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プロジェクトX 挑戦者たち ジャパンパワー、飛翔 女たちの10年戦争/「男女雇用機会均等法」誕生

プロジェクトX 挑戦者たち ジャパンパワー、飛翔 女たちの10年戦争/「男女雇用機会均等法」誕生


発行: 日本放送出版協会
シリーズ: プロジェクトX 挑戦者たち
価格:100pt
形式:XMDF形式⇒詳細 
対応端末:パソコン ソニー“Reader”
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解説

 近年、様々な職場で女性の進出がめざましいが、かつて職場は男社会、女性たちは信じられないほど低く扱われていた。仕事といえば、お茶汲みと書類運び。給料は上がらず、昇進もなく、結婚イコール退職、そんなことが慣行化され、制度化されていた。
 昭和60年、このような状況に突破口を開く法律が成立した。「男女雇用機会均等法」である。就職、昇進、定年など、職場における男女の平等をうたった日本初の法律だった。
 この画期的な法律ができるまでには、様々な難題が立ちはだかった。経営者団体と労働団体の意見が真っ向から対立した。そして、リーダーの赤松良子を中心としたプロジェクトメンバーは、のちに「鬼の根回し」と異名をとる懸命の調整を続けた。
 そして、最後に「法律」という形につくり上げたのは、自らも家庭を持ち、子供を抱えながら働く労働省婦人少年局の女性官僚たちの執念だった。立ちはだかる男社会の壁、女性を中心とする労働側からの「生ぬるい」という批判。それらの苦闘を乗り越え、「男女雇用機会均等法」は成った。

目次

一 「女性は三〇歳で定年」という現実
ニ 「一〇年戦争」の始まり
三 攻防の日々
四 働く女性のための法律、ついに成立

抄録

一 「女性は三〇歳で定年」という現実


 決定的な一歩


 近年、様々な職場で女性の進出がめざましい。運輸、建設、保安など、かつては“男の仕事”とされた分野で溌剌と働く女性の姿が目立つようになり、基幹業務に携わる総合職の女性も増え、さらには社員数千人を抱える大会社の社長に昇りつめる女性も現れた。いまでは多くの人々が、それらを自然なこととして受けとめるようになっている。
 現在、日本の働く女性の数(女性労働力人口)はおよそ二七〇〇万人。一五歳以上の女性(約五五〇〇万人)のうち、ほぼ半数(五〇パーセント)が何らかの形で働いている勘定であり、また、この数は男性も含めた全労働力人口のおよそ四〇パーセントにあたる。思ったよりも高いな、と感じる人が多いはずである。しかし実は、これは最近の現象ではなく、高度経済成長期にさしかかった昭和三五(一九六〇)年ころから四〇年間、これらはほぼ同じ割合(五〇パーセント、及び四〇パーセント前後)を保ってきている。つまりこの間、いつもこれだけの高い割合で女性たちは働いてきたのである。その結果、総人口の増加に伴って働く女性の数自体も増えつづけてきたわけだが、しかし単なる数の増加以上に、ひと昔前に比べて女性たちが明らかに“元気になった”と感じられることもたしかである。このところの女性たちの、かくも広範で、鮮やかな職場進出を目の当たりにするとき、「何かが決定的に変わった」と思わざるを得ないのである。
 かつて、OLなどという言葉ができる以前の昭和三〇年代、会社に勤める女性は「職場の花」と呼ばれていたことがあった。表現はソフトだが、その意味するところは、要するに女性は仕事には関わらない“添え物”であり、職場に“潤い”を与えるだけの存在に過ぎないという、まさに男の側の一方的な論理である。だから、彼女たちの仕事はもっぱらお茶汲みと書類運びであり、したがって働いても給料は上がらず、昇進もほとんどなかった。そして、そのような存在である以上、結婚する場合は速やかに退職すべきであり、そうでない場合でもいつまでも会社にいつづけるものではないとされ、そのことが当然のことのように慣行化し、あるいは制度化されていた。なるほど、日本国憲法第一四条は「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とうたっている。しかし、残念ながら世の現実は、必ずしもその理念にすべて沿うものではなく、とりわけ企業社会や私的な領域にあっては、有形無形の様々な不平等と差別が現代においてなお存在していることは事実である。従来の日本の職場はまさにその典型で、この男社会のなかでは女性たちは信じられないほど低く扱われていた。「女性差別」がまかり通っていたのである。
 昭和六〇(一九八五)年、このような状況に突破口を開く法律が成立した。法の下の平等を保障する日本国憲法の理念にのっとり、職場における男女の均等な雇用機会と待遇における平等の促進を明確にうたった初めての法律、すなわち「男女雇用機会均等法」(同年六月公布、六一年四月施行)である。この法律の内容については、当事者も認めるように、不十分だ、微温的だといった議論が成立当初からあった。しかし、男女平等の理念に立ち、女性の差別的取り扱いへの規制を初めて明文化したことの意義は計り知れないほど大きい。その意味でこれは決定的な一歩であった。近年の女性たちの“元気”の大きな部分は、この一歩に源を発していると言っていいであろう。
 この画期的な法律ができるまでには、いくつもの婦人団体や労働組合の女性たちの、女性の地位向上のための地道な運動があった。そして最後に「法律」という形につくり上げたのは、自らも家庭を持ち、子どもを抱えながら働く労働省(現・厚生労働省)婦人少年局の女性官僚たちの執念だった。立ちはだかる男社会の壁、女性たちからの「生ぬるい」という批判。それらを乗り越えて、男女雇用機会均等法は成ったのである。
 そこには、誰かがいつかはやらなければならないことをまさに最初に実行した女たちの、苦闘のドラマがあった。


 労働省婦人少年局


 日本で女性問題に関する行政が名実ともに開始されたのは、第二次大戦後の昭和二二(一九四七)年九月、厚生省から労働行政部門を分離する形で労働省が設置され、同時に省内に「婦人少年局」が置かれてからのことである。長い女性差別の歴史からはもとより、明治以来の近代行政の流れから見ても、いかにも遅いという感じは否めないが、女性の参政権確立さえ戦後の昭和二〇(一九四五)年一二月であったことを忘れてはならない。それまで女性は公民権を持たない存在だったのである。
 その婦人参政権の確立と労働省婦人少年局新設を一気に実現させたのは、戦後日本を実質支配したGHQ(連合国総司令部)の占領改革である。昭和二〇年一〇月、連合国最高司令官マッカーサー元帥は「民主化に関する五大指令」を発したが、その第一番目にあげられていたのが「婦人の解放」であり、その意向は昭和二二年五月に施行された日本国憲法第一四条(前記)の平等原則にもはっきりと反映されたのである。
 婦人少年局は、当初から婦人問題に並々ならぬ関心を寄せていたGHQの肝煎りにより、米国の労働省婦人局にならって設置されたものである。局内には婦人課・婦人労働課・年少労働課の三課を置き、婦人行政においては婦人労働者の保護、地位の向上などの課題や、婦人問題の研究・調査・啓発などに取り組むことになった(なお、ここで用語について言えば、従来から女を表す言葉には「婦人」「女子」があり、法令中でも労働省の組織名称でも、これらが長く使われていた。しかし近年にいたり、婦人という語は既婚で年配の女性というイメージが強いといった理由などから、平成九(一九九七)年の改正男女雇用機会均等法以降、より幅広く、また中立的な語として「女性」を統一使用することになったわけである)。
 婦人行政というまったく新たな分野に着手するにあたり、初代・二代の婦人少年局長には省外から経験と見識に富む女性が招かれた。初代・山川菊栄、二代・藤田たきである。山川菊栄(一八九〇〜一九八〇)は大正期からの婦人運動家で、大正一〇(一九二一)年には日本で最初の社会主義婦人団体「赤(せき)瀾(らん)会(かい)」を組織し、またべーベル『婦人論』などを翻訳紹介したことで知られる社会主義理論家である(夫は明治期からの社会運動家で労農派マルクス主義者の山川均。日本における社会主義運動の生き証人ともいうべき夫妻であった)。また、藤田たき(一八九八〜一九九三)は、米国留学を経て津田英学塾(現・津田塾大学)で長く教鞭をとり、それと並行して、市川房枝と知り合ったのをきっかけに、戦前から婦人参政権獲得運動にも参加した知識人である。
 山川局長・藤田局長のもと、昭和二〇年代の婦人少年局には、従来の行政官に加えて、教師や運動家からいわばスカウトされて入省した行政官、さらに国家公務員上級職試験を通って労働省に採用された行政官が集った。ほとんどが女性であり、だれもが女性とその地位向上のために働くことに喜びを感じ、この仕事に情熱を燃やしていた。そして優秀だった。事実、この時代の婦人少年局に在籍した職員のなかから、田中寿美子(参議院議員。社会党副委員長を務めた)、高橋展子(第四代局長。その後、ILO事務局長補、次いで駐デンマーク大使。最初の女性大使である)、森山真弓(第五代局長。その後、参議院議員、衆議院議員。官房長官・文部大臣を歴任)といった人たちが輩出したのである。
 そんな多士済々の婦人少年局に、昭和二八(一九五三)年四月、その春、東京大学法学部を卒業して労働省に入省したばかりの一人の新人が配属されてきた。三〇年後、局長として男女雇用機会均等法づくりという大仕事を成し遂げることになる赤松良子である。


*この続きは製品版でお楽しみください。

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