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プロジェクトX 挑戦者たち 勝者たちの羅針盤 太平洋1万キロ 決死の海底ケーブル

プロジェクトX 挑戦者たち 勝者たちの羅針盤 太平洋1万キロ 決死の海底ケーブル


発行: 日本放送出版協会
シリーズ: プロジェクトX 挑戦者たち
価格:100pt
形式:XMDF形式⇒詳細 
対応端末:パソコン ソニー“Reader”
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解説

 国際電話、インターネット、双方向画像の高度医療。「海底ケーブル」は地球20周分にあたる総延長80万キロ、情報化社会を支える血脈である。
 1989年に開通した「TPC−3(第3次太平洋横断ケーブル)」は当時、世界最長の海底ケーブル。生まれたての技術「光通信」を駆使して、日本とアメリカ双方から敷設を開始。太平洋上でのドッキングに挑む前代未聞の巨大プロジェクトだった。
 ケーブルを引く敷設船「KDD丸」の乗組員は80人。リーダーはKDD(国際電信電話)の細谷辰雄だった。入社後、病に倒れたが不屈の精神で船に舞い戻ってきた。
 しかし、細谷達の前に黒潮が立ちはだかった。海底に数百メートルの誤差で敷設するためには黒潮の早さを計算し、緻密な操船、瞬時にケーブルを繰り出すタイミングが要求される。更に、海底には水深1万メートルの日本海溝が口をあける。ケーブルを襲う水圧は1トン。ガラス製の繊細な光ファイバーは水圧でズタズタになった。そして、サメがケーブルを襲うという驚愕の情報がプロジェクトを震え上がらせた。
 細谷たちはのべ134日の航海の末、ついに至難の敷設作業を達成。しかしメンバーたちを待っていたのは、アメリカ側担当の敷設船「ロングラインズ号」からの緊急連絡だった。
「ケーブル損傷! 応援を頼む!」KDD丸は再び太平洋に舳先を向けた。
 情報の大動脈を築くため、洋上で自らの技術を尽くした男たちの知られざるドラマを描く。

目次

一 ケーブルを制する者、世界を制す
二 水圧への挑戦、サメとの格闘
三 牙をむく太平洋、寸断されたケーブル
四 洋上でのドッキング

抄録

一 ケーブルを制する者、世界を制す


通信の革命「光海底ケーブル」


 千葉県には、海外への「玄関口」が二つある。
 一つは、言わずと知れた空の玄関・成田空港。一日四〇〇便もの航空機が発着し、多くの人や貨物を世界に運んでいく。では、もう一つの玄関とはどこか。
 それは房総半島をはるか南に下り、太平洋に面する港町・千倉(ちくら)にある。
 KDDI千倉海底線中継所――訪れる人影こそまばらだが、海岸近くに立つこの建物こそ、日本の国際情報網を支えるもう一つの「玄関口」なのである。
 この建物の地下から、海外に向け現在、往復七本もの海底ケーブルが敷かれ、あわせて電話四二〇万回線分もの情報を送受信する。国際電話以外にも、私たちが普段利用するインターネットや大リーグの生中継映像など、そのほとんどが光速で信号を伝えるこの海底ケーブルを利用しているのだ。
 太平洋だけではない。世界の光海底ケーブル網を示した図を見ると、その張りめぐらされた数の多さに驚かされるだろう。総延長は約八〇万キロ。地球と月との距離の往復分に相当するこのネットワークは、世界から情報のタイムラグを消し去った。
 昭和六三(一九八八)年、この通信網の端緒となった大プロジェクトが、ヤマ場を迎えていた。
 日本とアメリカの通信技術界がその技術を尽くして取り組んだ、全長一万三〇〇〇キロに及ぶ「第三太平洋横断ケーブル(TPC−3)」の敷設である。
 われわれは、今回の取材で深海に敷設される前の光海底ケーブルを見る機会に恵まれた。表面は白いポリエチレン。直径は二・二センチと細く、「これで大丈夫なのだろうか」と頼りない印象すら抱かせる。しかし手に持つとずしりと重く、とにかく硬い。
「中身をご覧にいれましょうか」と言って、取材に同行していた技術者の尾(お)登(と)一(かず)正(まさ)さんが、やおらケーブルを剥きはじめた。慣れた手つきであれよという間に鋼線や銅チューブなど、何重ものガードを外側から分解する。最後に残ったのは直径一ミリほどのコードが六本。さらに一本ずつ、コーティング樹脂をカッターでこそげ落とすと、髪の毛ほどの細さの透明なガラスの糸が現れた。
「これが光ファイバーです。最大一三万回線の情報が、この中を通るんです」
 スタッフ一同、顔を見合わせた。直径約〇・一ミリ。ためしに触れてみたとたん、ぽきんと折れた。驚くほど繊細な光ファイバー。そのときわれわれは、この華(きや)奢(しや)で頼りない線を、最大水深一万メートル、長さ一万キロに及ぶ太平洋の海底に沿って敷設していこうという計画の「途方もなさ」を垣間見た気がしたものだ。
 実際、構想から完成まで一〇年に及ぶこのプロジェクトは、アクシデントの連続だった。ケーブルに咬みつくサメ。水圧に耐えきれず破壊されるファイバー。そして、敷設中に巻き起こる多重トラブル……。何度も立ち往生した。
 しかし、男たちは諦めなかった。その理由を、取材した技術者たちは異口同音にこう答えた。
「日本の技術で太平洋を渡る。それが夢だったですから」
 男たちの肩には、島国ニッポンの“情報の未来”が懸かっていたのである。


高かった国際電話


 物語は、高度経済成長に沸く、昭和三九(一九六四)年の東京にさかのぼる。
 東京オリンピックが開催されるこの年、羽田空港は多くの日本人で賑わっていた。この年に自由化された海外旅行に向かう観光客と、「企業戦士」のビジネスマンたちが、次々と国外へと旅立っていった。自動車やテレビなど日本製品の輸出が急増し、翌年には対米貿易で輸出額が輸入額を初めて上回る時期である。飛行機が見えなくなるまで手を振る家族の姿が、空港のデッキで毎日のように見られた。
 しかし、遠く離れた異国の地で生活する夫を、日本で気遣う家族にとって、頭の痛い悩みがあった。
 国際電話代がべらぼうに高かったのである。
 日本で唯一、国際通信を業務とする『国際電信電話株式会社(KDD、現・KDDI)』の当時の料金表によれば、アメリカへの通話料は三分までは四三二〇円。その後、一分単位で一〇八〇円が加算された。初任給が二万円台の時代、電話一本が家計を圧迫する。時計の針を横目で見ながら、妻はおそるおそる電話をかけたものだった。夫婦の会話を楽しむ余裕もなかった。
 企業でも事情は変わらない。海外の同僚に電話をする際には、許可願いを提出。上司のはんこを必要とする企業が大半だった。限られた時間で多くの案件を済ませようと、みんなで受話器を奪い合った。
 値段もさることながら、雑音がひどく相手が何を言っているのか聞き取れないことも多かった。「大声で叫んで声がかれた」「机の下にもぐって周囲の音を遮断した」など、当時の国際電話の音質の悪さを物語る逸話は、枚挙に暇(いとま)がない。いまだ、国際間の通信は郵便が主役で、急ぎの場合は電報、テレックスが主流の時代だった。


短波技術者、アメリカの技術に驚く


「高価」で「不便」な国際電話。その現場に身を置く一人の若者がいた。
 茨城県の山間部、名崎町にあるKDDの送信所に勤務する細谷辰雄、二三歳。通信技術の将来に夢を抱いていた。埼玉県の野菜農家に生まれた細谷の少年時代、家にも近所にも電話はなかった。当時の日課は、市場に出した野菜のセリ値を聞くため、片道四キロの道を自転車を漕いでいくこと。その途中、見上げるような巨大なアンテナがあった。海外向けのKDDの短波施設だった。
 やがて、少年時代に毎日見ていたその施設が、日本と海外を結ぶ重要な役を担っていたことを知った細谷の心には、「遠く離れたところでも、思いは伝え合える」というそのすごさが刻み込まれた。そして大学卒業後、技術者としてKDDに入社した。
 しかし細谷は、配属先でいきなり「短波通信」の限界を痛感することになった。
 大気中の電離層に電波を反射させる「短波」は、気象条件次第ですぐ不通になった。特に太陽面での爆発で強い紫外線が出る「デリンジャー現象」なるものが起こると、業務は中断(交換手たちの間では「デリンジャー休憩」と呼ばれた)。細谷ならずとも「お金をもらうのは申し訳ない」という殊勝な気持ちになるありさまだっだ。
 そして当時、まったく新しい通信方法が海外で開発され、日本でも導入が始まっていた。
 前年の昭和三八(一九六三)年には、アメリカが打ち上げた衛星『リレー1号』による日米間の「衛星通信」が始まった。周知のように、ケネディ米大統領暗殺のニュースが日本に伝えられたのは、この通信によってである。
 そして、もう一つの新技術が「海底ケーブル」である。昭和三九(一九六四)年、東京オリンピックの直前に日米を結ぶ敷設が行われた。これもアメリカの技術力の賜物で、『AT&T(アメリカ電話電信会社)』が開発した、電話一三八回線を同時に送信できる電話線(同軸ケーブル)を、専用の敷設船に積み込んで太平洋を渡したものである。
 宇宙と海底。この対照的な二つの方式が以降の国際通信を支えていくことになるのだが、新人技術者の細谷にとっては、それらの技術はひたすら桁外れに思えた。特に、横浜に寄港したアメリカの敷設船『ロングラインズ』号を見に行ったときの衝撃は、いまも忘れないという。
「そびえ立つような大きさでした。アメリカというのはすごい国だなと」
 短波で苦労する日本と、最先端技術を駆使するアメリカ。その差を思い知らされた。
 しかし、感心してばかりはいられない事件が起こる。
 東京オリンピックの真っ最中に、運用したばかりの海底ケーブルが突然不通になった。送信するはずの外国向け音声やリポートが途絶え、現場は大混乱となった。しかし自前の技術を持たない日本はお手上げ状態。通信自体は短波などに切り替えて事なきを得たものの、海底ケーブルの復旧についてはアメリカに頼らざるを得なかった。敷設船ロングラインズ号が偶然、横浜に寄港していたおかげで、通常なら二週間はかかる復旧を何とか六日で済ませることができた。
「アメリカに技術を握られたままでは、島国日本の通信が危うい」――そんな声が上がりはじめたのも当然のことだった。日本の国際通信は、外国の束縛からの脱却の歴史だった。


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