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凍える島

凍える島

著: 近藤史恵
発行: 東京創元社
価格:473円(税込)
10ポイント還元
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対応端末:パソコン ソニー“Reader”
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著者プロフィール

 近藤 史恵(こんどう ふみえ)
 大阪市生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。93年、「凍える島」で第四回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。著書に「ねむりねずみ」「ガーデン」「スタバトマーテル」「散りしかたみに」等がある。

解説

 友人と喫茶店を切り盛りする北斎屋店長野坂あやめは、得意客込みの慰安旅行を持ちかけられる。行先は瀬戸内海に浮かぶ無人島。話は纏まり、総勢八名が島へ降りたつことになる。ところが、退屈を覚える暇もなく起こった事件がバカンス気分を吹き飛ばす。硝子扉越しの室内は無惨絵さながら、朱に染まった死体が発見され、島を陰鬱な空気が覆う。道中の遊戯が呼び水になったかのような惨事は、終わらない。――連絡と交通の手段を絶たれた島に、いったい何が起こったか? 由緒正しい主題に今様の演出を加え新境地を拓いた、第四回鮎川哲也賞受賞作。

目次

 点描 その、ほんのすこしまえ
 壱 北斎屋
 貳 水の上の午餐
 参 わたしたちはもう、戻れないところまできてしまった
 四 心臓の在処
 伍 濃霧に抱かれて
 六 霧散孤島花
 七 馬鹿者のためのレクイエム
 八 青の迷路
 九 詩人の血
 拾 風に揺れる、瓢
 壱拾壱 名前の呪縛

抄録




点描 その、ほんのすこしまえ


 もうとっくに、だめになりかけていた。
 性懲りもなく、くりかえされる悪食めいた抱き合い。わたしが顔をもたせかけるための首のくぼみも、白い顔には不似合いな髭の感触も、そのときだけのことだった。
 いつだってぎこちなかった。
 なにひとつ、うまくいったためしがなかった。それは彼の妻と、妻に対する思いのせいだけではなく、わたしたちが生まれつき持っていた、血の流れのせいだったのだと思う。
 わたしの問いかけに、彼は気のきいた答を返せず、彼の質問に、わたしはいつもくちごもった。
 ことばにつまると、わたしは黙ってうえを向き、彼の抱擁を待った。かわいた唇。苦くつらい味の唾液。ふたりとも水にもぐるように息をつめて抱き合った。
 無数の羽虫がわたしたちをかすめて飛ぶような気がした。





 日盛りにかすむ夏の歩道から、すべては始まった。
 人の群れの中に、奴のすがたを見つけた。大きな荷物を抱え、上唇にこどものような、不機嫌さをにじませて歩いていた。
 気付くのはおれの方が少し早かった。
 声をかけるには遠すぎた。おれが近づきはじめたとき、奴ははじめておれに気付いた。
 だが、一瞬だけのことだった。奴の目は大きく見開かれ、そして次の瞬間、なにも見なかったように無関心を装った。
 たとえば、たいして親しくもない人との、挨拶の手間を惜しむかのように。
 次におれがしたことは、人生でいちばん馬鹿なことだった。
 奴の腕を掴んで、なにをぼんやりしているんだ、と言えばよかったのだ。
 だが、おれはそうしなかった。自分も気付かないふりをした。
 おれたちは見知らぬ者のようにすれちがった。互いに全身を神経の塊のように尖らせて、相手のことを意識しながら。
 後になって思う。あのときおれたちは、互いへの思いを、冷たく硬い刃物に変えて隠し持ちながら、すれちがう瞬間、確かに刺し違えたのかもしれない。
 うまくやるのだ。
 たいしてむつかしいことではないはずだ。ただ、うまくやるだけ。
 あいつがおれにふざけてもたれかかるとき、ひどく近いところで笑うとき、おれは気持ちにシャッターを下ろす。なにも、感じないようにする。硝子の窓越しに、あいつの顔を盗み見る。そうして、あいつがいなくなってから、はじめて息をつき、あいつのことを思い出す。
 言ってはならない。ゆるされないことだから。だが、おれの耳もとでささやく者がある。
 言ってしまえよ。
 言ってしまえば、もう、言わないでいることから解放される。
 だが、おれはなにものぞんではいない。ただ、うまくやりたいだけ。





 彼女の二十五歳の誕生日のことだった。
 わたしと彼女はお祝いに、一流ホテルのフランス料理店に行き、デザアトとシャンペンだけを注文するという、豪快な無作法をやらかしていた。
 彼女はその日、ひどく陽気でゆううつそうだった。いつもの数倍喋りながら、言いたいことはひとつも言えないようだった。ことばは現実を上滑りしていくだけだった。
 どうやら、彼女は、もやもやしているらしかった。
 わたしはちょっと考えた。彼女がなぜ、もやもやしているのかは、わからない。けれど彼女がもやもやしている、ということはよくわかった。
 わたしは十代のころ、「もうなにかに迷わされたり、弱らされたりすることはやめよう」と、決めてしまっていたので、その手のもやもやとはごぶさたしていた。
 いつか、その考えを、目の前でシャンペンの酔いに目を赤くしているおんなのこに教えてあげようと思う。
 だが、とりあえずは応急処置だ。わたしは安楽死のようなひとことを考えた。
 シャンペンの最後の一滴がなくなると、わたしは苺をつついている彼女に、きっぱりと言った。
「あやめさんは、なにごとにも考えすぎだよ」





 時計が十二時を指した、その瞬間。
 いっせいに、皆が身じろぎをはじめる。





壱 北斎屋


「無人島とはこれまた古風な」
 うさぎくんがおおげさにおどろいてみせた。なつこさんの恋人の椋(むく)くんはからになったジタンの箱をわたしに渡した。 「ガスも電気もあるし、ちゃんと人が住めるようになってるんだよ」
 凝った煙草はうちにはおいていない。わたしはハイライトを椋くんのまえにおいた。手をあげて、感謝のしぐさをする。贅沢を言わないのが彼のいいところだ。
 話は椋くんの知り合いが、無人島に別荘をもっているということだった。
「おれならひまそうだから、つかわないときは貸してくれるってさ」
「いいねえ」
 うさぎくんは窓ぎわの席からわたしに声をかけた。
「あやめさん、どう。北(ほく)斎(さい)屋(や)の慰安旅行でさ」
 わたしは、白木のままの、とげの刺さりそうなカウンタにもたれた。
「慰安旅行っていったって、わたしとなつこさんしかいないじゃない」


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