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著者プロフィール
広瀬 一郎(ひろせ いちろう)
1955年(昭和30年)静岡県にて誕生
1974年(昭和49年)静岡県立藤枝東高等学校卒業
1980年(昭和55年)東京大学法学部卒業
同年4月 株式会社電通入社
スポーツ・ビジネスに長く携わる。99年12月からJリーグ経営諮問委員。
著作/「プロのためのスポーツマーケティング」(94年電通刊)
「メディアスポーツ」(97年読売新聞社刊)
連載/「2002静岡への道」連載中(静岡新聞)
1955年(昭和30年)静岡県にて誕生
1974年(昭和49年)静岡県立藤枝東高等学校卒業
1980年(昭和55年)東京大学法学部卒業
同年4月 株式会社電通入社
スポーツ・ビジネスに長く携わる。99年12月からJリーグ経営諮問委員。
著作/「プロのためのスポーツマーケティング」(94年電通刊)
「メディアスポーツ」(97年読売新聞社刊)
連載/「2002静岡への道」連載中(静岡新聞)
解説
現在の「スポーツという概念」が成立するまでの過程には、さまざまな文化的な背景があった。ところがそれを完成した表面的な制度として我々は取り入れてしまった。日本人は制度を導入すると、その瞬間に制度を所与のものとしてしまう。そして疑うことをやめる。それは、結果としてスポーツを没社会的な存在に貶めることになるのだ。
スポーツを制度としてではなく、装置として考え、その社会的有用性(ソーシャルパフォーマンス)を再確認することが、今、重要ではないか。
スポーツを制度としてではなく、装置として考え、その社会的有用性(ソーシャルパフォーマンス)を再確認することが、今、重要ではないか。
目次
〜黙示録「終章・はじまり」〜
序章 スポーツのソーシャルパフォーマンス確認に向けて
●スポーツをビジネスにしたユベロス氏
●ソーシャルパフォーマンスとアカウンタビリティー
●スポーツとユニバーサル・アクセス権
●スポーツの社会的な役割とは何か
●スポーツが持つ社会的な5つの効能
第1章 スポーツの神話を解体し、ソーシャルパフォーマンスを問う
●有閑階級と近代スポーツ
●スポーツマンシップとは?
●スポーツと運動の違い
●スポーツのソーシャルパフォーマンス
(1)公共心
(2)老人医療費
(3)犯罪防止
(4)経済
●スポーツの開放と公共性
第2章 スポーツとナショナリズムに関す考察
〜国旗・国歌法制化とシドニー五輪予選に際して〜
●ネーションとナショナリズム
●ナショナリズムを育むスポーツ
●「健全なナショナリズム」とは
●「健全なナショナリズム」とスポーツマンシップ
第3章 スポーツの理念とビジネス化の可能性
●スポーツとは何か?
近代以前にスポーツはあったか?
近代スポーツと産業主義
アマチュアリズムというイデオロギー
●スポーツマーケティング誕生の経緯
1.メディアの発達とスポーツのTV放送権(〜60年代)
2.マーケティングの時代とスポーツビジネスの発達(70年代)
3.スポーツビジネスの近代化とスポーツマーケティング(80年代)
オリンピックの場合
サッカーワールドカップの場合
4.商品としてのスポーツ
5.スポーツマーケティングの定義
●スポーツビジネス最前線(90年代の新しい動き)
…「論座」11月号掲載
●スポーツビジネスと理念
スポーツビジネスと理念の関係について
「理念」の重要性とその現実化戦略について
第4章 スポーツとジャーナリズム
●スポーツジャーナリズムのマーケティング的考察
スポーツに関する広報とは
広報と危機管理ロール・モデルの育成を
●スポーツ評論のアカウンタビリティー 〜あるいはその可能性と限界〜
…(「サッカー批評」創刊号掲載)
●スポーツ評論とアカウンタビリティーPART2
評論に求める3つの要素
啓蒙について
修辞(文学表現)について
哲学或いは世界観の呈示について
スポーツ評論には文学的な質が必要
単なる評論で終わってはいけない
終章 スポーツの公共性とは何か…スポーツ社会学会講演録
●スポーツメセナについて
●日本に公共性という概念はあるのか
●課題解決に向けた一歩に必要なもの
●企業とスポーツ
●スポーツでしか獲得できないこと
●今できる5つのこと
エピローグ
●スポーツで日本人を変える可能性
あとがき
序章 スポーツのソーシャルパフォーマンス確認に向けて
●スポーツをビジネスにしたユベロス氏
●ソーシャルパフォーマンスとアカウンタビリティー
●スポーツとユニバーサル・アクセス権
●スポーツの社会的な役割とは何か
●スポーツが持つ社会的な5つの効能
第1章 スポーツの神話を解体し、ソーシャルパフォーマンスを問う
●有閑階級と近代スポーツ
●スポーツマンシップとは?
●スポーツと運動の違い
●スポーツのソーシャルパフォーマンス
(1)公共心
(2)老人医療費
(3)犯罪防止
(4)経済
●スポーツの開放と公共性
第2章 スポーツとナショナリズムに関す考察
〜国旗・国歌法制化とシドニー五輪予選に際して〜
●ネーションとナショナリズム
●ナショナリズムを育むスポーツ
●「健全なナショナリズム」とは
●「健全なナショナリズム」とスポーツマンシップ
第3章 スポーツの理念とビジネス化の可能性
●スポーツとは何か?
近代以前にスポーツはあったか?
近代スポーツと産業主義
アマチュアリズムというイデオロギー
●スポーツマーケティング誕生の経緯
1.メディアの発達とスポーツのTV放送権(〜60年代)
2.マーケティングの時代とスポーツビジネスの発達(70年代)
3.スポーツビジネスの近代化とスポーツマーケティング(80年代)
オリンピックの場合
サッカーワールドカップの場合
4.商品としてのスポーツ
5.スポーツマーケティングの定義
●スポーツビジネス最前線(90年代の新しい動き)
…「論座」11月号掲載
●スポーツビジネスと理念
スポーツビジネスと理念の関係について
「理念」の重要性とその現実化戦略について
第4章 スポーツとジャーナリズム
●スポーツジャーナリズムのマーケティング的考察
スポーツに関する広報とは
広報と危機管理ロール・モデルの育成を
●スポーツ評論のアカウンタビリティー 〜あるいはその可能性と限界〜
…(「サッカー批評」創刊号掲載)
●スポーツ評論とアカウンタビリティーPART2
評論に求める3つの要素
啓蒙について
修辞(文学表現)について
哲学或いは世界観の呈示について
スポーツ評論には文学的な質が必要
単なる評論で終わってはいけない
終章 スポーツの公共性とは何か…スポーツ社会学会講演録
●スポーツメセナについて
●日本に公共性という概念はあるのか
●課題解決に向けた一歩に必要なもの
●企業とスポーツ
●スポーツでしか獲得できないこと
●今できる5つのこと
エピローグ
●スポーツで日本人を変える可能性
あとがき
抄録
スポーツの社会的役割とは何か
ユニバーサル・アクセス権という問題からスポーツの公共性について考えているときに、聞いた言葉が“ソーシャル・パフォーマンス”で、この言葉で何となく今まで整理されないままでいた考えがまとまりました。
97年4月にアメリカのフィラデルフィアで、“プレジデンシャル・プログラム”というプロジェクトが始まりました。これはクリントン大統領をはじめ生存する前・元の大統領、それに全州の知事が集まって、ドラッグやストリートチルドレンなどの問題解決に一致団結して取り組もうと始めたものです。このプログラムを実際にまとめたディレクターの一人が来日した際、話をする機会がありまして、その時彼から聞いた言葉が“ソーシャルパフォーマンス(Social Performance)”でした。聞き慣れない言葉でしたので、どういう意味か彼に尋ねました。
ソーシャルレスポンスビリティー(Social Responsibility)という言葉とよく似ており、一種の“社会的責任”と考えていいと思います。ただソーシャルレスポンスビリティーには“責任をとりなさい”といった威嚇的な意味合いがあります。
その裏には、「責任をとる側」と「とらせる側」といった対立した関係があります。しかし、現在の子どもの問題、スポーツの問題、環境の問題のどれをとってみても、そういう関係ではなく、ほとんど全員が当事者です。あの人がいいとか、悪いといった単純な構造ではないことがだんだんはっきりしてきました。公共的な問題というのは実は全員が当事者であって、当事者でないものはいないということです。
ですから、ソーシャルレスポンシビリティーとは意味が違ってきます。ソーシャルパフォーマンスは、あなたは(あなた自身もその一員である)社会に対して何ができるのか、社会にどう寄与するのか、を問います。
ネガティブなアプローチからポジティブなアプローチで問題解決を考えるためにアメリカで生まれた言葉です。この言葉が、いま私のスポーツについて持っている問題意識を非常に的確に表していると思っています。(この点については本文中で詳しく触れます。)「スポーツとは何か」といいましても、それは定義論ではありません。“What is スポーツ”ではなく、“Why?”を問わなければいけないと思います。なぜ、いまスポーツが必要なのか、なぜ、スポーツが世界でこれほど人気になっているのか。スポーツが社会的に大きなポジションを占めているこの社会の中で、“Why?”を問わないでスポーツとは何かが分かるはずもありません。
ワールドカップを開催するためには、そこを理解しておかなければならないのでは? というのが、私の素朴な疑問です。だれも疑問を投げかけないで、だれもそれに答えようとしないで、だれもそれを考えようとしないまま、終了してしまった長野五輪という前例があります。
当事者たちは考えたと言うかもしれませんが、少なくとも日本人の大部分の人たちは、たしかに船木選手の笑顔や原田選手の泣き顔を見て感動はしましたが、巨額のお金を投じたオリンピックとは、いったい日本という社会にとって何だったのかということを理解していたのでしょうか。
ユニバーサル・アクセス権という問題からスポーツの公共性について考えているときに、聞いた言葉が“ソーシャル・パフォーマンス”で、この言葉で何となく今まで整理されないままでいた考えがまとまりました。
97年4月にアメリカのフィラデルフィアで、“プレジデンシャル・プログラム”というプロジェクトが始まりました。これはクリントン大統領をはじめ生存する前・元の大統領、それに全州の知事が集まって、ドラッグやストリートチルドレンなどの問題解決に一致団結して取り組もうと始めたものです。このプログラムを実際にまとめたディレクターの一人が来日した際、話をする機会がありまして、その時彼から聞いた言葉が“ソーシャルパフォーマンス(Social Performance)”でした。聞き慣れない言葉でしたので、どういう意味か彼に尋ねました。
ソーシャルレスポンスビリティー(Social Responsibility)という言葉とよく似ており、一種の“社会的責任”と考えていいと思います。ただソーシャルレスポンスビリティーには“責任をとりなさい”といった威嚇的な意味合いがあります。
その裏には、「責任をとる側」と「とらせる側」といった対立した関係があります。しかし、現在の子どもの問題、スポーツの問題、環境の問題のどれをとってみても、そういう関係ではなく、ほとんど全員が当事者です。あの人がいいとか、悪いといった単純な構造ではないことがだんだんはっきりしてきました。公共的な問題というのは実は全員が当事者であって、当事者でないものはいないということです。
ですから、ソーシャルレスポンシビリティーとは意味が違ってきます。ソーシャルパフォーマンスは、あなたは(あなた自身もその一員である)社会に対して何ができるのか、社会にどう寄与するのか、を問います。
ネガティブなアプローチからポジティブなアプローチで問題解決を考えるためにアメリカで生まれた言葉です。この言葉が、いま私のスポーツについて持っている問題意識を非常に的確に表していると思っています。(この点については本文中で詳しく触れます。)「スポーツとは何か」といいましても、それは定義論ではありません。“What is スポーツ”ではなく、“Why?”を問わなければいけないと思います。なぜ、いまスポーツが必要なのか、なぜ、スポーツが世界でこれほど人気になっているのか。スポーツが社会的に大きなポジションを占めているこの社会の中で、“Why?”を問わないでスポーツとは何かが分かるはずもありません。
ワールドカップを開催するためには、そこを理解しておかなければならないのでは? というのが、私の素朴な疑問です。だれも疑問を投げかけないで、だれもそれに答えようとしないで、だれもそれを考えようとしないまま、終了してしまった長野五輪という前例があります。
当事者たちは考えたと言うかもしれませんが、少なくとも日本人の大部分の人たちは、たしかに船木選手の笑顔や原田選手の泣き顔を見て感動はしましたが、巨額のお金を投じたオリンピックとは、いったい日本という社会にとって何だったのかということを理解していたのでしょうか。
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