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著者プロフィール
ゲーテ(1749〜1832)
父は帝室顧問官、母は同市市長の娘という夫婦の裕福な市民の長男として、1749年に生まれる。ストラスブール大学で法律の勉強をしながら、最初の大作『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』の構想を練たものと考えられている。弁護士の修行をしながらも、彼の情熱は恋愛と創作の方に注がれていった。〈ドイツに起こった、因習や伝統を否定し個性と意欲と自然を尊重する文学運動〉の旗手としてドイツのみならず外国でも有名となる。
代表作に『若きヴェルテルの悩み』『修業時代』『ファウスト』『詩と真実』『イタリア紀行』などがある。
死に際して「さ、よろい扉をあけておくれ、もっと光を。・・・もっと光を」とつぶやき、ワイマールで82歳の生涯を終えた。
父は帝室顧問官、母は同市市長の娘という夫婦の裕福な市民の長男として、1749年に生まれる。ストラスブール大学で法律の勉強をしながら、最初の大作『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』の構想を練たものと考えられている。弁護士の修行をしながらも、彼の情熱は恋愛と創作の方に注がれていった。〈ドイツに起こった、因習や伝統を否定し個性と意欲と自然を尊重する文学運動〉の旗手としてドイツのみならず外国でも有名となる。
代表作に『若きヴェルテルの悩み』『修業時代』『ファウスト』『詩と真実』『イタリア紀行』などがある。
死に際して「さ、よろい扉をあけておくれ、もっと光を。・・・もっと光を」とつぶやき、ワイマールで82歳の生涯を終えた。
解説
1775年、ヴァイマルに移住してからイタリア旅行までの十年間の生活は、ゲーテにとり、詩的活動の面で最も沈滞した時期であった。彼はイタリアに早くから憧憬を抱きいていた。現在の行きづまりを打開し、人間としても詩人としても新しく生まれ変ろうとする衝動から、ゲーテは感性的な美と自由のシンボルであるイタリア旅行へ出発する。
南欧の自然に陶酔し、生命の充溢を求めるゲーテの心象がヴェネツィア、ローマ、ナポリ、シチリアの美しい風物に託して語られる。
南欧の自然に陶酔し、生命の充溢を求めるゲーテの心象がヴェネツィア、ローマ、ナポリ、シチリアの美しい風物に託して語られる。
目次
カールスバートからブレンナー峠まで
ブレンナー峠からヴェローナまで
ヴェローナからヴェネツィアまで
ヴェネツィア
フェッラーラからローマまで
ローマ
ナポリ
シチリア
ブレンナー峠からヴェローナまで
ヴェローナからヴェネツィアまで
ヴェネツィア
フェッラーラからローマまで
ローマ
ナポリ
シチリア
抄録
エッチュの流れはいまはゆるやかになり、あちこちに広い河原をつくっている。河岸近くの土地には丘の上までも、息がつまると思うほどにぎっしりと、木々が植えてある……ぶどう棚、とうもろこし、桑、林檎、梨、まるめろ、くるみ。石塀ごしににわとこが元気よく枝を突き出している。きずたは力強い幹で岩づたいに生えあがり、岩一面に伸び広がっている。その合間をとかげがすり抜けてゆく。その他あちらこちらに出没するものすべてが、このうえなく好ましい絵画を想起させる。女たちの束ね上げた髪、男たちのあらわな胸と軽快な上着、彼らが市場から追ってかえる見事な牛、荷を積んだ小さなろば、すべてが、生き生きと躍動するハインリヒ・ロース(23)の絵そのものである。
やがて夕暮になるとおだやかな風のもとを、幾切れかの雲が山ぎわに休らい、空にただようというよりは空にたたずんでいる。そして日が沈むとたちまちこおろぎのよくひびく鳴き声がかしましく聞えはじめる。このようなときには、事実このあたりが生まれ故郷のような感じがして、忍びの身の上とか流浪の身であるとは感じられない。まるでここで生まれ育ち、いましがたグリーンランドの航海から、鯨捕りからでも帰って来たような、満足な気持にひたる。これまでずっと少しも気づかずにいたが、馬車のまわりにときおり舞いあがる砂ぼこりまでもが、故国と同じ砂ぼこりと思うとなつかしくなる。鐘や鈴の音のようなこおろぎの鳴き声もたまらなく愛らしいもので、よく通る声だが不愉快な感じはしない。腕白小僧たちがこういう歌姫たちの一群に負けまいと口笛を吹くのも面白く聞える。事実たがいに競いあっていっそう高い音を出しているのだと思いこむ。夕方も日中と同じようにいいようもなく穏やかである。
こんなことにぼくが有頂天になっているのを、もしも誰か南国に住む人か、南国生まれの人が聞いたなら、さぞかしぼくを子供っぽく思うだろう。ああ、ぼくがここで述べていることは、ぼくがずっと以前から知っていたことなのだ。あのいやな天候の下でじっと耐えてきたずっと昔から知っていたことなのだ。そしていまぼくは、ぼくらが永遠の自然的必然としてつねに享受して然るべきはずのこの喜びを、異例のこととして感じたいのだ。
トレントにて、九月十日、夕
市内を歩きまわってきたが、町は大昔のもので、いくつかの街路には新しい立派な家屋も建っている。教会には絵が一枚かかっていて、集会に出席した人びとがイエズス会管長の説教に耳をかたむけているところが描いてある。管長が彼らに何を説いて聞かせたのか、ぼくも、知りたいものだ。こうした長老派の教会は、正面に赤い大理石の柱型があるので、外から見てもすぐにわかる。重いどん帳が埃よけに入口を閉ざしている。それを持ちあげて小さな前堂に入った。本堂そのものは鉄格子で閉ざされているが、それでも全部が見渡せるようになっている。ものみなすべて死に絶えたような静けさである。ここではもう礼拝が行われないからだ。正面の入口が開いていたのは、夕べのお祈りの時刻にはどの教会も開けておくさだめになっているからであろう。
やがて夕暮になるとおだやかな風のもとを、幾切れかの雲が山ぎわに休らい、空にただようというよりは空にたたずんでいる。そして日が沈むとたちまちこおろぎのよくひびく鳴き声がかしましく聞えはじめる。このようなときには、事実このあたりが生まれ故郷のような感じがして、忍びの身の上とか流浪の身であるとは感じられない。まるでここで生まれ育ち、いましがたグリーンランドの航海から、鯨捕りからでも帰って来たような、満足な気持にひたる。これまでずっと少しも気づかずにいたが、馬車のまわりにときおり舞いあがる砂ぼこりまでもが、故国と同じ砂ぼこりと思うとなつかしくなる。鐘や鈴の音のようなこおろぎの鳴き声もたまらなく愛らしいもので、よく通る声だが不愉快な感じはしない。腕白小僧たちがこういう歌姫たちの一群に負けまいと口笛を吹くのも面白く聞える。事実たがいに競いあっていっそう高い音を出しているのだと思いこむ。夕方も日中と同じようにいいようもなく穏やかである。
こんなことにぼくが有頂天になっているのを、もしも誰か南国に住む人か、南国生まれの人が聞いたなら、さぞかしぼくを子供っぽく思うだろう。ああ、ぼくがここで述べていることは、ぼくがずっと以前から知っていたことなのだ。あのいやな天候の下でじっと耐えてきたずっと昔から知っていたことなのだ。そしていまぼくは、ぼくらが永遠の自然的必然としてつねに享受して然るべきはずのこの喜びを、異例のこととして感じたいのだ。
トレントにて、九月十日、夕
市内を歩きまわってきたが、町は大昔のもので、いくつかの街路には新しい立派な家屋も建っている。教会には絵が一枚かかっていて、集会に出席した人びとがイエズス会管長の説教に耳をかたむけているところが描いてある。管長が彼らに何を説いて聞かせたのか、ぼくも、知りたいものだ。こうした長老派の教会は、正面に赤い大理石の柱型があるので、外から見てもすぐにわかる。重いどん帳が埃よけに入口を閉ざしている。それを持ちあげて小さな前堂に入った。本堂そのものは鉄格子で閉ざされているが、それでも全部が見渡せるようになっている。ものみなすべて死に絶えたような静けさである。ここではもう礼拝が行われないからだ。正面の入口が開いていたのは、夕べのお祈りの時刻にはどの教会も開けておくさだめになっているからであろう。
本の情報
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形式
【テキスト形式】特にビューアーは必要ありません。メモ帳などで簡単に見られます。
※注意 同一の書籍でもファイル形式が異なるものは別商品として取り扱っております。
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