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プロジェクトX 挑戦者たち 開拓者精神、市場を制す 料理人たち 炎の東京オリンピック
著: NHK「プロジェクトX」制作班発行: 日本放送出版協会
シリーズ: プロジェクトX 挑戦者たち
価格:105円(税込)
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解説
昭和34年、東京オリンピックの開催決定に日本中が沸いていた。しかし、大きな問題が起きていた。選手村の食事作りである。世界90カ国以上の国々から集まる選手たち。その数、実に7000人。世界中の料理、2千種類、延べ60万食という、空前の規模の食事を作らなくてはならなかった。しかし、当時、日本の料理界の力は世界に未知数。世界各国から不安の声が挙がった。
料理作りに挑んだのが、帝国ホテルの料理人、村上信夫をリーダーとする一流ホテルのシェフたちだった。戦前から厳しい料理修行を積み、パリにも留学、最高のフランス料理を極めようとしていた村上。このプロジェクトに、料理人の誇りをかけて挑むことになった。
村上らは、世界各国の料理メニューを作るべく奮闘する。問題は、知識の全くない、アジア・アフリカ・中南米などの料理。村上は、在日大使館に赴き、大使の妻などに、料理法を学び続けた。更に大きな問題が立ちはだかった。膨大な量となる食材の確保である。唯一の対策方法は冷凍食材を使うこと。しかし、当時の料理界の常識は「冷凍食材は味が落ちる」。村上たちは、冷凍食材をものにしようと、懸命な努力を続ける。
そしてオリンピックの開幕。膨大な食事を作るため、村上の元に、300人の若手料理人が全国から集められる。街の大衆食堂からやってきた者もいた。北海道からは23人の若者が集まった。札幌、釧路、稚内などからやってきた彼らは、「ふるさとの代表として恥ずかしくない仕事をしよう」と誓い合う。
しかし、その時、各国選手団が連れてきた自国のエリートシェフたちが厨房に登場。更に、オリンピック開催中、料理人たちの身に、事件が襲いかかる。果たして、日本人料理人の食事を世界の選手は満足してくれるのか。東京オリンピックを支えた料理人たちの、知られざる料理作りを描く。
料理作りに挑んだのが、帝国ホテルの料理人、村上信夫をリーダーとする一流ホテルのシェフたちだった。戦前から厳しい料理修行を積み、パリにも留学、最高のフランス料理を極めようとしていた村上。このプロジェクトに、料理人の誇りをかけて挑むことになった。
村上らは、世界各国の料理メニューを作るべく奮闘する。問題は、知識の全くない、アジア・アフリカ・中南米などの料理。村上は、在日大使館に赴き、大使の妻などに、料理法を学び続けた。更に大きな問題が立ちはだかった。膨大な量となる食材の確保である。唯一の対策方法は冷凍食材を使うこと。しかし、当時の料理界の常識は「冷凍食材は味が落ちる」。村上たちは、冷凍食材をものにしようと、懸命な努力を続ける。
そしてオリンピックの開幕。膨大な食事を作るため、村上の元に、300人の若手料理人が全国から集められる。街の大衆食堂からやってきた者もいた。北海道からは23人の若者が集まった。札幌、釧路、稚内などからやってきた彼らは、「ふるさとの代表として恥ずかしくない仕事をしよう」と誓い合う。
しかし、その時、各国選手団が連れてきた自国のエリートシェフたちが厨房に登場。更に、オリンピック開催中、料理人たちの身に、事件が襲いかかる。果たして、日本人料理人の食事を世界の選手は満足してくれるのか。東京オリンピックを支えた料理人たちの、知られざる料理作りを描く。
目次
一 日本の西洋料理をリードしつづけてきた男
二 オリンピックの成否が、食事づくりに託された
三 オリンピック開催、炎の料理人たち
二 オリンピックの成否が、食事づくりに託された
三 オリンピック開催、炎の料理人たち
抄録
一 日本の西洋料理をリードしつづけてきた男
厨房には、いつも独特の緊張感が漂う
料理の出来不出来は、常に一瞬で決まる。例えば、肉を焼く刹那、あくまでも柔らかな食感を維持しながら、肉のうま味を逃さず十分に引き出す。そのためには、焼きすぎに細心の注意を払いつつ可能な限り火を通すという、ぎりぎりのころあいを見極めねばならない。肉を引き上げるタイミングに、いささかの躊躇も許されない。
また、スープの塩加減を決める瞬間。指先と舌先に全神経を集中し、塩をふり、そして味を見る。それまでのすべての作業が徒労に終わるか否かが、その瞬間に決まる。
「一瞬」の重要性を知り抜いている料理人たちは、常に瞬間瞬間の己の行為に妥協を許さない。結果、厨房には常に緊張感がみなぎる。
東京都千代田区内幸町に、日本の西洋料理をリードしつづけてきたホテルがある。『帝国ホテル』である。このホテルは明治二三(一八九〇)年、当時外務大臣だった井上馨の提案によって海外の賓客を歓待するために建てられた。以来、内外の賓客や食通をうならせる味を生み出しつづけている。
全国の料理人憧れの場所でもある、その厨房は、地下一階、一階、中二階、二階と、いくつにも分かれて、機能分担がなされている。のぞいてみると、その巨大さと活気に驚く。地下一階は、主に食材の下ごしらえを担当。肉、魚、野菜など、様々な食材が見事な手際で下ごしらえが進められていく。また、スープやソースの元となるだしもここでつくられる。
二階には大規模な宴会用の料理室がある。「温かい料理は温かく、冷たい料理は冷たく」の鉄則を守るため、秒単位のスケジュールを争いながら調理していく。そして、数十、数百という皿に、ローストビーフや伊勢エビのオーブン焼きといった料理が次々と盛り付けられていく。数十名の料理人たちが、一糸乱れぬチームワークを見せる。
そんな中でも、中二階にあるメインダイニング『レ・セゾン』の厨房の緊張感は、ひと味違う。一皿一皿のフレンチに、料理人たちの真剣勝負の時間が続く。ソースの味を決める担当に就けるのは、一〇年以上の経験を持つ料理人のみ。鋭敏な感覚と、長年の経験によって、その繊細な味付けをする瞬間の料理人の顔は、怖いほど真剣である。
この厨房に君臨する一人の男がいる。村上信夫、八一歳。現在、帝国ホテル料理顧問を務める村上は、半世紀以上にわたり、このホテルで腕を振るいつづけてきた。彼が厨房に現れるだけで、みな背筋を伸ばすし、辺りに緊張感が走る。
その村上は若き日、日本の料理界の命運を担う戦いに挑んだ。
昭和三九(一九六四)年に開催された東京オリンピック。日本の復興を世界にアピールする国家イベントである。その準備が着々と進められるなか、大きな問題が立ちはだかった。
世界各国から集まる選手団の食事づくり。必要な料理の種類は二〇〇〇を超えるともいわれた。開催国の料理人がすべてまかなうのが慣例だった。
各国から声が上がった。
「極東の島国・日本で、世界の料理などつくれるのか?」
確かに、昭和三〇年代、まだまだ日本の外食産業は発展途上だった。現在のように世界中の料理が楽しめるグルメ大国というわけでは決してなかった。
国家的命運を託されたのが、当時四三歳だった帝国ホテルの村上だった。村上は、日本の料理界の威信を懸けてこの戦いに挑んだ。そして迎えたオリンピック東京大会。しかしそのとき、選手村に外国選手団が送り込んできた一流の料理人が現れた。日本人シェフと外国人シェフ。料理人たちのプライドを懸けた日々が幕を開けた。
世紀の戦いに挑んだ村上信夫とは、一体どんな男だったのか。
料理をめぐる壮大な物語は、昭和三一(一九五六)年、フランス・パリから始まる。
稀代の料理人・村上信夫
昭和三一年。花の都・パリ。芸術、ファッション、そして料理、様々なモードを発信しつづけ、世界が憧れる街だった。
この年の一一月、そのパリで一人の日本人が新たな生活を始めた。村上信夫、当時三五歳。西洋料理の修業のため、日本からやって来ていた。当時の意気込みを村上が語る。
「やる気にみなぎっていましたですね」
しかしここに至るまでに、すでに村上は決して平坦ではない半生を歩んできていた。いうなれば、やっとたどり着いたパリだったのである。
村上は、大正一〇(一九二一)年、東京・神田に生まれた。父・延太郎は料理店を経営。オムレツやハンバーグなどが主役の、小さな街の食堂だった。しかし、村上には父親の料理の記憶はほとんどないという。というのは、村上が二歳のときに関東大震災が発生し、料理店は焼失。その後、結局再建できなかったからである。
そんな村上が料理の世界に入ったのは、「食っていくため」だった。小学校五年生のとき、村上の両親は相次いで病気で亡くなった。
小学校六年生の一二月、浅草の軽食・喫茶の店『ブラジルコーヒー』に住み込みで働きはじめ、ここで料理の魅力に開眼する。チキンライスを手始めに、先輩に教えてもらいながら料理のこつを学んでいった。
「やりはじめると、非常に面白くて。あれも覚えてやろう、これも覚えてやろうと欲が出てきて、どんどん覚えていきましたですね」
そんなある日、村上は一つの新聞記事に目が釘付けになった。内容は、「宮様の晩餐会を帝国ホテルで開催する」というものだった。村上の想像は膨らんだ。フォークとナイフで食される、まだ見ぬ豪華なフランス料理の数々。一体どんなものなのだろう。一度でいいから見てみたい、食べてみたい、つくってみたい。村上の思いは瞬く間に広がり、いつしか帝国ホテルに就職することを希望するようになっていた。
*この続きは製品版でお楽しみください。
厨房には、いつも独特の緊張感が漂う
料理の出来不出来は、常に一瞬で決まる。例えば、肉を焼く刹那、あくまでも柔らかな食感を維持しながら、肉のうま味を逃さず十分に引き出す。そのためには、焼きすぎに細心の注意を払いつつ可能な限り火を通すという、ぎりぎりのころあいを見極めねばならない。肉を引き上げるタイミングに、いささかの躊躇も許されない。
また、スープの塩加減を決める瞬間。指先と舌先に全神経を集中し、塩をふり、そして味を見る。それまでのすべての作業が徒労に終わるか否かが、その瞬間に決まる。
「一瞬」の重要性を知り抜いている料理人たちは、常に瞬間瞬間の己の行為に妥協を許さない。結果、厨房には常に緊張感がみなぎる。
東京都千代田区内幸町に、日本の西洋料理をリードしつづけてきたホテルがある。『帝国ホテル』である。このホテルは明治二三(一八九〇)年、当時外務大臣だった井上馨の提案によって海外の賓客を歓待するために建てられた。以来、内外の賓客や食通をうならせる味を生み出しつづけている。
全国の料理人憧れの場所でもある、その厨房は、地下一階、一階、中二階、二階と、いくつにも分かれて、機能分担がなされている。のぞいてみると、その巨大さと活気に驚く。地下一階は、主に食材の下ごしらえを担当。肉、魚、野菜など、様々な食材が見事な手際で下ごしらえが進められていく。また、スープやソースの元となるだしもここでつくられる。
二階には大規模な宴会用の料理室がある。「温かい料理は温かく、冷たい料理は冷たく」の鉄則を守るため、秒単位のスケジュールを争いながら調理していく。そして、数十、数百という皿に、ローストビーフや伊勢エビのオーブン焼きといった料理が次々と盛り付けられていく。数十名の料理人たちが、一糸乱れぬチームワークを見せる。
そんな中でも、中二階にあるメインダイニング『レ・セゾン』の厨房の緊張感は、ひと味違う。一皿一皿のフレンチに、料理人たちの真剣勝負の時間が続く。ソースの味を決める担当に就けるのは、一〇年以上の経験を持つ料理人のみ。鋭敏な感覚と、長年の経験によって、その繊細な味付けをする瞬間の料理人の顔は、怖いほど真剣である。
この厨房に君臨する一人の男がいる。村上信夫、八一歳。現在、帝国ホテル料理顧問を務める村上は、半世紀以上にわたり、このホテルで腕を振るいつづけてきた。彼が厨房に現れるだけで、みな背筋を伸ばすし、辺りに緊張感が走る。
その村上は若き日、日本の料理界の命運を担う戦いに挑んだ。
昭和三九(一九六四)年に開催された東京オリンピック。日本の復興を世界にアピールする国家イベントである。その準備が着々と進められるなか、大きな問題が立ちはだかった。
世界各国から集まる選手団の食事づくり。必要な料理の種類は二〇〇〇を超えるともいわれた。開催国の料理人がすべてまかなうのが慣例だった。
各国から声が上がった。
「極東の島国・日本で、世界の料理などつくれるのか?」
確かに、昭和三〇年代、まだまだ日本の外食産業は発展途上だった。現在のように世界中の料理が楽しめるグルメ大国というわけでは決してなかった。
国家的命運を託されたのが、当時四三歳だった帝国ホテルの村上だった。村上は、日本の料理界の威信を懸けてこの戦いに挑んだ。そして迎えたオリンピック東京大会。しかしそのとき、選手村に外国選手団が送り込んできた一流の料理人が現れた。日本人シェフと外国人シェフ。料理人たちのプライドを懸けた日々が幕を開けた。
世紀の戦いに挑んだ村上信夫とは、一体どんな男だったのか。
料理をめぐる壮大な物語は、昭和三一(一九五六)年、フランス・パリから始まる。
稀代の料理人・村上信夫
昭和三一年。花の都・パリ。芸術、ファッション、そして料理、様々なモードを発信しつづけ、世界が憧れる街だった。
この年の一一月、そのパリで一人の日本人が新たな生活を始めた。村上信夫、当時三五歳。西洋料理の修業のため、日本からやって来ていた。当時の意気込みを村上が語る。
「やる気にみなぎっていましたですね」
しかしここに至るまでに、すでに村上は決して平坦ではない半生を歩んできていた。いうなれば、やっとたどり着いたパリだったのである。
村上は、大正一〇(一九二一)年、東京・神田に生まれた。父・延太郎は料理店を経営。オムレツやハンバーグなどが主役の、小さな街の食堂だった。しかし、村上には父親の料理の記憶はほとんどないという。というのは、村上が二歳のときに関東大震災が発生し、料理店は焼失。その後、結局再建できなかったからである。
そんな村上が料理の世界に入ったのは、「食っていくため」だった。小学校五年生のとき、村上の両親は相次いで病気で亡くなった。
小学校六年生の一二月、浅草の軽食・喫茶の店『ブラジルコーヒー』に住み込みで働きはじめ、ここで料理の魅力に開眼する。チキンライスを手始めに、先輩に教えてもらいながら料理のこつを学んでいった。
「やりはじめると、非常に面白くて。あれも覚えてやろう、これも覚えてやろうと欲が出てきて、どんどん覚えていきましたですね」
そんなある日、村上は一つの新聞記事に目が釘付けになった。内容は、「宮様の晩餐会を帝国ホテルで開催する」というものだった。村上の想像は膨らんだ。フォークとナイフで食される、まだ見ぬ豪華なフランス料理の数々。一体どんなものなのだろう。一度でいいから見てみたい、食べてみたい、つくってみたい。村上の思いは瞬く間に広がり、いつしか帝国ホテルに就職することを希望するようになっていた。
*この続きは製品版でお楽しみください。
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