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ABC殺人事件

ABC殺人事件

著: アガサ・クリスティ
発行: グーテンベルク21
価格:525円(税込)
10ポイント還元
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対応端末:パソコン ソニー“Reader”
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著者プロフィール

 アガサ・クリスティ
 (1890〜1976)
 イギリスを代表するミステリ作家。名探偵エルキュール・ポアロのシリーズなど、探偵物がよく知られているが、他にもスパイ風の作品やミステリ以外の作品なども数多くある。映画化された作品も多く、世界的に知名度の高いミステリ作家。

解説

 ABCというイニシャルを記したいたずらのような手紙が探偵ポワロのところに届く。だが彼の不吉な予感どおり、アンドーバー(A)でタバコ屋の老婆アリス(A)が殺害される。勝ち誇るかのように第二の手紙はベクスヒル(B)での事件を予告し、カフェの給仕女ベッティ(B)の死体が海岸で見つかる。図に乗った犯人はチャーストン(C)での殺人を予告、ポワロや警察を嘲笑うかのようにカーマイケル卿(C)を殺害する。そして次はドンカスター(D)だ……すべての死体のかたわらにはABC社の時刻表が。無差別殺人を趣味とし、ポワロに特別な恨みをもつ者のしわざなのか? 灰色の頭脳は悩みに悩む。脂の乗りきった時期のクリスティの傑作。

目次

一 手紙
二 (この部分はヘイスティングズ大尉の手記ではない)
三 アンドーバー
四 アッシャー夫人
五 メアリー・ドローワー
六 凶行の現場
七 パートリッジ氏とリデル氏
八 第二の手紙
九 ベクスヒル海岸の殺人
十 バーナードの家族
十一 ミーガン・バーナード
十二 ドナルド・フレイザー
十三 会議
十四 第三の手紙
十五 カーマイケル・クラーク卿
十六 (この部分はヘイスティングズ大尉の手記ではない)
十七 準備期間
十八 ポワロの演説
十九 スウェーデン経由で
二十 クラーク夫人
二十一 犯人の人相
二十二 (この部分はヘイスティングズ大尉の手記ではない)
二十三 九月十一日、ドンカスター
二十四 (この部分はヘイスティングズ大尉の手記ではない)
二十五 (この部分はヘイスティングズ大尉の手記ではない)
二十六 (この部分はヘイスティングズ大尉の手記ではない)
二十七 ドンカスターの殺人
二十八 (この部分はヘイスティングズ大尉の手記ではない)
二十九 ロンドン警視庁にて
三十 (この部分はヘイスティングズ大尉の手記ではない)
三十一 エルキュール・ポワロの質問
三十二 そして狐を捕えろ
三十三 アレグザンダー・ボナパート・カスト
三十四 ポワロ、理由を述べる
三十五 ――


解説

抄録

 「そうだったね」と、わたしは、「きみは、何年か前に、まったく引退して――」
 「そうさ。カボチャをつくるためにね! ところが、たちまち殺人事件が起こってね――おかげで、カボチャどもには滅亡への行進をさせてしまったというわけさ。それで、それからというものは――きみがなんというか、よくわかるがね――わたしは、確かに引退興行をやっているプリマ・ドンナのようなものでね! その引退興行ときたら、何度でも無限に繰り返されるんだ!」
 わたしは、大声で笑った。
 「実際、まったくそのとおりなんだから。そのたびに、わたしはいうんだ、これが最後だ、と。ところが、だめ、ほかのやつが起こるんだ! だからね、わたしは認めるよ、きみ、わたしは、まるきり引退なんてことを望んでいないんだ、と。もしも、この小さな灰色の細胞を働かせていないと、錆《さ》びついてしまうからね」
 「なるほど」と、わたしはいった。「適当に、運動させるというわけだね」
 「そのとおり。なんでもいいというわけじゃない。より好みをするのさ。このごろのエルキュール・ポワロには、犯罪の精髄ともいうべきものだけしか、意味はないのさ」
 「その精髄というやつが、たくさんあったのかね?」
 「かなりあったね。ついこの間なんか、きわどいところで命びろいをしたよ」
 「しくじったのかい?」
 「いや、とんでもない」ポワロは、ぞっとした顔つきで、「しかし、わたしが――この、エルキュール・ポワロが、あやうく完全にやっつけられるところだったよ」
 わたしは、ひゅうと口笛をならした。
 「大胆な犯人だね!」
 「それほどひどく大胆というのじゃない、無謀なんだな」と、ポワロはいった。「まったく、そう、――無謀だ。だが、その話はよそう。それよりも、ねえ、ヘイスティングズ、いろいろな点で、わたしは、きみを、わたしのマスコットと思っているんだぜ」
 「ほんとかい?」と、わたしはいった。「どんな点で?」
 ポワロは、直接には、わたしの問いにはこたえなかった。かれは、話をつづけた。
 「きみが帰って来るということを聞くとすぐに、わたしは、ひとり言をいったものだ。なにか起こるんだな、と。また以前のように、いっしょに捜査しようじゃないか、われわれ二人で。しかし、やるのなら、平凡な事件じゃいけない。なにか、ぜひ」――かれは、興奮して、両手を振りながら――「なにか、趣向をこらした――微妙な――手のこんだ《フイーヌ》やつでないと……」と、このフイーヌという、最後の翻訳しにくい言葉に、いっぱいに味をつけるようにして、いった。
 「これはこれは、驚いたね、ポワロ」と、わたしはいった。「人が聞いたら、まるで、リッツで晩めしを注文でもしていると思うだろうね」
 「犯罪というものは、注文するわけにはいかないのにか? まったく、そのとおりだ」かれは、ため息をついて、「しかし、わたしは、運を信じるよ――運命といってもいいがね。わたしのそばについていて、わたしが許しがたい誤りを犯さないようにしてくれるのが、きみの運命なのだ」
 「いったい、許しがたい誤りというのは、なにをいうんだね?」
 「明白なものを見のがすことさ」
 わたしは、それを胸の中で繰り返してみたが、その要点はわからなかった。
 「ところで」と、やがて、わたしは、にっこりしながら、「そのとびきりの犯罪というやつは、もうはじまってるのかい?」
 「まだだ。すくなくとも――というのは――」
 かれは、口をつぐんだ。その額《ひたい》には、困ったような皺《しわ》が深くなった。その両手は、わたしがうっかりして押しまげた物を、ただ機械的に伸ばしているようだった。
 「はっきり、わからないんだ」と、かれは、ゆっくりといった。
 その調子には、ひどく妙な響きがあったので、わたしは、驚いて、かれの顔を見た。
 皺は、まだ消えてはいなかった。
 と、いきなり決心したように軽くうなずいて、かれは、部屋《へや》を突っ切って、窓ぎわの机のところへ行った。机の中の物は、みんな、きちんと整理して、それぞれ一括されていたから、すぐに、必要な物が取り出せるようになっていたなどとは、いまさら事新しく、いう必要もないだろう。
 かれは、一通の開封した手紙を片手にして、ゆっくり、わたしのところへもどって来た。かれは、もう一度、それを読み返してから、わたしに手渡した。
 「ねえ、あなた《モナミ》」と、かれはいった。「きみは、これをどう思うかね?」
 わたしは、ある興味を持って、それを受けとった。
 それは、厚手の白い便箋《びんせん》に、活字体で書かれていた。


 エルキュール・ポワロ氏よ――きみは、哀れむべき鈍物《どんぶつ》の、わがイギリス警察がもてあますような難事件を解決するのは、自分だと、うぬぼれているのじゃないだろうね? 明敏なるポワロ氏よ、きみの明敏のほどを見せてもらいたいものだ。おそらく、この胡桃《くるみ》は、くだくには固すぎるということに気がつくにちがいない。今月の二十一日、アンドーバーを警戒したまえ。草々。
 A・B・C

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