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プロジェクトX 挑戦者たち 壁を崩せ 不屈の闘志 突破せよ 最強特許網 新コピー機誕生

プロジェクトX 挑戦者たち 壁を崩せ 不屈の闘志 突破せよ 最強特許網 新コピー機誕生


発行: 日本放送出版協会
シリーズ: プロジェクトX 挑戦者たち
価格:100pt
形式:XMDF形式⇒詳細 
対応端末:パソコン ソニー“Reader”
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解説

 強大なアメリカ経済。強さを支えてきたのが特許である。巨大企業は巧みな特許戦略でライバルを抑え、世界市場を制覇した。
 32年前、その特許戦略に真正面から挑み、突破した男たちがいた。キヤノンの技術者たちである。男たちに立ちはだかったのは、世界で初めて普通紙複写機(コピー機)を発売し、シェア100%を誇っていたゼロックスの特許網。「この特許を使わずしてコピー機を作ることは不可能」と世界中の技術者が諦めるなか、男たちが作り上げたのが、新方式の国産普通紙複写機・NP-1100だった。
 開発は困難の連続だった。独自方式開発のためには、ゼロックスの特許を全て把握しなくてはならない。数百件・数千ページに及ぶ英文特許の山が特許マンに立ちはだかった。またコピー機は、物理・化学・電子・機械の最先端技術の結晶。複写プロセスは多岐にわたり、全ての過程において技術者たちは一から独自技術を創造しなくてはならなかった。
 苦境を乗り越えるバネとなったのは、日本のオリジナリティーを世界に示したいという思い。それまで日本は、莫大な特許使用料を払って欧米から技術をもらうばかりで、製品は「優秀な模造品」と皮肉られていた。レッテル返上に燃える技術者と特許マンの執念が不可能と言われた開発を成功に導いていく。
 鉄壁の特許網に挑み、見事に独自のコピー機を作り上げた伝説の技術者と特許マンの逆転の物語を描く。

目次

一 王者ゼロックスに挑んだ男たち
二 謎のピンホール現象
三 NPシステム、市場へ
四 伝説の逆転劇、そして世界ナンバーワンへ

抄録

一 王者ゼロックスに挑んだ男たち


難攻不落の特許網


 アメリカの巨大な富を守ってきた“楯”がある。特許である。
 グラハム・ベルの「電話」。
 ライト兄弟の「飛行機」。
 トーマス・エジソンの「電球」。
 米国特許商標庁に保管される膨大な特許公報は、“黄金のぺーパー”と呼ばれている。発明した技術は、特許を取得することによって一定期間、独占的に使うことが可能になる。そして、特許を侵害した者に対して莫大な賠償金を請求することができる。
 そんな特許王国アメリカで、“最強の楯”に固められた製品があった。PPC(Plain Paper Copier=普通紙を使う電子写真複写機)、いわゆる「コピー機」である。
 商品化したのは、アメリカ企業『ゼロックス』。同社が保有していた電子写真技術の特許は、じつに一一〇〇件。開発した世界初の普通紙複写機“ゼロックス914”は、コピー機の代名詞となり、市場を独占しつづけた。
 ゼロックスが特許を取った技術を使わずに、コピー機はつくれないといわれた。安易につくれば、どこかで必ずゼロックスの特許網に引っかかる。辣腕の弁護士集団が、常に世界中に目を光らせていた。コンピュータ業界の巨人『IBM』でさえ、コピー機の開発に着手した結果、ゼロックスから特許権侵害で訴えられ、のちに二五〇〇万ドルもの和解金を支払わされた。
 シェア一〇〇パーセント。辞書には、「ゼロックスする」という言葉が「コピーをとる」の同義語として掲載された。ゼロックスのコピー機は、アメリカの産業界で「二〇世紀に最も成功した商品」と讃えられていた。市場への参入を望む世界中の技術者たちも、鉄壁の特許網の前に屈服するしかなかった。
 だが、一九六二(昭和三七)年。そんなアメリカ“最強の楯”に挑んだ日本人がいた。斜陽に陥ったカメラメーカーの若者たち。
「アメリカのモノまねではない、日本独自の技術でコピー機をつくってみせる」
 挫折から立ち上がった「複写機の鬼」が、プロジェクトを牽引した。
「破れない壁なら、壁の上を飛び越えてやろう」
 鉄壁の特許に寝食を忘れて立ち向かったのは、「日陰の特許マン」だった。
 しかし、国産技術によるコピー機の開発は、想像を絶する困難の連続に見舞われる。初めての試作機。六〇〇〇ボルトの高電圧で感光体表面に穴が開いた。クリーニング機能が働かず、コピー機から出る紙は、ミクロの微粒子で真っ黒に染まった。行き詰まる開発は、巨額の赤字を生みつづけた。
「金食い虫のコピー機からは撤退すべきだ」
 内部から上がる、開発中止を要請する声。そして、幾多の試練の先に待ち受けていたのは、プロジェクトが最も恐れていた事態だった。
「特許、侵害」
 日本独自の技術によって生まれたコピー機の前に、王者ゼロックスの特許網が立ちはだかる。争って、特許権侵害が認定されれば、莫大な損失をこうむることは避けられない。
 それでも、男たちは歩みを止めなかった。難攻不落の壁に向かって、ひたすら突き進んだ――。
 いまも世界中の技術者たちに語り継がれる伝説の逆転劇が、ここに幕を開けた。


できるはずがない技術が、目の前にあった


 昭和三〇年代、日本は高度経済成長の波に乗っていた。政府は国民所得倍増計画をぶち上げ、国内では「三種の神器」と呼ばれたテレビ、冷蔵庫、洗濯機が飛ぶように売れた。日本のメーカーは「モノまね」と揶揄されながらも欧米の技術を貪欲に吸収し、モノづくりに邁進。カメラ、ラジオ、自動車など、新商品を手に世界へ飛び立つメーカーも現れはじめた。
 一九六〇(昭和三五)年一〇月。期待に胸を膨らませ、アメリカに渡った二七歳の男がいた。『オリエンタル写真工業(現・サイバーグラフィックス)』の技術者・田中宏。
 自信の商品を引っ提げていた。電子写真複写装置“オリファックス201”。
 大学時代、就職活動の際に知った電子写真の技術に、田中は魅せられた。老舗の印画紙メーカーに就職すると、複写機の開発に没頭した。
 それまで、書類の複写といえば、カーボン紙やトレーシングペーパーを使って手作業で写し取るのが当たり前だった。田中が開発した電子写真複写装置は、その手間を省き、瞬時に書類を「感光紙」に複写できる画期的な製品だった。
 EF(エレクトロファックス)と呼ばれる感光紙を使った電子写真方式は、一九五四(昭和二九)年に米国『RCA』社が開発した技術だった。RCA社がその特許を公開したため、ライセンス契約を結んでロイヤリティ(使用料)を同社に支払えば、誰でも使うことができた。オリファックス201も、EF方式を利用したCPC(Coated Paper Copier=感光紙を使う電子写真複写機)だった。
「これだけ先行した複写機は、国内にはなかった。当時としては最高の技術です。これをアメリカで発表すれば、大きな商売になるに違いないと思っていました」
 田中は、“オフィス革命”が起こせると確信した。アメリカ人の度肝を抜くつもりで、ニューヨークに乗り込んだ。が、着くなり圧倒された。最初に入ったレストラン。見たこともないでっかいビフテキを客がほおばっていた。
「わらじみたいに大きなステーキなんです。当時、日本ではまだ牛肉なんか普通の人は食べられないごちそうでしたからね。日本とアメリカの生活レベルの差をまざまざと見せつけられたような気持ちでしたよ」
 しかし、複写機に対する自信は揺るがなかった。ニュージャージー州プリンストンにあるRCAの研究所を訪れた田中は、技術者たちからオリファックス201を絶賛される。それは、使用しているEF方式の生みの親から得た「お墨付き」にも等しかった。
 田中は、世界有数の事務機見本市『ナショナル・ビジネス・ショー』の会場に向かった。そこにオリファックス201を展示することが、渡米の目的でもあった。が、持ち込んだ自信作に、客は目もくれなかった。
「なぜだ……」
 不思議に思った田中は、一人場内を見て歩いた。すると、とんでもないものが目に飛び込んできた。


*この続きは製品版でお楽しみください。

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