和書>小説・ノンフィクション>ボーイズラブ小説>兄弟
解説
裕福な家庭に生まれ、兄・慎司に溺愛されて育った明里の生活は、いつも中心に慎司がいた。だが、明里に対する愛情の激しさに慎司自身が疑問を抱いたことで、明里の生活は揺らぎ始める。禁忌の想いを封じようと、明里に冷淡な態度を取る慎司。そして、慎司の言動に胸を痛め、傷つく明里。互いを求め合いながらも、その愛情ゆえに身動きがとれなくなっていくふたり……だが、傷つきあうほどに、ふたりは強く惹かれあう。そんなある日、梧桐家に明里の出生の秘密を握るという男が現れて……。
目次
春楡館に秘める鍵
あとがき
あとがき
抄録
物音で目を覚ました明里は、湿った寝台から機敏に身を起こす。
昨晩は着替えもせずに、いつの間にか寝入ってしまった。
誰か来たのだろうか。
いや、管理人がここを見に来るのは夏のあいだだけのはずだ。
自分たちが大きくなったこともあり、梧桐家はもう何年も、春楡館を使用しなくなっている。とはいえ、この家には金めのものは殆ど置いていないし、物盗りが来る理由もない。
おそるおそる戸外に視線を投げると、外界は一面の白銀に覆われている。雪はまだ降り続いているようで、羽毛のような雪片《せっぺん》が次々落ちていく。この近辺では降雪があっても積もらずにすぐに解けてしまうそうだが、そんな中珍しく、二十センチ近くは積もっているだろう。
胸中にあるのは諦観《ていかん》だった。
明里がおずおず階段を下りていくと、ちょうど軋んだ音を立てて玄関の扉が開くところだった。
戸口に立った人物の姿に、明里は我が目を疑う。
――まさか、そんな……。
「兄さん……!」
慎司の髪や肩には雪が降り積もり、彼の吐息は真っ白だった。
「明里!」
手を伸ばした慎司が、躊躇《ためら》うことなく明里の躰《からだ》を掻き抱く。
息が止まりそうだった。
「に、兄さん、どうしてここに……それに、怪我は!?」
「あれくらい大したことはない」
そう言って、慎司は明里を抱き締める腕に力を込める。
なんて強い力なのだろうか。
この世にある雪も氷もすべて溶かしてしまうような、その腕。その力。
「どうして……」
明里は呆然と繰り返した。
「おまえを失うことなど、私には耐えられない」
その言葉に一瞬、胸がざわめいたが、次の台詞に明里の心は萎えていくのをまざまざと感じた。
「この先おまえを弟として遇するし、疎略に扱うこともしない。約束するから、一緒に帰ろう」
「……嫌だ」
期待とはまったく違う言葉を口に出されて、明里は自分の愚かさを内心で嘲笑った。
こうして輕井澤に迎えに来てもらい、弟として扱うと約束してもらえるだけでも、過分な待遇ではないか。なのにそれ以上のものを求めて、いったい自分はどこまで贅沢になるつもりなのか。
けれども、家を出た以上は、明里の覚悟も既に決まっている。
今、彼と共に自宅に戻ったとしても、苦痛に満ちた日々が待ち受けているだけだ。指を咥えて慎司が他人のものになるところをのうのうと見守っていられるほど、明里は強くはなれなかった。
「どうしてだ」
問い返す慎司の肩を無言で押しのけ、明里は彼の腕から擦り抜けた。
「約束することに意味があるとは思えません。兄弟になんて、僕は今更戻れない」
明里はべつに、兄という存在が欲しかったわけではない。欲しいのは慎司だ。だからこそ、慎司自身と繋がるよすがが欲しかったのだ。
「血の繋がりがないのが嫌なら、義兄弟とでも思えばいい。どのみちお互いにいずれ結婚する。そうすれば、顔を合わせることも減るだろう。おまえも、梧桐家の後ろ盾がなくなれば大変なはずだ」
「そんなことじゃない!」
思わず声が強いものになり、明里はぎょっとして口を噤《つぐ》んだ。
「それでは、どういうことだ?」
「――兄弟に戻れないと思っているのは、兄さんのほうでしょう……?」
「何?」
痛いところを衝かれたように、一瞬、慎司の表情が強張った。
「僕は兄さんに無理をさせるのも、自分が無理をするのも……どちらも嫌です」
「では私に我慢するなというのか? 己の気持ちに正直になれと?」
「はい」
いっそのこと、おまえのことなどもういらぬのだと、役立たずのただ飯食らいは出ていけと、それくらい罵倒をされたほうがいい。
*この続きは製品版でお楽しみください。
昨晩は着替えもせずに、いつの間にか寝入ってしまった。
誰か来たのだろうか。
いや、管理人がここを見に来るのは夏のあいだだけのはずだ。
自分たちが大きくなったこともあり、梧桐家はもう何年も、春楡館を使用しなくなっている。とはいえ、この家には金めのものは殆ど置いていないし、物盗りが来る理由もない。
おそるおそる戸外に視線を投げると、外界は一面の白銀に覆われている。雪はまだ降り続いているようで、羽毛のような雪片《せっぺん》が次々落ちていく。この近辺では降雪があっても積もらずにすぐに解けてしまうそうだが、そんな中珍しく、二十センチ近くは積もっているだろう。
胸中にあるのは諦観《ていかん》だった。
明里がおずおず階段を下りていくと、ちょうど軋んだ音を立てて玄関の扉が開くところだった。
戸口に立った人物の姿に、明里は我が目を疑う。
――まさか、そんな……。
「兄さん……!」
慎司の髪や肩には雪が降り積もり、彼の吐息は真っ白だった。
「明里!」
手を伸ばした慎司が、躊躇《ためら》うことなく明里の躰《からだ》を掻き抱く。
息が止まりそうだった。
「に、兄さん、どうしてここに……それに、怪我は!?」
「あれくらい大したことはない」
そう言って、慎司は明里を抱き締める腕に力を込める。
なんて強い力なのだろうか。
この世にある雪も氷もすべて溶かしてしまうような、その腕。その力。
「どうして……」
明里は呆然と繰り返した。
「おまえを失うことなど、私には耐えられない」
その言葉に一瞬、胸がざわめいたが、次の台詞に明里の心は萎えていくのをまざまざと感じた。
「この先おまえを弟として遇するし、疎略に扱うこともしない。約束するから、一緒に帰ろう」
「……嫌だ」
期待とはまったく違う言葉を口に出されて、明里は自分の愚かさを内心で嘲笑った。
こうして輕井澤に迎えに来てもらい、弟として扱うと約束してもらえるだけでも、過分な待遇ではないか。なのにそれ以上のものを求めて、いったい自分はどこまで贅沢になるつもりなのか。
けれども、家を出た以上は、明里の覚悟も既に決まっている。
今、彼と共に自宅に戻ったとしても、苦痛に満ちた日々が待ち受けているだけだ。指を咥えて慎司が他人のものになるところをのうのうと見守っていられるほど、明里は強くはなれなかった。
「どうしてだ」
問い返す慎司の肩を無言で押しのけ、明里は彼の腕から擦り抜けた。
「約束することに意味があるとは思えません。兄弟になんて、僕は今更戻れない」
明里はべつに、兄という存在が欲しかったわけではない。欲しいのは慎司だ。だからこそ、慎司自身と繋がるよすがが欲しかったのだ。
「血の繋がりがないのが嫌なら、義兄弟とでも思えばいい。どのみちお互いにいずれ結婚する。そうすれば、顔を合わせることも減るだろう。おまえも、梧桐家の後ろ盾がなくなれば大変なはずだ」
「そんなことじゃない!」
思わず声が強いものになり、明里はぎょっとして口を噤《つぐ》んだ。
「それでは、どういうことだ?」
「――兄弟に戻れないと思っているのは、兄さんのほうでしょう……?」
「何?」
痛いところを衝かれたように、一瞬、慎司の表情が強張った。
「僕は兄さんに無理をさせるのも、自分が無理をするのも……どちらも嫌です」
「では私に我慢するなというのか? 己の気持ちに正直になれと?」
「はい」
いっそのこと、おまえのことなどもういらぬのだと、役立たずのただ飯食らいは出ていけと、それくらい罵倒をされたほうがいい。
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