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和書>小説・ノンフィクション>文芸>日本文学:名作小説
太宰 治(だざい おさむ) 明治42年、青森県金木村生まれ。本名、津島修治。東大仏文科在学中に非合法運動に従事し、やがて本格的な執筆活動に入る。昭和10年、「逆行」で第一回芥川賞の次席となり、翌年には処女作品集「晩年」を刊行。以後「走れメロス」「斜陽」など多くの佳作を執筆。「人間失格」を発表した昭和23年、玉川上水に入水し、没。
人間は、恋と革命のために生まれて来たのだ──〈古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生き〉るかず子、〈最後の貴婦人〉の気品と誇りを保つ母、自分の体に流れる貴族の血に抗い、破滅に向かって突き進む弟・直治、放蕩の生活をつづけるデカダン作家・上原。 雑誌連載時から大反響を呼び、刊行されるやたちまちベストセラーとなって“斜陽族”なる流行語まで生みだした、昭和文学屈指の名作。
斜陽
朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、 「あ」 と幽かな叫び声をおあげになった。 「髪の毛?」 スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。 「いいえ」 お母さまは、何事もなかったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇(くち)のあいだに滑り込ませた。ヒラリ、という形容は、お母さまの場合、決して誇張ではない。婦人雑誌などに出ているお食事のいただき方などとは、てんでまるで、違っていらっしゃる。弟の直治がいつか、お酒を飲みながら、姉の私に向かってこう言った事がある。 「爵位があるから、貴族だというわけにはいかないんだぜ。爵位がなくても、天爵というものを持っている立派な貴族のひともあるし、おれたちのように爵位だけは持っていても、貴族どころか、賤民にちかいのもいる。岩島なんてのは(と直治の学友の伯爵のお名前を挙げて)あんなのは、まったく、新宿の遊廓の客引き番頭よりも、もっとげびてる感じじゃねえか。こないだも、柳井(と、やはり弟の学友で、子爵の御次男のかたのお名前を挙げて)の兄貴の結婚式に、あんちきしょう、タキシイドなんか着て、なんだってまた、タキシイドなんかを着て来る必要があるんだ、それはまあいいとして、テーブルスピーチの時に、あの野郎、ゴザイマスルという不可思議な言葉をつかったのには、げっとなった。気取るという事は、上品という事と、ぜんぜん無関係なあさましい虚勢だ。高等御下宿と書いてある看板が本郷あたりによくあったものだけれども、じっさい華族なんてものの大部分は、高等御乞食とでもいったようなものなんだ。しんの貴族は、あんな岩島みたいな下手な気取りかたなんか、しやしないよ。おれたちの一族でも、ほんものの貴族は、まあ、ママくらいのものだろう。あれは、ほんものだよ。かなわねえところがある」 スウプのいただきかたにしても、私たちなら、お皿の上にすこしうつむき、そうしてスプウンを横に持ってスウプを掬い、スプウンを横にしたまま口元に運んでいただくのだけれども、お母さまは左手のお指を軽くテーブルの縁にかけて、上体をかがめる事もなく、お顔をしゃんと挙げて、お皿をろくに見もせずスプウンを横にしてさっと掬って、それから、燕のように、とでも形容したいくらいに軽く鮮やかにスプウンをお口と直角になるように持ち運んで、スプウンの尖端から、スウプをお唇のあいだに流し込むのである。そうして、無心そうにあちこち傍見(わきみ)などなさりながら、ひらりひらりと、まるで小さな翼のようにスプウンをあつかい、スウプを一滴もおこぼしになる事もないし、吸う音もお皿の音も、ちっともお立てにならぬのだ。それはいわゆる正式礼法にかなったいただき方ではないかも知れないけれども、私の目には、とても可愛らしく、それこそほんものみたいに見える。また、事実、お飲物は、うつむいてスプウンの横から吸うよりは、ゆったり上半身を起こして、スプウンの尖端からお口に流し込むようにしていただいたほうが、不思議なくらいにおいしいものだ。けれども、私は直治の言うような高等御乞食なのだから、お母さまのようにあんなに軽く無雑作にスプウンをあやつる事ができず、仕方なく、あきらめて、お皿の上にうつむき、いわゆる正式礼法どおりの陰気ないただき方をしているのである。
【XMDF形式】
※注意 同一の書籍でもファイル形式が異なるものは別商品として取り扱っております。
デジタル初版:1999年8月27日
ジャンル:和書>小説・ノンフィクション>文芸>日本文学:名作小説 著: 太宰治 発行: 角川書店
和書>小説・ノンフィクション>文芸>日本文学:名作小説 |
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