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〈うそ〉を見抜く心理学

〈うそ〉を見抜く心理学


発行: 日本放送出版協会
価格:550pt
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対応端末:パソコン ソニー“Reader”
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著者プロフィール

 浜田 寿美男(はまだ すみお)
 1947年、香川県生まれ。京都大学大学院文学研究科(心理学)博士課程修了。専攻は、発達心理学、法心理学。現在花園大学社会福祉学部教授。

解説

 刑事事件の供述調書には様々な〈うそ〉が存在する。取調官に暗示・誘導された結果、被疑者が虚偽の自白をしたり、証人が無意識のうちに記憶を歪めてしまう。人はなぜ、このような〈うそ〉にだまされるのか? 人が過去と向きあう際に、陥りがちな錯誤を、多様な犯罪の供述を分析してきた著者が、明らかにする。

目次

序章 「供述の世界」に挑む心理学
第一章 人はなぜ、うその物語にだまされるのか
 ──『藪の中』の供述分析
第二章 うその物語ができあがる過程
 ──狭山事件の真相
第三章 うその物語を見抜く五つの指標
第四章 悲しいうそ
 ──家四人惨殺事件の供述調書から
終章 人は対話的空間を生きる
 ──「供述の世界」から一般心理学に向けて


参考文献
あとがき

抄録

序章 「供述の世界」に挑む心理学


ことばが織り成す世界
 心理学を生業にしている私が、ひょんなことから裁判の仕事に巻き込まれ、「供述の世界」に足を踏み入れたのが一九七〇年代の後半。以来、自白や目撃供述が争点になってこじれた裁判で、心理学的な視点から解決の糸口を見つけられないかとの相談が、しばしば舞い込むようになった。気がついてみると、この二十余年の間に、重大な殺人事件から小さなわいせつ事件まで、大小さまざまの、およそ二〇件の事件にかかわってきたことになる。
 けっして多いと言える数ではないのだが、大きな事件であれ小さな事件であれ、当事者にとっては、それぞれに人生がかかる重大事である。もちろん深刻な刑事事件になれば、死刑さえ覚悟せねばならない。そんな重大な局面に、はたして心理学が関与しうるだろうか。当初はそう思うこともあった。しかしこの「供述の世界」に入り込むにつれ、それがどれほど難しいかはともかく、広義の心理学のなかで取り組まねばならない問題領域がそこに広がっている、それだけは間違いないと思うようになった。
 裁判の帰趨を決する最大の証拠は物証である。またそうであらねばならない。しかし物証は、証拠として確実であっても、やはり寡黙である。その物証を痕跡として残していった元の物語がどのようなものであったかを、それ自身は語ってくれない。
 なるほど「死体は語る」などという。たとえば死因が窒息で、首の回りに索状痕(さくじょうこん)があれば、何者かが紐状のもので首を絞めたことがわかる。爪の先に人間の皮膚のかけらが見つかれば、首を絞められたとき抵抗して、相手のどこかを引っ掻いたものかもしれない。あるいは胃内の食物の消化状況からは、最終食事から死亡までの経過時間が推測できる。このように死体が語ることはたくさんある。しかしそこにはおのずと限度がある。死体はその死因と周辺の一定の状況を語ることはできても、誰が、いつ、どういう動機で、どのようにしてこの死体を死にいたらしめたのかまでは語ってくれない。
 事件のあとに残された痕跡をもとに、これらをつないで一つの物語を織り上げるのは、やはり人のことばである。たとえば被害者が事件の前後の事情を語る。犯行現場の周辺にいた関係者が目撃の様子を語る。そして容疑の線上にあがった被疑者が自らの無実を弁明し、あるいは追いつめられて自らの犯行を物語る。そのことばはやはり雄弁である。
 ところが他方で、人のことばは、どのようにでも物語を織り上げ、ときに現実を逸脱し、あるいは隠蔽する。しかもそうしてことばで織り上げられた物語を前にして、第三者がその真偽を見抜くのは、容易なことでない。「供述の世界」が私たちの前に大きな難題として立ちふさがってくるのは、そのためである。
 実際、供述は一つの出来事をめぐって、しばしば相互に矛盾したことを語る。具体的な事件に多少でもつきあったことのある人ならば、誰もがそのことを思い知らされる。たとえば逮捕当初は取り調べに対して否認していたのに、やがて自白に落ちる。あるいは取り調べの場では自白していたのに、のちの裁判では否認する。では、その否認、自白の、いったいどちらを信じればよいのか。
 被疑者が「私がやりました」と言う。そうすると、たいていの人は「無実の人間ならばよほどの拷問でもないかぎり自白することはあるまい」と、自白に軍配をあげ、それ以上深入りしない。あるいは目撃者と称する人物が出てきて「私は見ました」と言う。そうするとまた、たいていの人は「この人が事件と直接の利害関係がない第三者であるかぎり、うそで人をおとしいれようとは思わないだろう」、そう思い込んで目撃を信じてしまう。いや、いわゆる素人判断にかぎらず、有罪無罪を決する裁判の場でも、根底のところでこうした素朴な判断が働いて、重大な誤判を招いてしまうことが少なくない。
 もとより無実の人を罰するようなことがあってはならない。そのことは誰もが認める。ところがこのあってはならない「冤罪」が、多くの人々の目に触れないところで、いまも繰り返されている。いったいなぜなのか。問題の根は多面にわたる。そのなかでとりわけ大きな領域を占めるのが「供述の世界」なのである。そしてそこには心理学がかかわらなければならない課題が山積している。


「悲しいうそ」と「さもしいうそ」
 ことばは現実を写し出そうとする。しかしまるごとそのままの姿で写し出すことはできず、しばしば現実を捉えそこなう。そればかりではない。ことばはときにうそをつく。そのときことばは、自分は間違っているとも、自分はうそをついているとも名のりはしない。間違いはそれと気づかないかたちで、まことのなかに紛れ込み、うそはまことらしく自らを語って、まことのなかにこっそりと身をひそめる。それゆえ間違いやうそを、まことの世界から区別して選り出すことは容易ではない。
 そんななかで、ごく素朴に、人は自分に有利なうそをつくことはあっても、あえて自分に不利なうそをつくことはない、などといった常識がはびこる。しかしこの常識もまたしばしば間違う。


*この続きは製品版でお楽しみください。

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