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プロジェクトX 挑戦者たち 勝者たちの羅針盤 海賊襲撃 マラッカ海峡の闘い

プロジェクトX 挑戦者たち 勝者たちの羅針盤 海賊襲撃 マラッカ海峡の闘い


発行: 日本放送出版協会
シリーズ: プロジェクトX 挑戦者たち
価格:100pt
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対応端末:パソコン ソニー“Reader”
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解説

 マレーシアとインドネシアを隔てる、マラッカ海峡。日本の貿易を支える海の大動脈である。全長1000キロの海峡は、大型船にとって、浅瀬が続く航行の難所。突然のスコールが視界を奪う。さらに、もう一つ恐ろしい敵が潜んでいる。海賊である。

 海賊は、漁船を装ってターゲットの船に近づき、隙をついて襲撃。時には、船をまるごと奪い、乗組員を殺害、貨物を転売する。マラッカ海峡は、世界一の海賊出没水域。魔の海峡と呼ばれる。
 1999(平成11)年10月。日本の貨物船アロンドラ・レインボー号が、インドネシア・スマトラ島で時価13億円のアルミ塊を積みこみ、マラッカ海峡にさしかかった時だった。海賊が、長刀と銃を振りかざし、乗り込んできた。船長の池野功とフィリピン人乗組員、計17人を縛り上げ、救命ボートに乗せて、大海に放り出した。
 「貨物船が消息を絶った」船会社からの通報を受け、海上保安庁と外務省が捜索に乗り出した。海上保安庁・救難課長の坂本茂宏は、巡視船「はやと」と哨戒機「ファルコン」を緊急出動させた。しかし、手がかりはつかめなかった。「海賊の仕業か。」皆、最悪の事態を思い、震撼した。
 マレーシアの日本大使館に出向中の、海上保安庁の技術者・楠勝浩が情報収集にかかった。楠はクアラルンプールにあるNGO「海賊情報センター」に協力を仰ぐ。沿岸諸国の港や漁業関係者に片っ端から網をかけた。しかし、舞い込む情報は、どれも偽物。海賊が捜索の攪乱を狙って流したものだった。捜索は、国境を越えた情報戦となった。
 日本人が巻き込まれた、初めての海賊事件。必死で捜索にあたった人々の、17日間のドラマを描く。

目次

一 『アロンドラ・レインボー』号、魔の海峡に消ゆ
二 見えない敵
三 絶望と希望の狭間で
四 事件解決への執念

抄録

一 『アロンドラ・レインボー』号、魔の海峡に消ゆ


暗黒の海を通る“生命線”


 五〇〇〇キロの海の彼方に、日本の“生命線”がある。インド洋から太平洋に通じる、全長約一〇〇〇キロの一衣帯水。マレーシア、シンガポール、インドネシアの三か国に囲まれた「マラッカ海峡」である。
 世界で最も過密といわれるこの海域は、年間約八万隻もの船舶が航行する。貴重な鉱物資源や木材など、往来する貨物の二割以上は日本をめざす。ときに「オイルロード」とも呼ばれる。日本に輸入される原油の七〇パーセントは、この海を経由して運び込まれるからだ。
 しかし、一九九〇年代。日本の貿易、経済、産業の活力を左右する海上輸送の大動脈は、凶悪な海賊の出没によって“魔の海峡”となった。標的にされたのは貨物船。乗組員は殺害され、積み荷は根こそぎ強奪された。
 海賊の代名詞にもなっている「バイキング」が、ヨーロッパの各地を荒らし回ったのは八〜一一世紀。マラッカ海峡にも、その時代から海賊が横行していたという記録がある。近代に入って、その組織力は国境を越えて巨大化し、手口は巧妙かつ凶悪化の一途をたどっていた。
 世界中で発生する残忍な海賊事件は、一九九五〜二〇〇〇年までにマラッカ海峡を中心に六〇〇件に達し、犠牲者の数も二〇〇人に上った。
 海賊の取り締まりに関する国際協力を定めた法的枠組みとしては、一九八八(昭和六三)年にIMO(国際海事機関)によって策定されたローマ条約がある。だが、マラッカ海峡近辺には条約への未加盟国もあった。また、条約に謳われている内容も、追跡・検挙・処罰といった事件発生後の対策が中心となっているため、実質的な被害の防止は、航行する船舶個々の危機管理能力に委ねられたままだった。
「アメリカの船なら狙われない」
 現地の海運事情に詳しい船主の間では、こんな声もささやかれた。アメリカの貨物船であれば、武器を積んでいるケースもある。海賊も、むやみには手を出さない。一方、武器を持たずに高価な物資を積載して航行する日本の貨物船は、海賊にとって格好の獲物ともいえた。
 その魔の手が、日本の貨物船『アロンドラ・レインボー』号を襲ったのは、一九九九(平成一一)年一〇月二二日の夜だった。自動小銃と、「ボロ」と呼ばれる巨大な刀で武装した一団が、闇夜に紛れて船内に乗り込んできた。現役最後の航海だった船長は、一六人の乗組員とともに、自由を奪われた。そして、貨物船は一三億円相当の積み荷ごと、消息を絶った。
「船を捜せ!」
 日本船行方不明の一報を受けて、緊急プロジェクトが結成された。海上保安庁、弁護士、さらには乗組員の家族らが捜索に奔走した。だが、海賊は狡猾でしたたかだった。偽の情報で捜査を撹乱し、強奪した船はレーダー網をすり抜けた。
 時間は無情に過ぎ去る。情報が途絶え、乗組員の安否が危ぶまれた。しかし、プロジェクトは最後まで諦めなかった。
「海賊を逃すな、乗組員を救出せよ」
 執念の大捜索。卑劣な犯罪組織が巣くう暗黒の海で、国境を越えた前代未聞の追跡劇が繰り広げられた。


海の男、最後の船出


 一九九九(平成一一)年七月一五日。神奈川県・川崎港を歩く夫婦がいた。夫の名は、池野功(こう)。当時六七歳。この日、現役最後の航海に出ようとしていた。傍らに寄り添うのは、見送りに来た妻の映(えい)子(こ)。二人が出会ったのは、四〇年前。船乗りの潔さに惚れたという映子は、海を愛する池野の心を、誰よりも知っていた。
「長い航海から帰ってきて、次の航海までのお休みの間でも、プライベートで海に出かけるような人ですからね。職業として船に乗っているというよりは、本当に海が好きで船乗りになったんだなと思いますよ」
 池野が生まれ育った環境に、海はそれほど深く関わってはいない。父は裁判官、兄は作曲家。船乗りを志した経緯について、池野自身もこう話す。
「中学から高校に入るころに考えはじめたと思うんですが、何となく海に憧れたというくらいの気持ちで、これといったきっかけはないんです。ただ、実際に船に乗る仕事に就いてみると、自分は海にいるときがいちばんハッピーなんだということを、つくづく感じました」
 一九五八(昭和三三)年、春。東京水産大学を卒業した池野は商船会社に就職。北海道と関東を結ぶ石炭運搬船の乗組員となった。折しも、日本の海運業界は戦後の停滞期から脱却し、勃興期を迎えていた。造船ラッシュで日本中の港湾は賑わい、船乗りは花形職業になっていた。一九六六(昭和四一)年、池野は外国航路に魅力を感じ、九年間勤めていた商船会社を退社。輸入材を扱う材木会社の船舶部に入社する。翌年には船長試験に合格。晴れて外国航路の船長となった。
 しかし、そこからの人生は、決して順風満帆ではなかった。一九七三(昭和四八)年の第一次オイルショックを機に、海運業界は深刻な不況に見舞われる。会社は船舶部を解散し、池野は職を失った。すぐに東京・丸の内にある海運会社に再就職するものの、仕事は石油の掘削装置などを曳いて航行するタグボートの船員。それでも、船に乗れることには変わりはないと、池野は甘受した。
 ところが、一九八〇(昭和五五)年になると、会社は池野に事務職を命じた。船乗りの符(ふ)牒(ちよう)で“陸(おか)に上がる”生活を池野は強いられた。それも、当初は「一年間だけ」という約束だったが、結局は四年間続いた。池野がデスクワークの日々からようやく解放されたのは、一九八四(昭和五九)年。しかしそれは、会社が倒産したときだった。
 再び失職した池野は、気力までも失っていた。世の中は、のちに来るバブル景気の入り口に差しかかり浮かれつつあった。その気になれば、就職口はいくらでもある。が、五〇歳を過ぎていた池野は、いまさら“陸の仕事”に就く気持ちにはなれなかった。当時を回想して池野は言う。
「収入がなくなるのは困るけれども、収入を得るためだけに就職口を探すつもりはなかったですね。ほかに能力がなかったからなんですが、やっぱり船に戻りたい、また船で働きたいという気持ちが強かったです」
 希望は、なかなかかなわなかった。海運会社は乗組員に賃金の安い外国人を雇うケースが増えていた。池野がどこの会社を訪ねても、日本人船乗りは余っていた。
「若いころはよかった……」
 毎晩酒を飲んでは弱音を吐く池野。ある日、その姿を見かね、妻の映子は言った。
「情けない男になったものね」
 海の男を再び奮い立たせるために、あえて辛辣な言葉を投げつけた。
「男というものは、愚痴をこぼさない、言い訳もしない。主人もそういう男だと、私は思っていましたからね」
「No complain, no excuse. 愚痴も、言い訳もしない」――それは池野が日頃から口にしていた信条だった。妻の叱咤を受け、池野の口から泣き言は消えた。気を取り直し、必死で船の仕事を探し歩いた。そして会社倒産による失業から一年後。五二歳の池野は、航海ごとに雇われるフリーの船長となった。
 以来一四年余り、外国航路を運航する貨物船を渡り歩いた。そして迎えた、最後の航海。
 池野は言う。
「これくらいの歳になれば、頭のほうも、体のほうも、無理がきかなくなってくる。このあたりで、そろそろ足の洗いどきだなと、以前から考えていたんです」
 川崎港には、池野が乗る『アロンドラ・レインボー』号が停泊していた。「アロンドラ(Alondra)」はスペイン語で「雲雀(ひばり)」の意。全長一一三・二二メートル、幅一九・八〇メートル。総重量七七六二トン。建造されてまだ一年、ブルーが映える美しい船だった(注・以下、本文中では『アロンドラ・レインボー』号については、アロンドラ号と表示)。
 川崎に入港したのは七月二日。その前日、池野は六七歳の誕生日を迎えていた。妻の映子は、夫の最後の仕事場となる船の前で、プレゼントを差し出した。それは、赤い文字盤の腕時計だった。華やいだ色に、長年の感謝の気持ちを込めた。
「一度出ていったら、一年以上帰ってこないこともありますからね。外国航路の船乗りの家というのは、本当に母子家庭なんですよ(笑)。それが、ようやく普通の生活になるわけですから、無事に務めを果たして帰ってきてくれることを楽しみにしていました」
 池野は、これまでに海難事故を起こしたことは一度もない。アロンドラ号が向かおうとしているマラッカ海峡も、二〇回以上航行した経験を持っていた。不安はない――妻から腕時計を受け取った池野は、いつもと変わらぬ笑顔を残し、船に乗り込んだ。
 しかし、ベテラン船長の最後の航海は、命さえ落としかねない恐怖の旅になろうとしていた。


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