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プロジェクトX 挑戦者たち 新たなる伝説、世界へ 絶体絶命650人 決死の脱出劇/土石流と闘った8時間
著: NHK「プロジェクトX」制作班発行: 日本放送出版協会
シリーズ: プロジェクトX 挑戦者たち
価格:105円(税込)
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解説
平成5年8月6日。鹿児島で未曾有の大災害が起きた。100年に一度といわれる集中豪雨で、48人が死亡した「8・6水害」である。
この時、国道10号線と、JR日豊本線が崖崩れで寸断。渋滞中のドライバーと、列車の乗客あわせて650人が竜ヶ水駅前に取り残された。前は海、後ろは崖。逃げ場はなかった。その中に、たまたま検問をしていた警察官がいた。有村新市(44)。4年前くも膜下出血で倒れて以来、交番勤務に移動となっていた。豪雨の中、立ちつくしていた人々は、制服姿の有村をみつけると、すがるように次々と集まってきた。
有村は決死の避難誘導を決意する。同僚の前田とともにパニック寸前の人々と向き合った。しかし、再び土石流が襲いかかり、有村は海へ投げ出される。
陸上に残された人々は土砂によって完全に逃げ場を失い絶体絶命の窮地に陥った。その時、思いがけない助っ人が現れた。8時間に及ぶ奇跡の脱出作戦。その感動のドラマを描く。
この時、国道10号線と、JR日豊本線が崖崩れで寸断。渋滞中のドライバーと、列車の乗客あわせて650人が竜ヶ水駅前に取り残された。前は海、後ろは崖。逃げ場はなかった。その中に、たまたま検問をしていた警察官がいた。有村新市(44)。4年前くも膜下出血で倒れて以来、交番勤務に移動となっていた。豪雨の中、立ちつくしていた人々は、制服姿の有村をみつけると、すがるように次々と集まってきた。
有村は決死の避難誘導を決意する。同僚の前田とともにパニック寸前の人々と向き合った。しかし、再び土石流が襲いかかり、有村は海へ投げ出される。
陸上に残された人々は土砂によって完全に逃げ場を失い絶体絶命の窮地に陥った。その時、思いがけない助っ人が現れた。8時間に及ぶ奇跡の脱出作戦。その感動のドラマを描く。
目次
一 一〇〇年に一度の豪雨
二 六五〇人孤立
三 迫り来る大土石流、そして崖は崩れ落ちた
四 生還!
二 六五〇人孤立
三 迫り来る大土石流、そして崖は崩れ落ちた
四 生還!
抄録
一 一〇〇年に一度の豪雨
平成五年八月六日
鹿児島県は自然に恵まれた県である。鹿児島市の目前には青く広がる錦江湾と雄大な桜島がそびえているし、県下の霧島、屋久島の自然は国内有数のものである。しかし、時にこの自然はすさまじい猛威となる。
平成五(一九九三)年、八月六日。降りつづく激しい雨のなかでその災害は起きた。舞台は海岸沿いにある小さな無人駅。背後にそそり立つ崖が崩れはじめたとき、駅には乗客を乗せた二本の列車が停まっていた。さらに駅のすぐ下を走る国道は、渋滞した車であふれていた。家路を急ぐ人々は、この雨がやがて一〇〇年に一度の豪雨となることを知る由もなかった。
夕方、崩れはじめた崖が道路と線路を相次いで寸断、六五〇人が逃げ場を失い、孤立する。電話線は切れ、助けは呼べない。前は海、後ろは崖、迫り来る闇。そのなかを巨大な土石流が次々と駆けぬける。赤ん坊を抱えた母親が、歩けない老婆が、恐怖のなか立ちつくした。脱出の指揮を託されたのは、偶然巻き込まれていた警察官だった。
パニックに陥りそうな集団を励まし、希望の光が見えた瞬間、集団の真ん中を襲った土石流はその警察官をも押し流す。
これは絶体絶命の孤立から脱出を計った六五〇人の、八時間に及ぶ壮絶な脱出劇である。
梅雨明けが確定できなかった夏
平成五年は異常な年だった。記録的な冷夏で農作物は軒並み大被害を受け、特に米は歴史的な凶作となった。タイ米が緊急輸入された、あの年である。特に異常だったのは、雨の降り方だった。
鹿児島県地方の梅雨入りは五月二一日、ほぼ平年どおりである。しかし例年なら梅雨が明ける七月に入っても、雨が続いた。下旬に夏型の天気になったもののすぐに崩れ、八月は再び梅雨の状態に逆戻り。気象台は七月九日の梅雨明けを撤回、「梅雨が明けた日は確定できない」とした。観測史上初めての、異例な修正だった。
鹿児島市では七月の総雨量が史上第一位を記録した。その他の地域でも平年比の二倍から四倍に達するという有様であった。
桜島の火山灰が降り積もってできたシラス台地の土地柄か、毎年この時期になると土砂災害が繰り返される。この年も、まず七月六日から七日にかけての大雨で、民家の裏山が崩れ、犠牲者が出た。
七月三一日から八月一日にかけても再び豪雨で、大きな被害が出た。交通の大動脈である国道のほか、九州自動車道やJR各線は不通と復旧を繰り返し、鹿児島の人々はうんざりしていた。
吉野町竜ヶ水
福岡県小倉駅を出た日豊本線は、九州東岸を南下し、大分・宮崎両県を経て、鹿児島県に入る。空港のある国分駅から鹿児島駅までの間は、海岸沿いを走る。崖のふちの狭い海岸線を通るため、単線である。そのすぐ横を国道一〇号線が並んで走っている。国道の外はすぐ堤防で錦江湾の青い海が広がる。
やがて雄大な桜島をバックに、海に浮かぶ多数の養殖イカダが見えてくると、列車は小さな無人駅に停車する。他の駅より停車時間が若干長いのは、単線のため列車がここですれ違うからである。駅の名を「竜ヶ水」という。文字どおり、湧き水が豊富である。かつて有人駅だったころは、駅の構内に噴水があったほどである。地元では桜島と錦江湾が一望できる風光明媚な場所としてその名を知られているが、最近は過疎化が進み、高齢者が多く住む。この竜ヶ水が事件の舞台となった。
八月六日も朝から雨だった。
小学校教師の瀬戸山久美は、鹿児島市の隣町、姶良(あいら)町に住んでいた。その日の朝、「また雨か、少し今日は強いかな」と思ったことを覚えている。
瀬戸山は娘を出産したばかりで産休中であった。娘の名は帆南。生後三か月でようやく首が据わったところだった。実家に里帰りすることを思いついた。夫の帰りは遅いと聞いていた。初孫の帆南を見せたら、実家の両親は喜ぶだろう、そんな気持ちだった。
実家は鹿児島市内である。瀬戸山の住む姶良町から鹿児島に行くには、JR線を使うか、線路に沿って走る国道一〇号線を車で行くかの、二つの方法がある。いつもは車で出かけるところだが、その日は夫が車を使っていたので、珍しくJRに乗って行くことにしたのである。
姶良町の自宅を午後三時ごろ出た。最寄りの帖佐(ちようさ)駅まではタクシーに乗った。雨のせいか車が渋滞していた。タクシーの運転手さんに「今日は国道一〇号線は混んでいるから、車よりJRのほうがいいよ」と言われた。「電車にして正解」だと思った。
帖佐駅で列車に乗れば、実家のある鹿児島駅までは三〇分、何でもない道のりである。周りには仕事帰りや帰省客が乗っていた。二人が乗った列車は姶良、重富を過ぎ、ゆっくりと竜ヶ水駅に向かっていた。
*この続きは製品版でお楽しみください。
平成五年八月六日
鹿児島県は自然に恵まれた県である。鹿児島市の目前には青く広がる錦江湾と雄大な桜島がそびえているし、県下の霧島、屋久島の自然は国内有数のものである。しかし、時にこの自然はすさまじい猛威となる。
平成五(一九九三)年、八月六日。降りつづく激しい雨のなかでその災害は起きた。舞台は海岸沿いにある小さな無人駅。背後にそそり立つ崖が崩れはじめたとき、駅には乗客を乗せた二本の列車が停まっていた。さらに駅のすぐ下を走る国道は、渋滞した車であふれていた。家路を急ぐ人々は、この雨がやがて一〇〇年に一度の豪雨となることを知る由もなかった。
夕方、崩れはじめた崖が道路と線路を相次いで寸断、六五〇人が逃げ場を失い、孤立する。電話線は切れ、助けは呼べない。前は海、後ろは崖、迫り来る闇。そのなかを巨大な土石流が次々と駆けぬける。赤ん坊を抱えた母親が、歩けない老婆が、恐怖のなか立ちつくした。脱出の指揮を託されたのは、偶然巻き込まれていた警察官だった。
パニックに陥りそうな集団を励まし、希望の光が見えた瞬間、集団の真ん中を襲った土石流はその警察官をも押し流す。
これは絶体絶命の孤立から脱出を計った六五〇人の、八時間に及ぶ壮絶な脱出劇である。
梅雨明けが確定できなかった夏
平成五年は異常な年だった。記録的な冷夏で農作物は軒並み大被害を受け、特に米は歴史的な凶作となった。タイ米が緊急輸入された、あの年である。特に異常だったのは、雨の降り方だった。
鹿児島県地方の梅雨入りは五月二一日、ほぼ平年どおりである。しかし例年なら梅雨が明ける七月に入っても、雨が続いた。下旬に夏型の天気になったもののすぐに崩れ、八月は再び梅雨の状態に逆戻り。気象台は七月九日の梅雨明けを撤回、「梅雨が明けた日は確定できない」とした。観測史上初めての、異例な修正だった。
鹿児島市では七月の総雨量が史上第一位を記録した。その他の地域でも平年比の二倍から四倍に達するという有様であった。
桜島の火山灰が降り積もってできたシラス台地の土地柄か、毎年この時期になると土砂災害が繰り返される。この年も、まず七月六日から七日にかけての大雨で、民家の裏山が崩れ、犠牲者が出た。
七月三一日から八月一日にかけても再び豪雨で、大きな被害が出た。交通の大動脈である国道のほか、九州自動車道やJR各線は不通と復旧を繰り返し、鹿児島の人々はうんざりしていた。
吉野町竜ヶ水
福岡県小倉駅を出た日豊本線は、九州東岸を南下し、大分・宮崎両県を経て、鹿児島県に入る。空港のある国分駅から鹿児島駅までの間は、海岸沿いを走る。崖のふちの狭い海岸線を通るため、単線である。そのすぐ横を国道一〇号線が並んで走っている。国道の外はすぐ堤防で錦江湾の青い海が広がる。
やがて雄大な桜島をバックに、海に浮かぶ多数の養殖イカダが見えてくると、列車は小さな無人駅に停車する。他の駅より停車時間が若干長いのは、単線のため列車がここですれ違うからである。駅の名を「竜ヶ水」という。文字どおり、湧き水が豊富である。かつて有人駅だったころは、駅の構内に噴水があったほどである。地元では桜島と錦江湾が一望できる風光明媚な場所としてその名を知られているが、最近は過疎化が進み、高齢者が多く住む。この竜ヶ水が事件の舞台となった。
八月六日も朝から雨だった。
小学校教師の瀬戸山久美は、鹿児島市の隣町、姶良(あいら)町に住んでいた。その日の朝、「また雨か、少し今日は強いかな」と思ったことを覚えている。
瀬戸山は娘を出産したばかりで産休中であった。娘の名は帆南。生後三か月でようやく首が据わったところだった。実家に里帰りすることを思いついた。夫の帰りは遅いと聞いていた。初孫の帆南を見せたら、実家の両親は喜ぶだろう、そんな気持ちだった。
実家は鹿児島市内である。瀬戸山の住む姶良町から鹿児島に行くには、JR線を使うか、線路に沿って走る国道一〇号線を車で行くかの、二つの方法がある。いつもは車で出かけるところだが、その日は夫が車を使っていたので、珍しくJRに乗って行くことにしたのである。
姶良町の自宅を午後三時ごろ出た。最寄りの帖佐(ちようさ)駅まではタクシーに乗った。雨のせいか車が渋滞していた。タクシーの運転手さんに「今日は国道一〇号線は混んでいるから、車よりJRのほうがいいよ」と言われた。「電車にして正解」だと思った。
帖佐駅で列車に乗れば、実家のある鹿児島駅までは三〇分、何でもない道のりである。周りには仕事帰りや帰省客が乗っていた。二人が乗った列車は姶良、重富を過ぎ、ゆっくりと竜ヶ水駅に向かっていた。
*この続きは製品版でお楽しみください。
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