マイリストに追加

和書>小説・ノンフィクション文芸日本文学現代小説

マリクロ連載文庫 愛は哀しみよりもなお深く 完全版(2)

マリクロ連載文庫 愛は哀しみよりもなお深く 完全版(2)


発行: マリクロ
レーベル: マリクロ連載文庫 シリーズ: 愛は哀しみよりもなお深く 完全版
価格:100pt
形式:MEDUSA形式⇒詳細
対応端末:パソコン スマートフォン タブレット
みんなの評価 未評価
◆レビューを書く

¥0サンプル
XMDFのファイルをご覧になるにはブンコビューア最新版(無料)をインストールしてください。

「書籍ファイルが壊れています」と表示される場合は、ブンコビューアを最新版にアップデートしてください。
購入する


著者プロフィール

 八秦 愛(やはたあい)
 「言葉」による表現の豊かさを小説に感じます。
 もの思いに耽りがち。それをことばで掬い取って、小説や詩、エッセーのかたちにすることが願い。自由なスタイルで書くのが好み。
 現代や近代の小説表現に囚われずに、日本だけでなく世界の古典にも目を向けて、豊饒な言語空間のなかで「人間」を描いていければと思います。
 野鳥や虫を眺めていると安らぎます。

解説

 画家志望の僕は、年上の女性・典子に養われて、絵を描いて暮している。典子は新進気鋭のクリエイター。ある日、僕は西岡祐子、さつきの親子と出会う。二人はこの世の者とは思えないほど美しく、瓜二つの母と子に僕は魅せられる。祐子とさつき、それに典子と僕の関係が、四人の人生を変えていく。3人の女をモチーフに絵を描き続ける僕の、美に囚われた人生はどう変わっていくのだろう。彼女たちの未来はどうなっていくのだろうか。

抄録

 女の瞳を僕が描く、するとその瞳は僕のものでなくなり、きらめく黒い太陽となった。僕は筆を加えるのが恐ろしくなるときがあった。絵を描いているときは、どんな場合でも、かつては理性的であったはずなのに、僕の手は画家の冷ややかさを失い、燃えるように熱くなるのだった。僕は何か僕以外のものがこの絵を描かせているのを感じた。微熱にうかされた病人のように、僕は恍惚感の中を彷徨《さまよ》い、何かに牽引されるがままに、『昇天してゆく女たち』を描きつづけた。

 最後の日の朝、僕は椅子に腰掛けて、描きかけの絵を眺めながら、ぼんやりと思索に時を過ごしていた。まだ外はしらしら明けだったが、空は徐々にうす紫になりはじめていた。一週間頑張ったおかげで、ようやく下絵程度のものが出来上がった、と思いながら、目の前の絵を見ていると、絵が何かを僕に語りかけたように思えた。或る心地良い思惟の萌芽が、いまだ不明瞭なかたちではあったけれども、脳裏をかすめたような感覚に襲われた。そこで僕は、注意力を集中して、目前の絵のなかの女たちを、凝視した。
 ──まだ何かが不足している。
 と、一人で部屋に居るときの常で、ひどく真面目に考えはじめた。
 ──僕はこれまで、絵の中の空間と現実の世界の空間を、はっきりと分離してきた。僕の製作方法はこうだった。まず現実の事物の形態と印象を視覚的に記憶する。これは形相把握と言ってもよい。把握された形相が、意識の中に曖昧な象として定着されていく時、その現実的形態は、僕の情緒的変更に色づけされつつ、恣意的な変貌をとげて崩壊する。そして僕はカンバスに向かう。画布を前にして、僕は記憶にとどめた、漠然としてしか意識に残っていない事物の現実的形態の心象を、僕なりの創造的意匠をもって、平面上に再現しようとする。つまり僕は、心象をこそ質料とみなしてきたのだった。……
 思考を中断して、僕は目を閉じて、額に手をあてて、いらだつ頭脳の働きを静めようと努めた。しかし、努めれば努めるだけ、とりとめもない考えに取り憑かれていくのだった。そうしているうちに、僕には少しずつ、自分が何を考え、何を欲求しているのかわかりはじめた。
「現実の世界と絵の中の世界」
 と僕は呟いた。
 そのとき突然、僕の心のなかにはげしい痙攣が起こった。あたりに立ち籠めていた濃い霧が一瞬にして消え去って、視界がいっきにひらけて、雲間からのぞく太陽の光によって光景がぱっと輝き鮮明になるように、僕の心の靄《もや》もたちまち消滅したのだった。僕は望んでいた。この絵の主題が、現実の主題となることを。この絵の世界が現実の世界となることを。自分の欲求していたことに気づいて、僕の胸は熱くなった。
 そして僕は決心した。できるものなら、この絵とそっくり同じに、現実を作り変えようと。
 ……喜びのあまり思わず笑みがこぼれた。僕のようなこれまで決してまともに現実にかかわろうとしなかった者が、はじめて自らの企みによって、現実にかかわろうとしている、そう思うと、妙に愉快になった。
 ──この絵と同じものを、現実という大きなカンバスの上に、この手で創造しよう。それこそが僕にとって真の創作にちがいない。祐子とさつきと典子を、かたい絆で結びつけてやろう。そして僕は彼女たちを眺めるのだ。そのときはじめて、僕はこの絵を僕に描かせた真の秘密を知るだろう。
 僕は立ち上がって、窓を開けて、朝の空気を胸いっぱい吸い込んだ。そして、さわやかな冷気につつまれながら、『昇天してゆく女たち』の絵を、振り返って見た。朝日に照らされたその絵を見て、僕は戦慄した。

本の情報

この本を読んだ人は、こんな本も読んでいます

形式

【MEDUSA形式】
MEDUSA形式の作品はブラウザですぐに開いて読むことができます。パソコン、スマートフォン、タブレット端末などで読むことができます。作品はクラウド上に保存されているためファイル管理の手間は必要ありません。閲覧開始時はネットに接続している必要があります。

詳細はMEDUSA形式の詳細説明をご覧下さい。