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著者プロフィール
滝口 康彦(たきぐち やすひこ)
(1929〜2004)
佐世保市生まれ。炭鉱で働きながらラジオドラマの台本や小説を発表。1957年から、作家の道へ。1958年にサンデー毎日大衆文芸賞を受賞した「異聞浪人記」が『切腹』(1962)、「拝領妻始末」が『上意討ち−拝領妻始末−』(1967)として、映画化される。「高柳父子」「かげろう記」「霧の底から」「仲秋十五日」「日向延岡のぼり猿」「主家滅ぶべし」で計6回、直木賞候補となる。
(1929〜2004)
佐世保市生まれ。炭鉱で働きながらラジオドラマの台本や小説を発表。1957年から、作家の道へ。1958年にサンデー毎日大衆文芸賞を受賞した「異聞浪人記」が『切腹』(1962)、「拝領妻始末」が『上意討ち−拝領妻始末−』(1967)として、映画化される。「高柳父子」「かげろう記」「霧の底から」「仲秋十五日」「日向延岡のぼり猿」「主家滅ぶべし」で計6回、直木賞候補となる。
解説
天正12年、九州の雄だった竜造寺隆信が戦死し、佐賀35万石の藩主の地位は、隆信の家臣だった鍋島氏に引き継がれた。異例のこの交代劇は、表面おだやかにみえたが、竜造寺家につながる人々にとって、次第に怨念をつのらせる推移となった……。乱世に生きる武門の消長と士魂をドラマチックに描いた歴史長篇小説。
目次
悲運の御曹司
乱心者
高房怨霊
忘れがたみ
狂乱童子
直茂死後
大望
伊豆の沖
運命の日
天佑寺墓地
乱心者
高房怨霊
忘れがたみ
狂乱童子
直茂死後
大望
伊豆の沖
運命の日
天佑寺墓地
抄録
佐賀には樟(くす)が多い。城内の曲輪くるわはもとより、侍屋敷、濠ばた、神社や寺の境内、そのほか至るところに、空を圧して樟の老樹がそそり立っている。肥前佐賀三十五万七千石の筆頭家老、竜造寺与兵衛尉家久(いえひさ)の屋敷もまた例外ではなかった。
春は春、秋は秋、あるいは夏冬、四季それぞれおもむきはあるが、佐賀ではやはり桜が散ったあとの青葉どきがよい。樟の緑が立ちこめて、城下のすみずみまで緑に染まる感じである。においも強い。どこか枝でも折れていれば、奥座敷までもにおいが流れてくる。
昼ごろ、ひとしきり突風が吹いた。それでどこか小枝でも折れたのであろう。その夜も強く樟がにおった。竜造寺家久は、広い屋敷の奥まった一室で、ゆっくりと墨をすっていた。江戸の外桜田の屋敷にいる、竜造寺家の世継藤八郎高房(たかふさ)に、久々に手紙を書こうと思ったのである。
墨はもう濃くなり過ぎていた。家久は、なんと書き出したものかまだ迷っていた。高房は、傷つきやすい魂の持主だった。ことにいまは、失意のうちにある。それだけに、十分心を配らねばならなかった。なおも迷っているとき、来客があった。
「久納(ひさのう)市右衛門さまがお越しになりました」
取次ぎの家士のことばを聞いて家久は、
「市右衛門が……」
急にはのみこめない顔をした。江戸にあるべき名前だったからである。家士はあわてていい足した。
「ただいま、江戸からもどったばかりとのことでございます」
家久の眉がわずかに動いた。久納市右衛門は、石井主水(もんど)とともに、竜造寺高房つきの老臣であった。それがなんのためにもどってきたのか。四十四という年よりは、三つ四つ若く見える家久の顔に、ちらっと影のようなものがかすめた。
「どこでお会いなされます」
家士は低い声でたずねた。
とるにも足らぬ小藩ではない。三十五万七千石の鍋島家で、二万一千余石をはむ筆頭家老である。広大な屋敷の中には、応対の間がちゃんとある。が、そこまで足を運ぶのは大儀であった。
「ここへ通せ」
「かしこまりました」
しばらくして、旅装のままの久納市右衛門が、大きなからだをあらわした。燭台の火がかすかにゆらいだ。
春は春、秋は秋、あるいは夏冬、四季それぞれおもむきはあるが、佐賀ではやはり桜が散ったあとの青葉どきがよい。樟の緑が立ちこめて、城下のすみずみまで緑に染まる感じである。においも強い。どこか枝でも折れていれば、奥座敷までもにおいが流れてくる。
昼ごろ、ひとしきり突風が吹いた。それでどこか小枝でも折れたのであろう。その夜も強く樟がにおった。竜造寺家久は、広い屋敷の奥まった一室で、ゆっくりと墨をすっていた。江戸の外桜田の屋敷にいる、竜造寺家の世継藤八郎高房(たかふさ)に、久々に手紙を書こうと思ったのである。
墨はもう濃くなり過ぎていた。家久は、なんと書き出したものかまだ迷っていた。高房は、傷つきやすい魂の持主だった。ことにいまは、失意のうちにある。それだけに、十分心を配らねばならなかった。なおも迷っているとき、来客があった。
「久納(ひさのう)市右衛門さまがお越しになりました」
取次ぎの家士のことばを聞いて家久は、
「市右衛門が……」
急にはのみこめない顔をした。江戸にあるべき名前だったからである。家士はあわてていい足した。
「ただいま、江戸からもどったばかりとのことでございます」
家久の眉がわずかに動いた。久納市右衛門は、石井主水(もんど)とともに、竜造寺高房つきの老臣であった。それがなんのためにもどってきたのか。四十四という年よりは、三つ四つ若く見える家久の顔に、ちらっと影のようなものがかすめた。
「どこでお会いなされます」
家士は低い声でたずねた。
とるにも足らぬ小藩ではない。三十五万七千石の鍋島家で、二万一千余石をはむ筆頭家老である。広大な屋敷の中には、応対の間がちゃんとある。が、そこまで足を運ぶのは大儀であった。
「ここへ通せ」
「かしこまりました」
しばらくして、旅装のままの久納市右衛門が、大きなからだをあらわした。燭台の火がかすかにゆらいだ。




















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