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プロジェクトX 挑戦者たち 勝者たちの羅針盤 家電革命 トロンの衝撃

プロジェクトX 挑戦者たち 勝者たちの羅針盤 家電革命 トロンの衝撃


発行: 日本放送出版協会
シリーズ: プロジェクトX 挑戦者たち
価格:100pt
形式:XMDF形式⇒詳細 
対応端末:パソコン ソニー“Reader”
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解説

 携帯電話、デジタルカメラ、カーナビゲーション。日本が世界をリードする多くの製品を動かす基本ソフトがある。トロン。世界で最も使われている基本ソフトの一つである。
 昭和59年、トロンを考案したのは一人の日本人学者だった。東京大学の坂村健。パソコンから家電まであらゆるもの動かせるよう設計した。「基本ソフトは情報化社会の基盤。空気や水と同じ」と考えた坂村は、トロンの仕様書をなんと全世界のメーカーに無料で公開。たちまち内外140社が集まりプロジェクトが結成された。大手メーカーは次々とトロンで動くパソコンを試作。誰でも簡単に使える分かり易さと軽快な動きで評判となった。
 しかし、平成元年、そこに超大国アメリカが立ちはだかった。日本に対し、小中学校で使うパソコンの規格をトロンに決めるなと迫ってきたのである。自動車やVTRで日本に圧倒され巨額の貿易赤字を抱えたアメリカは、輸入制限や報復関税の制裁措置をちらつかせていた。メーカーは次々とトロン・パソコンから撤退を余儀なくされた。まもなく世界市場を制したのはウィンドウズだった。パソコンの心臓部を握られた日本メーカーの利益率は低下し、基本ソフトを持たない弱さを痛感させられる。
 窮地に追い込まれたトロン・プロジェクト。しかし、坂村と技術者たちは諦めなかった。「もの作りには自由に改良できる自前の基本ソフトが欠かせない」と各地で技術者たちに訴え、トロンのバージョン・アップを重ねた。逆境の中で技術立国のもの作りの将来のために闘い続けるメンバーの情熱は、革命的な新商品との運命的な出会いを呼び込んでいく。
 日本発信の世界的基本ソフト・トロン。育て上げた男たちの執念の逆転劇を描く。

目次

一 理想の基本ソフトをつくりたい
二 男たち、トロンのもとに結集
三 超大国の圧力、試練のトロン
四 トロン大逆転、世界市場を制覇

抄録

一 理想の基本ソフトをつくりたい


市場を独占する米国ソフト


 アメリカ・ワシントン州レドモンド。ここに、九年連続で世界一の富豪の座に君臨する男がいる。『マイクロソフト』社会長、ビル・ゲイツ。個人資産は、実に四兆円。
 この巨万の富を生んだのは、一枚のコンパクトディスク(CD)に詰め込まれたコンピュータのソフトウェア。パソコン(PC=パーソナルコンピュータの略称)を動かすオペレーティングシステム(OS)、いわゆる「基本ソフト」である。
 パソコンをはじめ、あらゆるコンピュータは、「このように動きなさい」と指示する「ソフトウェア」がなければ動かない。そのソフトウェアの土台となるのが「基本ソフト」である。ビル・ゲイツ率いるマイクロソフト社の“ウィンドウズ”は、パソコンの基本ソフトとして世界シェア九五パーセントを誇る。その中身は極秘で、他のメーカーは手出しができない。この「情報秘匿」によって、ビル・ゲイツは情報化社会の中枢を握り、莫大な富を手にした。
 しかし、パソコンに限定せずコンピュータ全般に視野を広げた場合、世界には“ウィンドウズ”をはるかに凌駕するとてつもない「基本ソフト」が存在する。
 いまや「コンピュータといえば、パソコン」というイメージが強いが、じつは、現在世界で生産されている「コンピュータ」の中でパソコンの占める割合は、わずか二パーセント。それ以外の大半のコンピュータは、私たちの身の回りにある様々な電子機器に内蔵されている、超小型の「マイクロコンピュータ(マイコン)」である。
 デジタルカメラやビデオカメラを作動させ、携帯電話をインターネットと接続し、自動車のエンジン回転を制御する――いま、こうしたマイクロコンピュータの基本ソフトとして世界を席巻しているのは、日本が生み出し日本人が育て上げたソフトである。
 その名は、“トロン”。
 シンプルでスピーディー。日本の家電製品、電子機器の約半分に組み込まれてわれわれの生活を支えており、家の中を見わたせば一〇のトロンが動いているといわれる。基本ソフトとしては世界のコンピュータの中で最も多く使われているともいわれる、まさに「世界ソフト」である。
 このトロンには、“ウィンドウズ”とは決定的に違う特質がある。ソフトウェアの設計図に当たる仕様書が、無料で全世界に公開されているのだ。つまりそれは、誰もが無償で自由につくり手を加えることができる、画期的なソフトなのである。
 トロンを生み出したのは、コンピュータを愛する一人の日本人学者。アメリカの巨大な圧力と闘いながら独創的なソフトの開発に打ち込みつづけた彼のもとに、企業の枠を越えて、技術者たちが結集した。
 これは、世界ソフト“トロン”の開発に挑んだ男たちの二〇年にわたる物語である。


コンピュータに心を奪われた少年


 昭和四四(一九六九)年七月一六日。人類の歴史を塗り替える貴重な瞬間を見逃すまいと、世界中の人々がテレビ画面の前に釘付けになっていた。
「スリー、ツー、ワン、ゼロ!」
 白煙を上げ、轟音をとどろかせながら飛び立つ巨大なロケット。人類初の月面着陸をめざすアポロ11号打ち上げの瞬間だった。フロリダ州ヒューストンにある管制室では科学者たちの歓声が上がり、アナウンサーの興奮した声が歴史的な打ち上げ成功を伝えていた。
 このときヒューストンから遠く離れた東京に、雑音混じりの衛星中継をじっと見つめる一人の少年がいた。少年は、テレビ画面に映る“あるもの”に衝撃を受けていた。それは、巨大なロケットでも、その後月面に降り立った宇宙飛行士の雄姿でもなかった。
 管制室の一面にずらりと並ぶ大型コンピュータ――それは、月への軌道を瞬時に割り出すことをはじめ様々な面で管制官を助け、アポロ11号を正確に月面に送り届ける、この壮大なプロジェクトのまさに「頭脳」である。そこには、色とりどりの小さなランプが絶えず点滅していた。少年はその映像に心を奪われた。
「人類が月に行くということよりも、“どうやって行ったのか”という、そちらのほうに興味を持ちました。どうやってあの宇宙船をコントロールしているのか、と。それはやはりコンピュータに制御されていたんです。『人類が月に行くのをコンピュータが助けた。やっぱりコンピュータはすごいな』と思いました。人間ができないようなことをできるというか、人間を助けるというか……。コンピュータに助けられて人間は月に降り立ったんだ、と思いました」
 少年の名は坂村健、当時一七歳。のちに世界ソフト“トロン”開発の先頭に立つ男は、この日を境に、「コンピュータの虜(とりこ)」になった。
 坂村は、昭和二六(一九五一)年、東京に生まれた。小学校時代にはSF小説を読みふける夢想好きな少年だった。機械いじりも大好きで、私立の名門・慶應義塾中等部に進学したころには、用がなくても連日秋葉原の電気店街に通うようになった。そこには電気部品や関連の本があふれており、歩き回るだけでも電子回路の勉強になる。真空管や回路を買っては、ラジオや通信機を組み立て、アマチュア無線に没頭する毎日だった。高校へ進学するころには、漠然と科学や技術への興味を膨らませていた。アポロ11号打ち上げのテレビ中継を見たのは、高校三年生のときだった。
「人類が月に降りたということについては、たくさん報道されていましたが、コンピュータのことには触れていないんですよ。それで『コンピュータというのは何なんだろう、もっと詳しく知りたい』と思いました。コンピュータをとても強く意識して、これを調べなければならない、と」
 坂村が通う慶應義塾高校は、大学と同じ敷地の中にあったので、坂村は、そこで初めて、大型コンピュータに触れた。アメリカのメーカーから寄付された古い型のコンピュータだったが、少しでも長く触っていたいと、時間を見つけては、コンピュータ室に足を運んだ。さらに大学の図書館に通い詰め、米国のコンピュータ専門雑誌の英語論文を読み漁った。一七歳の少年の心は、コンピュータという未知の存在への好奇心でいっぱいだった。


マイクロプロセッサの衝撃


 コンピュータを思いどおりに動かすには、どう動いてほしいかを示すきめ細かい指示書「ソフトウェア(ソフト)」が必要である。坂村はソフトのプログラミングに挑戦し、三日三晩かけて書き上げた。
 初めての自作のソフトでの実験。コンピュータにバラバラの数字を打ち込み、ポンとキーを叩いた。すると、坂村の意図したように数字が小さい順に並び替わった。坂村は言う。
「うまくソフトウェアを書けば、コンピュータは思ったとおりに動くんです。これはやっぱり面白いですよね。人間はそうはいきません。いくら丁寧に言ったって、全部言うことを聞いてくれる人なんていませんからね。そうやって自分でソフトを書いて、うまく動いたときの喜びというのはね、すごく強い、強い喜びなんですよ。かわいいというのかな」
 アポロ11号打ち上げの翌年(昭和四五〈一九七〇〉年)、坂村は慶應義塾大学工学部電気工学科に進学。当時アルバイトで超高層ビルの構造解析やコンピュータによる設計を手がけたが、扱っているコンピュータは図体が大きく、かつきわめてデリケートで、空調がガンガンにきいた寒い特別な部屋に置かねばならなかった。コンピュータは、人間の実生活に役立つ「便利な道具」というより、むしろまだ人間が仕えなければならないような代物だった。
 昭和四六(一九七一)年、坂村が二〇歳になったこの年、コンピュータの世界に大きな事件が起きた。米国の『インテル』社が世界初の「マイクロプロセッサ」“4004”を発売したのである。
「マイクロプロセッサ」とは、別名「超小型処理装置」と呼ばれ、コンピュータシステムの頭脳であり心臓でもある。幅三ミリ、長さ四ミリ。小指の爪よりも小さなこのチップには二三〇〇個のトランジスタ(小型の半導体素子)が組み込まれており、一九四六(昭和二一)年に開発された世界初の電子コンピュータ“ENIAC”以上の性能を持っていた。ちなみにこの“ENIAC”は、重量三〇トン、八五立方メートル。一部屋を占めるほどの大きさだった。
 そのような状況下で誕生した極小のマイクロプロセッサは画期的なものだったが、コンピュータ技術者の間では冷ややかな反応も少なくなかった。最新鋭の大型コンピュータに比べれば、マイクロプロセッサの性能はまだ「おもちゃ」のようなものだったからである。
 しかも専門家から見れば、コンピュータの性能を上げるためには「より大きくする」ことが必然だった。実際、開発したインテル社の経営者ロバート・ノイスでさえ、「マイクロプロセッサは電卓程度にしか使えないだろうと考えていた」と言う。
 しかし坂村は、このマイクロプロセッサの出現に強烈な衝撃を受けた。
「これだ! と私はすぐに思いました。もうこれしかないというくらい強い印象を受けました。間違いなく、将来コンピュータはこの方向に行くと」
 未来のコンピュータは、巨大化するのではなく、より小さくなる方向に進む。そしていつか産業用ロボットやオフィス機器、家電製品にもマイクロコンピュータが組み込まれる日がくる――。
 大型コンピュータ全盛の時代に、二〇歳の坂村はそう直感していた。


*この続きは製品版でお楽しみください。

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