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プロジェクトX 挑戦者たち 勝者たちの羅針盤 爆発の嵐 スエズ運河を掘れ

プロジェクトX 挑戦者たち 勝者たちの羅針盤 爆発の嵐 スエズ運河を掘れ


発行: 日本放送出版協会
シリーズ: プロジェクトX 挑戦者たち
価格:100pt
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対応端末:パソコン ソニー“Reader”
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解説

 地中海と紅海を結ぶスエズ運河。年間1万4千隻の船舶が通る、世界の海運の大動脈である。今から42年前、運河は時代に取り残されていた。10万トンを超える巨大タンカーが次々に建造される中、19世紀に作られた狭小な運河は5万トン以下の船しか通れなかった。1961(昭和36)年、エジプトの国家プロジェクトとして始まった運河の拡幅増深工事に挑んだのは、日本の海洋土木会社「水野組(現・五洋建設)」の技術者たちだった。
 工事の主役は「ポンプ船」と呼ばれる作業船。カッターで海中の土砂を削り、ポンプで吸い込んで地上に排出する。しかし、コンクリートの5倍も硬い岩盤の前に、カッターの刃先は2時間でボロボロ。1日3回交換に迫られ、作業は進まなかった。さらに狭い運河を通行する船団との衝突の危険が、プロジェクトを悩ませた。
 そして、1967(昭和42)年、第3次中東戦争が勃発。工事は中断を余儀なくされる。8年後、ようやく再開した工事にもう一つ難題が降りかかった。運河に残された大量の不発弾だった。ポンプ船の中で爆発、現場は騒然となった。プロジェクトの命運を賭け、日本人ダイバーらによる不発弾処理チームが組織された…。
 日本の海洋土木技術の威信をかけ、国際舞台に挑んだ男達の壮絶なドラマを描く。

目次

一 世界の運河に挑む
二 突然の戦火
三 爆発の嵐を乗り越えて

抄録

一 世界の運河に挑む


砂漠の船


 エジプトの首都カイロから東へ百数十キロ。果てしなく続く砂漠のど真ん中で、奇妙な光景と出会った。
 揺らめく陽(かげ)炎(ろう)の彼方(かなた)を、悠然と横切ってゆくのは、何と積み荷を満載したコンテナ船である。一隻だけではない。一〇分、二〇分と間隔を置き、後続がやって来る。巨大なタンカーに、優美な客船。いかつい軍艦もいる。船の隊列は、ラクダに乗って旅するキャラバンさながらに、砂漠の中を進む。
 船がたどる一筋の道。それがほかならぬ、スエズ運河である。全長およそ一六三キロ、地中海と紅海との間をぶち抜く、世界最大の水平海洋運河。一年に一万四〇〇〇隻、総トン数四億四〇〇〇万トンもの船が通航する。アジアとヨーロッパを結ぶ、かけがえのない物流の道である。
 運河が開通したのは、一三〇年以上前の一八六九(明治二)年。建設工事には一〇年の歳月を要し、一二万人ものエジプト人労働者が暑さと事故で命を落とした。アジアとヨーロッパを行き来する船は、それまでアフリカ大陸最南端の喜望峰を回っていたが、運河完成によって、インド・ボンベイ(現・ムンバイ)とイギリス・ロンドンとの航路は、五一パーセントも短縮された。
 しかし、いまから四五年ほど前、スエズ運河は存亡の危機を迎えていた。一〇万トンを超えるマンモスタンカーが相次いで登場。巨大船が通航するには、運河はあまりに狭く浅かったのである。
 そのとき立ち上がったのは、日本の海洋土木会社『水野組(現・五洋建設)』の男たちだった。「ポンプ船」と呼ばれる掘削船で、運河を倍に掘り拡げる壮大な工事。延べ四七〇万人が関わる戦後最大級の国際プロジェクトとなった。
 しかし、水底にはコンクリートの五倍も硬い「悪魔の岩盤」が眠っていた。掘削するカッターの刃先は、ボロボロになった。そして、そこは「世界の火薬庫」と呼ばれた中東の地。男たちを突然の戦火が襲った。さらに、謎の爆発が、勝負の船を破壊した。
 これは、世界の運河を救うため、日本の海洋土木技術の威信を懸けて闘った人々の、壮絶なドラマである。


原爆、廃墟からの出発


 一九四五(昭和二〇)年八月六日、朝。アメリカ軍のB29爆撃機『エノラ・ゲイ』号が投下した原子爆弾が、広島市上空で炸裂した。人類最悪の兵器は街を焼き尽くし、その年のうちに一四万人が亡くなる未曾有の惨事をもたらした。
 爆心地からおよそ一キロ離れた銀山町一〇番地。ここに一つの会社があった。港湾土木会社『水野組』。原爆の爆風と熱で、会社は跡形もなく焼失した。そこに、仕事先から駆け戻った男がいた。水野哲太郎、三七歳。支配人として会社を率いる父の禮(らい)三(ぞう)を、必死で捜していた。
 父と息子は、普段は疎開先である宮島の自宅から、連れ立って広島の本社に出勤していた。しかしその朝に限り、仕事の都合で、哲太郎だけが家から直接、郊外の造船所に向かうことになった。一足遅れて家を出た禮三は、宮島口から広島行きの汽車に乗った。哲太郎の妻・冨士子は、呉市の実家に用事があり、禮三に同行した。
 八時過ぎ、汽車が広島駅に到着。禮三は一人で降りた。呉に行く冨士子は、そのまま車内に残り、朝食の弁当を広げて、発車を待っていた。
「ちょうど、お弁当を食べ終わったころだと思います。ピカッと光ってドンと鳴りました。頭から血が出ていましたけど、私はかまわず防空頭巾をかぶると外に飛び出し、ごったがえすホームをかき分けて義父を捜しに走りました。義父とわかれたのは四、五分まえでしたから、駅を出て電車(広島電鉄)に乗ったかどうかという時間です。人波をかき分けてやっとの思いで駅前に出ると、そこには、黒こげになった電車が止まっていました。もちろん、義父の姿はどこにもみえませんでした」(五洋建設発行『清風』より)
 哲太郎は生き残った社員たちと、連日トラックを仕立てて禮三を捜し回った。しかし、遺体すら、ついに見つからなかった。哲太郎はぼう然とした。失ったものは、あまりに大きかった。
 哲太郎は一九〇八(明治四一)年、広島県呉市で、水野組の創業者・水野甚(じん)次(じ)郎(ろう)の孫として生まれた。利発な子どもだったが、病弱で、本ばかり読んで育った。夢は医師になることだった。しかし、慶應義塾大学高等部を出ると、父・禮三の説得で、半ば強引に水野組に入社させられた。それは、亡くなった祖父・甚次郎の遺志でもあった。
 気性の荒い、港の男たちとの仕事。お坊ちゃん育ちでインテリ肌の哲太郎には、不向きだといわれていた。哲太郎は禮三の傍らで、懸命に仕事を学んだ。
 禮三が亡くなると、哲太郎の肩に、会社の再建と社員たちの生活が懸かった。当時一〇歳だった長男の廉(れん)平(ぺい)は、思い詰めた父・哲太郎の顔を記憶している。
「重苦しい感じでしたよね、家中がね。どうやってみんなを食べさせるか、大変だったんでしょうね」
 原爆投下から九日後の八月一五日、終戦。哲太郎と水野組の社員たちは、仕事を求め、街中を駆け回った。しかし、街が原爆で焼き尽くされ、国が戦争に敗れたばかりの状況にあって、まともな港湾工事の仕事など見つかるはずはなかった。戦前までの得意先は、ほとんどが消滅していた。中でも水野組にとって大きな痛手だったのは、敗戦によって海軍がなくなったことだった。もともと水野組は、海軍の鎮守府が置かれていた呉市で、一八九六(明治二九)年に創業。以来、呉軍港はもとより、佐世保や舞鶴など、海軍関係の港湾工事を数多く受注し、成長してきた。
 かつては「水の土木の水野組」と、もてはやされた会社。だが、もはや港にこだわっているわけにはいかない。哲太郎たちは、どんな小さな仕事も引き受けることにした。折しも、焼け野原にぽつぽつと人が戻り、バラックを建てて住みはじめた。水道や電気が必要になる。社員たちは、折れた水道管や焼け焦げた電線を拾い集め、継ぎ足して使えるようにした。進駐軍が上陸すると、施設のペンキ塗りを請け負った。
 そのころ水野組が借りていた事務所は、被爆のあとも生々しい“焼けビル”の六階で、エレベーターもなく、トイレも使えなかった。みな、所定の容器で用を足し、いっぱいになると新入社員が一階まで運んで捨てるという、悲惨な状態だった。
「何とかしなければ」
 哲太郎は、なりふりかまわず働いた。資金調達のために、自ら銀行に日参した。しかし「仕事らしい仕事もない会社の相手はできない」と、銀行の融資担当者はたびたび居留守を使った。すると、哲太郎は、待合室の一角に持参した小さな折りたたみ式の椅子を広げ、会ってもらえるまで粘った。相手は根負けして、融資に応じたという。それでも、給料日に手持ちの資金がないときは、自宅の家財道具を売り、社員一六〇人の給料に充てた。
 ときには給料の支払いが遅れることもあったが、そんな哲太郎の必死な姿を見た社員たちには、辞めると言う者はいなかった。みな、一つの思いがあった。それは、「自分たちの本来の専門分野である港湾土木の技術で、必ず復活を遂げてみせる」というものだった。哲太郎は、のちにこう語っている。
「最大の顧客であった海軍を失ったあと、水野組としてはどのような方向転換をしていくべきか、という重大な問題に直面することになったわけです。しかし、企業としての歴史や内容からいって、まったく方向をかえるということもできない。やはり、それまで得意としてきた港湾土木を、企業の特徴としてやっていく以外にない、というのが、われわれが出した結論でした。ともかく、この特徴を強く打ち出し、それを会社の柱にやっていこうと決意したわけです」(前出『清風』より)


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