を叩き起こして去っていく“新入生歓迎ストーム”、柔道部の厳しい稽古、吹雪の中の蔵王登山……。各地から集まった若者たちが、共同生活でぶつかり合い成長を遂げていく――。
 旧制高校での学寮生活、地元の人々との交流など、昭和初期の若者の多感な日々を直木賞作家である著者が綴った、感動の自伝的小説!

目次

はじめに
受験
ストーム(嵐)
芸者
稽古はじめ
吹雪の中で
娘と乞食
桜桃泥棒
インターハイ
蛇事件
寮祭
ひとだま
落第
春色

叱責

旅役者
さすらう魂
寂滅の海

抄録

 寮はしんと寝静まっていた。廊下に面した窓のすりガラスに、廊下のほの暗い電灯の光がぽっと射している。
 机の上の目覚し時計を見ると午前二時に三分前だった。
 “ハハア、二時きっかりに始めるんだな”
 伸太郎はくら闇にかすかに浮かぶ天井を見上げた。この天井の板も、押入れの戸も、また押入れの中の板壁もひどく汚れている。というのは、この部屋に住み、通過していった先輩たちが、必ず一筆ずつ想い出を書き残していったからである。落書きは、いい習慣ではないにしても、場所によっては必要な場合もある。高等学校の寮室などは、その必要な場合の一つだと伸太郎は思う。このむさ苦しい寮の部屋で生活した者の中から、将来どんな人材が輩出するかもしれない。そんなとき、若き日の彼らの落書きは貴重な価値を生み出し、どれほど後輩を勇気づけるかわからないのだ。だが、忠実な寮務主任の小山老人は落書きの価値を認めていないらしく、学期の休みごとに小使たちを叱咤して、雑巾で洗い消さしめているという。そこで天井板も、押入れの板戸もどす黒く汚れているのだった。
 突然、蛮声が響いた。大島寮総務の声らしい。
 「本日、これよりッ、新入生歓迎ストームを行なうッ!」
 だれかがスイッチをひねったとみえ、全寮の電灯が一斉に消えた。
 「アイン、ツバイ、ドライ!」
 高校でのかけ声は、いつもドイツ語だ。一、二、三でも、ワン、ツウ、スリーでもよさそうなもんだが、必ずドイツ語でやる。高校に入って初めてドイツ語を習うので、それでかな……と伸太郎は感じた。
 チリン、チリン、チリン……鉦が鳴る。
  ♪デカンショ デカンショで
         半としゃ暮らす ヨイヨイ
   あとの半としゃァ
        寝てくらす
    ヨーイ ヨーイ デッカンショ
 デカンショに合わせて、ドシン、ドシン、ドシンと廊下を踏み鳴らす音が爆発した。
 「ひえーッ、来たァ……」
 藤吉郎が冷水でも浴せられたように奇声をあげて、とび起きると
 「おいッ、角目ッ、起きろッ。ストームだッ、ストームだぞッ」
 伸太郎はク、ク、ク……と布団の中で笑って
 「慌てるな。さっきから知ってンだ。いま一寮を荒らしてるから、六寮までやってくるにはまだ二十分ぐらいかかるよ」
 というと、藤吉郎はやや落ついたらしく、立ち上がって電気のスイッチをひねった。
 「駄目だよ、電源を切ってあるから、つきゃあしないさ」
 ストームは一寮の階下から、二階へと移り、二寮へと去ってゆく。鉦と歌声と足音の間にバンバン、バシッ、ビシッと音がするのは、竹刀でそこら中をたたきまわっているからだろう。
  ♪親父 おやじと
     いばるな 親父 ヨイヨイ
   親父ゃ 伜の
      抜けがらだ
       ヨーイー ヨーイー
           デッカンショ
 藤吉郎は、まっ暗な中をとび出していったが、間もなく脛を押えてもどってきた。
 「おうッ痛えッ、そこんとこにだれかバケツを置いてるもんでいやっというほどぶっつけた」
 と口惜しそうに言う。どこまで行ったんだ、と伸太郎がたずねると
 「一寮の屁の塚のところに様子はどうかと聞きにいったのさ。なあに、大したことないそうだ。部屋の中までは入ってこんとさ」
 藤吉郎は自分に言い聞かせるように言う。屁の塚というのは伸太郎たちの同級生で一寮に居る。屁の塚というのは伸太郎がつけたニックネームで、本当は兵塚(ひょうづか)という。兵はヘイと読み、屁に通ずるところから伸太郎と藤吉郎との間に通ずる名であった。
 ストームは三寮から四寮へとまわり、五寮から六寮へと接近してきた。家鳴り、震動がだんだんと接近してくると、なるほどストームの近接を連想させる。
  ♪デカンショ デカンショーで
 ガタン ドタン ガタン バシッ ビシッ――ついに六寮にきた。
 藤吉郎は自分の布団をたたみ、その上にちょこんと正座した。伸太郎は廊下の窓のガラス戸を外して壁に立てかけた。竹刀や木刀で割られたら、後の掃除が困ると思ったからだ。
 最初に鉦を振るのがやってきた。忠兵衛らしい。続いて竹刀を持ったのが廊下の板戸をたたきながら来た。でたらめに殴ってるのではなく、足並みをそろえるために調子をとっているのだった。
 懐中電灯を持ったのがいて、伸太郎の部屋をぐるりと照らし
 「この迎え方、大いによろしいッ!」
 と怒鳴った。小柄な男だが、三年生らしい。

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